⑧神居神社と怪奇現象

 ”パチッ”と廊下の奥のほうまで電気を点けた。

 廊下の始発点は本殿まで通じる通路となっており、反対側の終着点には、魔境の入り口のような真っ暗な階段が見えた。


「こちらです」


 てっきり賀来次郎たちの位牌は本殿に置いてあるのかと思ったが、晴雪は階段へ向かっていた。二階に通ずる螺旋型の階段は踏みこむたびにギシギシと軋む音がする。4人で飛び跳ねたら底が抜けてしまいそうで、その脆さは足裏から伝わってくる。


「二階へ行くのは初めてかも」

「カレンお姉ちゃんが期待するようなモノは何も置いてありませんよ。二階はご先祖様が寺子屋や地域の子どもたちの憩いの場として提供していたそうですが、それもだいぶ昔のはなしです。今では痕跡だけが残されて物寂しさだけが残されています」

「昔のはなし、ね」


 晴雪に案内されたのは二階にある和一色に彩られた大部屋だった。ほかの部屋と比べて物が散乱していない。ところどころ畳が陥没したり、剥がれたりしているのは子供が遊び場として使っていたからなのだろう。柱にはいくつもの傷と名前が刻まれている。


「大河ドラマで殿様と家来が会議をしていそうな部屋だね」

「わかる。私も最初そう思った」

「もしかすると怪奇現象も、殿様の機嫌を損ねて刀で殺された家来の浮遊霊かもしれないね。つまり、ここは殺人現場ってわけだ」

「カレンこれ以上はやめて。ほら、恐怖のあまりまちこちゃんが白目向いて気絶しかけているから!」

「貧弱だなぁ」


 部屋のすみっこには賀来次郎と美雪さんの位牌と仏壇が置いてあった。

 仏壇のまわりには紙風船やオオデマリ模様の手毬、可愛らしいクマのぬいぐるみが添えてある。仏花も取り替えたばかりでつぼみのまま。殺風景な部屋だけど仏壇のまわりだけは華やかだった。


「ここも広〜い」

「こらカレン、仏様の前で走らないの!」

「あ、黒ゴマおはぎだ。ひとつもーらい!」


 お供えしてある黒ゴマおはぎを発見し、ひょいと口に運んだ。相変わらず神居家が作る黒ゴマおはぎは絶品だった。米の甘みと黒ゴマのしょっぱさがマリアージュを起こしている。


「んん、美味い!! 賀来次郎が作ったおはぎみたいだ。さすが晴雪だね。この味が伝承していくのは嬉しいもんだね」

「あ、こらカレン! お供え物を勝手に食べちゃダメでしょ!」

「だって賀来次郎が早く食べろって」

「都合の良いように解釈すな!」


 ここ最近の十四は母親のように叱ることが多い。口癖のように「こらカレン」と口にする。私に対する母性にでも目覚めたのだろうか。いずれ天使様から聖母様に昇格するかもしれない。『聖母十四』というのもなかなか言葉の渋滞を起こしている気がした。


「天野さんいいんです。あとで皆さんと食べようと思っていたので」


 晴雪が間に入ってなだめてくれたおかげで、「神居さんが言うなら……」と十四は不満そうにおとなしくなった。私と私以外との態度の差が違いすぎる。どんだけ私のコトが好きなんだよ、こやつは。


「ほらほら、十四も一口お食べ」


 四つほど残っていたため、十四の口に無理やり黒ゴマおはぎをつめ込んだ。

「むぐぅ」と顔を青ざめながら口に咥えたまま首を横に振っている。仮にも天使様であるからお供え物を食べる行為に後ろめたい気持ちがあるのだろう。だけど作り主である晴雪のまえで吐き戻すほうが失礼にあたる。そう思った十四は咀嚼してごくりと喉を鳴らした。


「なにこれ本当に美味しい。おはぎってこんなしっとりもちもちしてたっけ」


 十四は眉をひそめて険しい顔でなにかを考え始める。本当に美味いものを食べたとき、感動を超えた先にあるのは美味さの理由について考え始める探求心である。その気持ちは分からなくもない。


「ほら、まちこも」

「んーー!!」

 

 ほっぺを押さえて嬉しそうな声をもらすまちこ。もちゃもちゃとハムスターのよう頬を膨らませて食べている。自分の作ったおはぎを喜んでもらえて晴雪も嬉しそうな微笑みを浮かべていた。


