⑦神居神社と怪奇現象
「いったいどうしたの」
部屋の隅で小動物のように怯える二人は、床を這いつくばって私の足元にやってくる。必死な形相で迫ってくる彼女らは小動物というより某ホラー映画のテ◯テ◯そのものである。
すぐにでも逃げ出したかったがお茶を持っていたこともあり動くことができず、結局、コアラのように右足には十四、左足にはまちこがしがみついてきた。腰が抜けて立てないのだろうか。
「おっとと。お茶持ってるんだから危ないでしょ。もう、何があったの?」
「カ、カカカ、カレン。見ちゃった見えちゃった見たくなかった!!」
「ははっ、そんなに怯えちゃって幽霊でもいたのかー?」
「笑いごとなんかじゃないってば!! あ、あそこの部屋に、着物を着た、じょ、女性たちが……」
「たち?」
「私だけじゃなくてまちこちゃんだって目撃者だもん!」
右足にしがみつくまちこは完全に怯えきってしまい金魚のように口をパクパクさせるので限界だった。十四が指さす方向はリビングにつながる隣の部屋である。ふすまで閉まっているが数センチだけ隙間があいている。確かあの部屋は晴雪の母である美雪さんの部屋だったはず。
「……見に行こうか?」
そう訊ねると、しがみつく力が増して二人揃って首を大きく横に振る。ブンブンと風を切る音が聞こえそうなくらい首を振っている。写真に収めたいくらいひどい面である。
「はぁ。私たちの本来の目的は何? ここへは怪奇現象の正体を突きとめるために来たんだよ。このまま放置するわけにはいかないでしょう。それに二人の勘違いかもしれないしさ」
力ずくで片足ずつ前に出すと二人はズルズルと引きずられていく。「あーあ―あっー!!」と駄々をこねる赤ちゃんのような泣き声を上げているが、頑なに私の足を離そうとしない。
それがパンドラの箱を開けないように阻止したい気持ちによるものか、私に危険が及ばないように守りたい気持ちによるものか。どちらにせよ見て見ぬふりはできない。
「ねえねえカレン、心の準備は大切だよ?」
「もう目の前まで来ちゃったし」
正直言えば私だって怖い。この二人と同じ立場だったら叫び声を上げていただろう。身体的なダメージならまだしも精神的なダメージは観測者でさえ治すことは難しいのだから。だけどこういうのは怯んだらおしまいである。
「勝手に開けるのは失礼だよ。神居さんが来てからのほうがいいんじゃない?」
「えい」
「あーっ!!」
ガヤを無視して躊躇せずにふすまを開く。
真っ暗闇の和室から涼しげな風が頬をかすめる。
この部屋だけ空気が重たく沈んでいる気がした。
そして彼女らの主張どおり、そこには着物を着用した女性が立っていた。
それも一人ではなく、二人、三人と目視でも数えきれないくらいの着物を着た女性がコチラを見ている。
「―――ッ!!」
まちこも十四も、恐怖の限界を超えて叫び方を忘れていた。
ギョロリと数百もの”目”が私たちを捉える。
天井に吊るされている着物の女性。
壁一面を覆いつくす着物の女性。
魔法のステッキを持った着物の女性。
小さな妖精と決めポーズをする着物の女性。
どの着物の女性にも共通しているのは『魔法少女巫女シオン』と書かれていることだけだった。
「な、ななな、ななな」
背後からガシャンと大きな音が聞こえると、まちこは驚きのあまり「ぴぎゃあ」と跳ねた。
ギリシャ神話の古城のような洋風カーペットに茶菓子とジュースが飛び散っている。目線をあげてみるとふすまを覗く私たちを見て晴雪が絶句していた。
どうやらこの部屋は美雪さんが亡くなってから晴雪のコレクション部屋として使っていた。
複数の魔法少女の等身大パネル。壁を覆いつくしているのはアニメのポスター。天井に吊るされているのは抱き枕。晴雪がまだ幼稚園児の頃、「魔法少女巫女シオン」のテレビ番組が好きだったのは知っているが、そのスキは今でも続いているようだった。それも沼に肩まで浸かっているほどに。彼女は俊敏な動きで『スパンッ』とふすまを閉じる。
「こ、これは私じゃなくて妹が好きで」
「妹なんていないだろ」
「はうぅ!!」
指を合わせてモジモジしながら言い訳を探している。この年齢になってまで子供向けアニメが好きなのを知られるのが恥ずかしいのだろう、他人に知られたくない趣味なんだろうが、ここにいる二人は他人の趣味を馬鹿にしたりしない。それに。
「この作品なら私も知ってる」
