⑥神居神社と怪奇現象
神居家の住居へ上がりこむには社務所の入口と併用された玄関口を通らなければならない。社務所の内側は住居の廊下とつながっている。そこで靴を脱いで住居に上がるそうだ。
社務所内は未開封の段ボールや書類とファイルが散乱している。通路は確保されているがヒト一人分しか通れない。
「ここは片付けができていなくて散らかっているけど、住居のほうは綺麗だから安心してね」
そういって雪崩が発生した書類の山を手で押さえている。
壁のカレンダーは2022年から変わっていない。コルクボードには家族写真と手紙が画鋲で留められている。デスクにある領収書や売上表は書きかけのものばかりで、それが賀来次郎の字だとすぐに分かった。ここだけ賀来次郎が死んでから時間が止まっているみたいだった。
「うわぁ大きなお家ですね」
「ふふっありがとう湖畔さん。私ひとりでは勿体ないくらいだけどね。こっちだよ」
神居家を一言で表すなら和風のお屋敷である。
廊下は年季のはいった木質系の床で、踏み込むたびにギィと軋む音がする。50メートルほどある長い廊下の端は本殿に通じる道となっており、もう一方の端は、二階へ上がる階段となっている。
廊下を歩いているとふすまの隙間から賀来次郎の部屋が見えた。遺品整理中なのか、足の踏み場もないくらい散らかっていた。庭は緑緑しい竹藪が塀を飛び出して侵入し、池は藻で緑色に濁っている。暗くてあまり見えないがところどころ雑草も生えてる。賀来次郎が死んでから晴雪は一定の生活水準を保つことで精一杯なんだろう。
「あ、あまり色々なところを見ないでくださいね。社務室もそうですが、使わない部屋などの掃除も怠っていますし散らかったままです。父がいた頃は綺麗に保っていたのですが、さすがに手が回らないですね。この家が綺麗だった頃を知ってるカレンお姉ちゃんに見られるのはちょっと恥ずかしいな」
「この大きな家をひとりで管理している時点ですごいんだよ。家だけじゃない、社務室も本殿も。賀来次郎がひとりだったら一か月でゴミ屋敷に様変わりだよ。さすが晴雪だ」
「ありがとうカレンお姉ちゃん」
リビングも一般家庭のイメージとは違い、お屋敷らしい和一色に染められた居間になっている。それに抗うように洋風のカーペットが敷かれているのはちょっと和に嫌気がさしたのだろうか。晴雪らしいと思った。
「適当に荷物を置いて座っててください。座布団はあそこに置いてありますので」
木製テーブルにはまたもや書類が散乱していた。領収証や電卓、数字だらけのメモ帳とふせんだらけの参考本。
「すみません、皆さんが来るまでちょっと仕事をしていたので。居間は綺麗だとさっき言ったばかりなのに恥ばかり晒してしますね」
晴雪はそれらをまとめてタンスの上に置いた。趣味や手伝いなんかではなく、これが彼女が背負っている”仕事”である。学校の生徒会長ですらこんな難しい作業はやらない。こういうのは税理士でも雇うべきだと思う一方で、普段から節約生活をしている晴雪にそれをすすめるのは気が引けた。
「そういえば普段は晴雪、高校に通っているじゃん。そのとき神社はもぬけの殻なの?」
「あ、実は父が亡くなってから祈祷やおみくじや絵馬の販売、その他の問い合わせは中止しているんです。手水舎だって本来は水は溜めていないんです」
「でもさっき」
ここに来たとき石灯篭は光が灯り、手水舎には水が循環していた。おみくじを売ってる社務所だって普通に販売している様子だった。
「皆さんが来られるのでちょっと頑張っちゃいました。閑散とした神居神社ではなく本来の神居神社を見てほしくて。そしてこの場所が好きになってほしくて。また来たいと思ってもらえるように……」
本音に近づくにつれて声のボリュームが小さくなっていく。あれが彼女なりのおもてなしだったのだろう。そんなことしている暇もないはずなのに。
「道中の山道は暗くて不気味で恐怖でガクブルでしたが、この神社に足を踏み入れたとき、その恐怖を忘れるくらい神秘的な雰囲気に圧倒されました」
「まちこ、驚きのあまりぽかんと口開けてたもんね」
「はい。お正月の初詣はここにしようと心に決めた瞬間でした」
「気が早いなぁ~」
「それくらい神居さんの神社のことが好きになりました。神居さんがよろしければこれからも遊びに行きますし、お役に立てるか分かりませんが掃除くらいのお手伝いくらいさせてください」
お世辞を言われるときは表情や口調、仕草でなんとなく察することがある。気を遣わせてしまったなと思うことがある。そんなつもりはなくても相手に勘違いさせてしまうことだってある。私が言うとお世辞だと捉われがちになるが、そんなことを思わせないのが湖畔まちこである。彼女の純粋さは宮古島の海水のように澄んでいて、彼女の丸裸な言葉は、相手の心に直接とどく。
「ありがとうございます」
嬉しさのあまり溢れだしそうな涙をぐっと堪え、それを悟られるのが恥ずかしいのか「いまお茶を出しますね」とその場を離れる。
「私も手伝うよ」
リビングはガラスの引き戸を隔ててキッチンにつながっている。
そのキッチンも私の知る当時のままで、食器や茶菓子が置いてある場所も記憶通りだった。水回りも掃除されていて、晴雪のいうとおり家事は問題なさそうだった。
「いいやつだろ、まちこは」
「はい。まるで心を見透かされているみたいに私が欲しかった言葉を全部くれました。湖畔さんだけではなく天野さんも腕を組みながら何度も頷いてくれていましたし」
「十四も成長したよ。あの場で十四が口を開いてたら空気が凍っていた」
自分も良いことを言ってやろうと欲が出て余計なことを口走るのが天野十四なのである。だから今回大人しくしていたことには褒めてあげたい。あとで頭でも撫でてやろう。
「カレンお姉ちゃんは戸棚から適当にマグカップをだしてください。私は茶菓子の準備をします」
「おっけー」
食器棚にはレトロなマグカップやお皿がある。賀来次郎と美雪さんの名前が刻まれたものもあった。それらを避けながら人数分のお皿とカップを取り出していると、見覚えのあるマグカップを見つける。
「まだ残して置いてくれたんだ」
そのマグカップには油性で『かれんおねえちゃん』と幼い字で書かれている。私がこの家に入り浸っていたときに賀来次郎が私の専用のマグカップを買ってくれたのだ。それに晴雪が名前を書いてくれたのだ。
「カレンお姉ちゃんは家族の一員のようなものだったしさ。コップだけじゃなくてカレンお姉ちゃんのお泊りセットもまだ残ったままだからあとで持っていくね」
「ん」
観測者は誰かを記憶することはあってもされることはない。ましてや私が居た痕跡がこうして形で残されることもなかった。憶えていてもらえることが、私の存在を形として残してもらえることがこんなに嬉しいなんて。
私は自分のコップを手に取っておぼんに置いた。それから冷蔵庫からお茶を出して、それを持ってリビングに向かう。するとさっきまで座布団に座っていたまちこと十四の姿がそこにはなかった。
「あれ、二人はどこに?」
「カ、カカカ、カレン……」
モスキート音のようなか細い声で呼んでくれたおかげで彼女らの位置が特定できた。なぜかリビングの隅っこに二人は座っていた――が、表情は青ざめて抱き合いながら震えている。頬もくっつけてこのまま融合しそうな密着ぐらいである。
ただひとつ言えることは共通してこの世のものではない何かを見たかのような怯え具合であった。
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