「ねえ晴雪、一階だってたくさん部屋が余っているのになんで二階なの?」


 神居家の先祖代々の位牌は本殿に置いてある。だけど賀来次郎と晴雪さんの位牌は、仏壇とともに二階に置いてある。花を替えたりお線香を上げたりいちいち二階に上がるのも手間だろう。リビングにだって仏壇を置けるスペースはある。近くに置いておきたいのならそこでも問題ないはずだ。


 そんな質問をされると思わなかった晴雪は、ちょっぴり驚いた様子を見せながら、愁いを隠すように笑う。


「二階のほうが天国に近いので」

「ん、そっか」


 これ以上は何も言わないようにした。彼女がそう言った真意も分からなくないからだ。

 私もこうしてふざけてしまうのも目の前にある遺影から目を背けたかったからかもしれない。白髪の賀来次郎と美雪さんの写真が並んで置いてある。誰が写真を撮ったのだろうか。二人とも楽しそうに笑っていた。


「ははっ、最後に賀来次郎を見たのはいつだったかな。こんなにしわくちゃになっちゃって」


 仏壇の前にある座布団に座り、線香を一本、手に取った。香炉の灰には燃え残った線香が何本も刺さっている。私は邪魔にならぬよう空いたスペースに線香を刺して火を点けた。もうもうと空へ昇る煙を見つめながらリンを二回鳴らす。


「あのカレンさん」

「んー、なあにまちこ?」

「神居さんのお父さん、賀来次郎さんとはお友達だったんですか?」


 手を合わせながらまちこは口を開いた。こういう場では空気を読んで喋らないタイプなのに珍しいとも思った。


「……難しい質問だね」

「私も気になります。あまり父からカレンお姉ちゃんの話は聞いたことがなかったし、聞いても何故かはぐらかされてしまっていたので」

「秘密保持があったからかもね。私の取り扱いはトップシークレットだからね」

「そんな奴が銭湯に行くなよ……」


 線香に火を点けたあと晴雪は私の隣で手を合わせはじめた。へんにプレッシャー与えないようにと目をつぶったまま祈り続けている。


「いやあ困ったな。神居賀来次郎との追憶にふけるにはあまりにも時間が短すぎる」

「短くないでしょうに」


 的確な十四のツッコミに、笑うことしかできなかった。

 数千年のうちたった数十年。茶碗一杯の白飯でいえば米一粒の記憶。それを昔の思い出のように語るのは恥ずかしいところがある。ヒトの感覚で言えば高校1年生が中学生時代を懐かしみながら語るようなものだ。そう思っていたのに。


「賀来次郎はね、私に嫌悪感を抱く者たちがいたなかで唯一……」


 まるで体が誰かにハッキングされたみたいに、無意識に近い感覚で、私の口から吐き出された賀来次郎との思い出。当時のことが昨日のように鮮明に思い出せるが、それを語り始めようとした自分自身に驚いてしまった。そんなつもりはなかったのに。


「ゆっくりでいいですよ、カレンさん」


 動揺している私にまちこが手を重ねてくる。普段はぽやぽやしているのにこういうことには鋭い。おかげで胸の苦しさが和らいだ気がした。


「わ、私に嫌悪感を抱く者たちがいたなか、賀来次郎だけは違った。当時の私は人の心を理解しようとしなかったから誰に対しても冷たく接していたんだ。今じゃあ想像もつかないだろ?」

「半信半疑だわ」


 気を遣わない素直な十四に思わず笑ってしまう。ああ。やっぱり優しいやつらだ。舌が軽くなって賀来次郎との思い出が喉の奥から溢れてくる。


 こうして思い出を語るのはこっぱずかしいところがある。

 それでもときどき、忘れたくなくて語りたくなることだってある。


 ヒトには記憶のストレージに限界がある。お気に入り登録をしていなければ最終更新日が古い記憶から順番に消去されていく。だから消去されないように思い出をガラスケースに入れて自分の脳に釘を刺す。忘れるなと自分に言い聞かせるように忘れたくないコトを吐き出し続ける。


 夕陽を見ながら。酒を飲みながら。友人とご飯を食べながら。感傷的になると口から漏れ出すのはいつだって思い出である。それが生きる糧になったりもする。


 だから今日ぐらいは感傷に浸らせてほしい。観測者のストレージは無限大だけどタスクが重くなると思い返すのに時間がかかる。ときどき思い出さなければ埋もれていってしまう。


 すこしだけでいいから、そんな年長者の回想法に付き合ってほしい。

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