⑤神居神社と怪奇現象

 埼玉県万能市の市街地には近接した山がある。

 標高272mとハイキングに適しているその山は「小峯主山しょうのすやま」と呼ばれている。山道が整備されており、登山装備を整えなくても気軽に山へ登ることができる。


 かといって観光地として人の手を加えすぎているわけでもなく、本来のあるべき山の姿を残したままにしている。最近では付近にテーマパークがオープンし、山へ登る観光客も増えているという。頂上まで登れば富士山も拝めることができてちょっと自然を嗜みたいときにおススメな場所であった。


 そんな小峯主山の土地の一部は神居家が所有しており、そこに神居神社が建っている。

 山道と並行するようにアスファルトで舗装された坂道を登っていくと、分かれ道にさしかかり、左手に進んでいくと神居神社に到着する。山の中腹にある神居神社は巨大な赤い鳥居が目印で、森林に囲まれた静かな場所にあった。


 夕方6時を過ぎた頃である。太陽は地平線に消えかけ、まるでまだ帰りたくないと駄々をこねる子供のように薄い光が空に残っていた。

 山林に囲まれた山の中はすでに薄暗く、山道は懐中電灯を持っていないと足元が見えないくらい真っ暗だった。


 山道を外れて神居神社のある方向へ進めば、神社の明かりが見え始める。赤い鳥居を抜けるとそこに佇む一人の少女がいた。湖畔まちこである。

 彼女はリュックサックを背負い、目の前にある祠をみてこう言った。


「神居さんのお家、ずいぶん小さいですね」

「それはボケているの?」

「ひゃあ!!」


 まちこに話しかけると尻尾を踏んだ猫のように飛び上がる。その反動で呼吸が乱れ、ゲホッゴホッと咳をし始めた。唾が気管に入ってしまったようだ。リュックサックから水筒を取りだして飲み始める。


「お、おお驚かさないでくださいよ! ただでさえ薄暗い山道を歩いてきて恐ろしい目に遭っているというのにっ!」

「それよりもまちこ、私が居たこと知ってたの?」

「知っていたらこんなに驚いていませんよ!」

「え、それなのに祠に向かって一人でボケていたの? 怖いんだけど。観測史上一番怖いんだけど」

「ボケていません!」

「なお怖いわ。それが無意識だったならお笑い芸人が羨む才能だわ。今すぐ科学者芸人を目指したほうがいい」


 これは天然で済ませられるレベルではない。独り言の域を超えている。むしろ心配になってきた。それとも彼女には小さい妖精でも見えているのだろうか。そうでなければあんなボケを炸裂させる思考が分からない。


「やっぱまちこは面白いな。それにまちこの私服、可愛いね~」


「そ、そうですか?」とまちこは嬉しそうにその場でくるりと回る。


 髪型はいつもと変わらない二つ結びのおさげ。結び目にはウサギの尻尾のような手触りがふわふわな白色の髪留めがされている。


 今日は初めての友達とのお泊りで張りきっているのか、おしゃれな白色のベレー帽を被っている。柄のない紺色の肌着のうえにカジュアルなベージュのカーディガンは春コーデと呼ぶにふさわしい恰好だった。


 上半身の色合いを目立たせるために、下半身は色が控えめな七分丈のグレーパンツと黒色のスニーカー。そしてグレーのリュックサックを背負う彼女をひとことで表すと『令和の都会女子』である。


「お友達と制服以外で出かけるの初めてで、どんな服を着ればいいのか不安でしたが、似合っているのなら良かったです!」

「なんだろう。とても似合っている。めちゃくちゃ可愛い。でもなんだろう」

「歯切れが悪いですね。褒め言葉がなんだろうにサンドイッチされてます。無理して褒めていただかなくていいのですよ?」

「いや、心の底から可愛いと思ってる。だけど想像と違って驚いているんだよ。私は心のどこかで期待していたのかもしれない」

「何をですか?」

「昭和チックでバブリーな恰好を」

「もうカレンさんとは口利きませんから」

「あ~待って、怒らないでよまちこ~」


 ハムスターのような頬をしてスタスタ歩いていくまちこ。令和の都会女子は訂正しよう。こんな可愛い生き物を欲望の水槽という名の都会に放ったら簡単に食べられてしまう。まちこはオオカミに食べられる世界線の赤ずきんだ。


「……ちょびっと恥ずかしいな」


 私は自分の恰好をみて苦笑いを浮かべる。猫がえがかれた白いパーカーと黒色のズボン、登山用のリュックサック。


 ファッションにはとことん興味がないため、どんな恰好をしても気にならなかったが、こうしてまちこを見ていると羨ましくもあり、急に自分のダサい恰好が恥ずかしく感じた。


「なにか言いましたかカレンさん?」

「んにゃ、なんでもない。ただ、私の新しい一面が垣間見れてびっくりしただけ。私もまだまだ私のことを分かっていないんだなってそう感じた」

「今までのカレンさんは観測者としてレンズ越しから他人を見ていましたからね。これからは観測するだけではなく、そのレンズに自分がいることを想像して自分がどう映っているか考えてみることですね」