十四は身だしなみを整えながらそう答えた。さっきまで幼児化して取り乱していたのが嘘みたいに普段の十四に切り替わっている。天使様として宗教団体に崇められていた十四が、そういった娯楽を制限されていたにもかかわらずどうやって知りえたのか詮索しないでおくが、彼女はそういったサブカルチャーに精通していた。
「神社の巫女をしている主人公の『シオン』がある日、自分の神社が魔物に襲われてしまう。そのとき古くから閉ざされた蔵から神社の妖精が現れてシオンは魔法少女になり、魔物と戦って街の平和を守っていく。そんな王道の魔法少女ファンタジーなんだよ」
そう語りながら十四は再度ふすまを開いた。優しい目をしながら晴雪のコレクションを眺めている。私からすればこの和室の光景はもはやホラーに思える。泥棒がふすまを開けたら絶叫間違いなしだ。最高の防犯システムである。
「この作品は女子小学生をターゲットにした子供向けのストーリーだけど、主人公のセリフや立場、組織に固執しないシオンの決断、仲間との絆は大人にも刺さる内容になっているんだよね。正義感溢れるシオンが強大な敵と対峙する、その諦めない姿に背中を押される人が多くいて人気なんだ」
饒舌に語りだした十四に、晴雪はとても嬉しそうに拍手していた。同じ沼にハマった同志だと晴雪は思っているのだろう。違う。このままだと晴雪が危ない。十四のスキの形は別種なのだから。
「天野さんが魔法少女巫女シオンがお好きだったなんて嬉しいです! 子供向けの作品なので普通の人からすれば『子供っぽい』と思われて鼻で笑われてしまうと思い、ずっと隠していましたが、こうして同志に出会えて感激しています!」
「シオンと仲間たちの濃厚で熱々な絡みも最高だよね。ライクからラブに心が動く表現もまた素敵だったなぁ」
「そんなシーンありましたっけ。あ、ちなみに私はですね、泣き虫だったシオンが成長とともに強くなっていく。その成り上がりストーリーに心打たれます。同じ巫女として共感できるところがありますし」
「うんうん。シオンが変身途中で着物が絡まって、敵幹部にめちゃくちゃされるところは興奮したなぁ」
「ん?」
「え?」
すれ違ってしまった。そもそも同じ作品の話をしていたが、思い浮かべていたものは別物である。十四は即座に状況を飲み込み、冷や汗をかき始める。それに対して晴雪はどの話数なのか真剣に考え始めてしまった。
「さっきから気になっていたのですがそんなシーンありましたっけ? 私、全話記憶していると思ったのですが、天野さんの言っているシーンを知らないといいますか」
「あっ、これはその、同人誌で……」
「『どうじんし』って何ですか?」
「個人の方々が作る二次創作で、ごめんね、記憶が混乱しちゃってて」
「そんな素晴らしい物があるんですか!! 個人の方々がその作品を模して描かれる非公式ストーリー。濃厚で熱々な絡みというのも感動的な友情ストーリーなのでしょうね。敵幹部にめちゃくちゃにされるのも胸が熱くなるような戦闘が描かれているのですね。ぜひ今度、その『どうじんし』とやらを私に見せてくれませんか!」
「あぐっ、えっと、同人誌は同人誌でも……うぅ、こ、今度ね!!」
「はい! 楽しみにしています!」
十四の引きつらせた顔から読み解くに、きっとR18指定の同人誌なのだろう。
濃厚で熱々な絡みや、敵幹部にめちゃくちゃされるっていうのは十四と晴雪では解釈が違うだろ。純粋なファンに対してとんでもない失態である。罪悪感でめった刺しにされた十四は座布団をまくらにして畳に寝そべる。それからぶつぶつと聖書を唱えはじめた。そのまま浄化されてほしいものである。
「あ、それと怪奇現象は毎晩23時から発生するので、この時間は発生しないと思います。安心してください」
現時刻は19時になったばかりである。まだまだ時間はある。
「了解。それまでにご飯やお風呂を済ませておこう。他に手伝うことがあれば言ってよ」
「ありがとうございます。とりあえずご飯でも作りましょうか。冷蔵庫に何かあったかなぁ」
冷蔵庫の中身を思い出しながらキッチンに向かう晴雪に、私は「その前に」と呼び止める。
「ねえ晴雪」
「なんですかカレンお姉ちゃん?」
「賀来次郎と美雪さんにお線香をあげたいんだけど、いい?」
そう言うと晴雪は一瞬、心寂しい表情をみせる。
それを誤魔化すようにすぐ優しい笑みに切り替えた。
「もちろんです。父と母も喜びます」
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