「だから私はもう観測者じゃないってば~」


 祠の奥には石畳の階段がある。だいぶ急斜面な階段で最上段まで上らないと先が見えないが、階段のさきに神居の住居があるのだ。その石畳の階段は竹藪に囲まれていて等間隔に石灯篭が置いてある。すでに日が落ちているからかオレンジ色の光が灯っていた。


 サァーっ、笹の葉が擦れる音がする。コウモリか山鳥か分からないが鳥類が羽ばたく音がする。標高が低いからといってもこんな時間に山を登る人なんていないため、私たちが喋らなければ山が不気味に笑うだけ。それにいちいちビクッとまちこは反応する。横顔をちらっと覗くと半泣き状態だ。


「手でもつなぐ?」

「お、お願いしてもいいですか?」

「素直だなぁ。ほら」


 恐怖によるものか、まちこの手は冷たくて気持ちが良かった。私の指を絡ませて離さないように握ってくる。これで恐怖なるものが軽減されるのであれば、いくらでもこの手を貸してあげよう。


「山に神様が宿るっていうからね。もしかすると怪奇現象も神様の仕業かもしれないね」

「優しい神様でしょうか?」

「もしかするとこわぁーい神様かもしれないよ?」

「ま、まあ、こちらには天使様と呼ばれる十四さんが居ますし」

「なはは、あまり過度な期待はしないことだね。天使は天使でも、アイツはクリオネだからね」


 石畳の階段をのぼり終えると、平屋建ての木造瓦屋根で作られた神殿が現れる。


 その石畳は延長して神殿まで導いてくれている。本殿の色褪せた外壁や梁、そんな歴史を感じる圧倒的な存在感にまちこは口を開いて眺めていた。


 敷地はテニスコート三面分くらいだろう。手水舎や絵馬掛け、社務所でおみくじも売っている。白色の砂利が敷かれており、清潔感を感じる。これらを晴雪がひとりで管理しているかと思うと敬服する。


「お参りでもしとく?」

「そうですね」


 小銭を入れて鈴を鳴らし、二礼二拍手一礼。適当に祈るにしても何も思いつかないため、とりあえず死にたいとだけ願っておいた。きっとそれを口に出したらまちこに怒られてしまうだろう。


「まちこは何をお願いしたの?」

「アメリカにはそういった風習はないので、何をお願いすればいいのか分かりませんでした。なのでとりあえずお礼を言いました」

「お礼?」

「はい。こうしてカレンさんや十四さん、神居さんに出会えて私がずっと夢みた景色をみせてくれたことに対してです。これは間違っているでしょうか?」

「いんや。きっとそのありがとうって気持ちは神様まで届いているよ。癪だけど私も一応はお礼言っておいてやるか」


 そうやって再び両手を合わせて祈っていると、「お待ちしておりました」と晴雪の声がした。

 彼女は本殿の隣りにある社務所から出てきて巫女装束を着ていた。薄ピンク色の着物と黄色の袴、めずらしい巫女装束である。髪色はピンク色だから袴以外はピンク祭りである。だけど思ったよりも違和感はなく似合っていた。


「巫女装束って紅白色じゃなくてもいいの?」

「一般的に巫女装束は白い着物に緋色の袴のイメージですし、実際にそれを着用しているところも多いですが、全国的に統一された規定というものはありません。神社庁からもそういった通達もありませんし、言ってしまえば各神社ごとの流派による、といったところでしょうか」

「なるほどね」


 賀来次郎のことだから神居神社にはそういった規定は設けていないのだろう。どちらにせよ今の宮司は晴雪なので自由に規定することができる。


「晴雪はほんとにピンクが好きなんだね」

「これは私が初めて神職のお手伝いをしたときに父がプレゼントしてくれた服だったんです」

「だったんです?」

「大人になっても着れるようにと父が何着か買ってくれたのですが、胸のあたりが苦しくなったので。だから成長に合わせて自分で寸法して作り変えているのです」

「ああ……」


 そうだろうな、と晴雪の胸を見ながらそう思った。そんな成長をとげるなんて賀来次郎も想定外だろう。


「そういえば、皆さんより一足先に天野さんが来られました。あ、噂をすれば」


 社務所から感情を失った地縛霊のような表情をした十四が歩いてきた。ゆらりゆらりとゾンビのような重たい足取りで砂利を踏む。どこか怯えたようにも見える。


「どうしたんだよ十四。さっそく怪奇現象にでも遭遇したか?」

「そうね一種の怪奇現象だわ。神居さんの巫女装束を着させてもらったら怪奇現象が起こったわ。身長も年齢もほとんど同じなのに、この差は何なのかしら。巫女装束を着てからの記憶がないわ」

「それは怪奇現象なんかじゃないぞ。つま先をみて見ろ」

「ん?」

「それが現実だ」

「キィ――!!」


 子供のように地団駄を踏む十四に、神社らしからぬ賑やかしい笑い声に包まれる。

 こうして役者が全員揃ったので晴雪の住居へと移動したのであった。


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