③神居神社と怪奇現象
とりあえずお昼ご飯を食べながら話そう、という十四の提案により、中庭に移動して芝生のあるレジャーシートを広げる。このレジャーシートは十四が持参してくれたもので大きさは二畳分くらいある。四人が楽な姿勢で座ってもスペースに余裕があった。中庭のベンチはα棟のカップルで埋め尽くされ、その異様な光景を目撃した晴雪は頬をひきつらせていた。もう私たちは見慣れたものである。
「ほら神居さん、遠慮なく座って」
「ありがとうございます……天野さん? それとも天使様とお呼びすればいいのでしょうか?」
「今は天野でも十四でも好きに呼んでいいよ」
「今は?」
意味深な言い方をして十四はお弁当を開けた。事情を知らない晴雪は困惑している。
「十四さんは二重人格者なんです」
コポポッと温かいお茶を注ぎながらまちこが代わりに説明してあげた、が、その変化球は十四の喉に米粒を詰まらせた。ゲホッゲホッと咳き込んでいる。
「まちこちゃん!?」
「な、なるほど。二重人格者ってフィクションだけかと思っていましたが実在するのですね。つい先日、天野さんの態度が急変したのはそういうことでしたか」
「神居さんはともかく、まちこちゃんがそういう認識でいたことに驚きが隠せないのだけど。私ずっと二重人格者だと思われてたの」
ちゃんと事情を説明したはず(サブスト_小さな科学者とランチタイム参照)なのに、まちこは深く理解をしていなかったようだ。十四は遠い目をして「もうそれでいいよ……」と悲しそうに溢す。
「とりあえず十四は置いといて」
「私の扱いが雑じゃない?」
「ご飯食べながら本題に入ろうか」
各自持参した昼食を食べながら、晴雪は教室で話をした続きをする。
晴雪の家系は”神居家”と呼ばれ、この街の外れにある小峯主山の土地を有しており、そこに古くから建築されている神居神社の
神居家は父の賀来次郎、母の
「ですが母は私が物心つく頃に……」
交通事故で亡くなってしまった。車道で横たわる猫を助けるために自らの命を犠牲にして。それから晴雪は父と二人で生活することになった。
そして2年ほど前に神居賀来次郎が他界し、晴雪は神社とともに残されてしまった。
「それじゃあ神居さんはひとりで暮らしているの?」
「そうですね。広い家なのですこし寂しいですが、父が存命していたときから家事全般は私がしていましたので生活には支障はありません。それに商店街の方が心配してよく立ち寄ってくれるので」
そう言って晴雪は優しく笑った。
彼女は自立した生活を送っているだけではなく学業と家業も両立している。大人でも難しいことを当たり前のようにやってのけているのだ。
だけど彼女はまだ”子供”である。親元から離れて自立するのと、親が居なくなって自立せざるを得ない状況になるのでは話が違う。たとえ親が近くにいなくても頼れる人がどこかで存在していること自体が心の支えとなる。そんな存在は晴雪にはもういない。それでも立派に大人になろうとしている。
それを聞いた十四は箸を置き、両手で顔を隠しはじめた。
「家政婦を雇っている私がなんだか恥ずかしく思えてくる……」
「え、十四、家政婦を雇っているの?」
「一番聞かれたくないヤツに聞かれてしまった!」
シワ一つない制服や体操着、そして手作り弁当を持参している理由が思わぬ形で判明した。
「私の読みは間違っていなかった」
「というと?」
「十四に家事ができるわけがない」
一触即発の十四に石を投げたら、案の定、爆発した。お弁当を置いて私に殴りかかろうとする十四を、まちこがなだめながら必死に抑える。私は知らないふりをして菓子パンを口に運ぶ。
「家事ができるようになったのも亡くなった母が私のために家事のやり方を記したノートを遺してくれたからなんです。将来、私が結婚したときに役に立つようにって。気が早すぎますよね。でもそのおかげで私は父を支えることができて、こうして自立した生活ができているんです」
「美雪さんの料理は美味しかったもんなぁ」
ふと思い出がポロっと口から零れる。すると晴雪は鼻息荒くして私に迫ってくる。その勢いに思わず身体を逸らしてしまう。
「カレンお姉ちゃん、母のことご存じなんですか!?」
「も、もちろんだよ。晴雪が生まれる前から神居家にはよくお邪魔していたからね。賀来次郎と美雪さんの出会いから結婚に至るまでの経緯も知ってるよ」
「そのお話、今度ぜひ聞かせてください!」
こうして目を輝かせる晴雪は、小さい頃に観測者の武勇伝(嘘)を聞かせてあげたときと同じ反応だった。その面影を思い出して私は優しく頭を撫でた。
「約束する。あの二人の恥ずかしい話もいっぱい聞かせてあげる」
「えへへ、はい!」
晴雪は目を細めて無邪気に笑う。
当時の私は、晴雪が『お姉ちゃん』と呼ぶものだから、自分が本当のお姉ちゃんのようにふるまっていた時期もあった。身体はこんなに成長していても根本的なところは変わらない。それが嬉しく思えた。きっと晴雪が母親と過ごした時間は私よりも少ない。だったら私が観測してきたものをすべて伝えてあげよう。
「驚きました。カレンさんはちゃんと他の方と交流があったんですね」
「神居家が作る黒ゴマおはぎが絶品なんだよ。それを食べにね」
「ただ食い意地を張ってただけなのね」
神居家が何代にもわたって受け継がれるのは神職だけではなく『黒ゴマおはぎ』がある。
新潟の米農家からモチ米を卸し、それをかまどで炊いて、絶妙な甘みを引き出すように調合した砂糖と黒ゴマを和えて完成する。製法は部外秘で、一年に一度、商店街の旨いもの市場で出展されることから”幻のおはぎ”と呼ばれている。
「カレンお姉ちゃんは黒ゴマおはぎを食べに神社によく来ていました。その対価として神社の手伝いや私の遊び相手をしてくれました。最初はめんどくさそうな態度で相手をしてくれるのですが、遊んでいるうちに熱中して、おままごとやテレビゲーム、かくれんぼだったりどんな遊びにも全力を尽くしてくれる。当時の私はそれがとても嬉しかったんです」
「これ以上はやめて晴雪……恥ずかしい……谷間があったら挟まりたい」
「穴があったら入りたいを変態チックに置き換えないでください。ただのセクハラですからね」
まちこが丁寧にツッコミを入れてくれる。これだからボケるのをやめられないのだ。
それはさておき、私が神居家に遊びに行くと賀来次郎はかならず黒ゴマおはぎを作ってくれた。完成するのに半日以上かかるため、暇を潰すために晴雪の相手をしていたのだ。どんなに忙しそうにしていても賀来次郎はいつも私を歓迎してくれた。見た目が変わらない私を不気味がらず、学生時代と変わらない態度で接してくれた。
賀来次郎と過ごした時間は華やかな思い出で溢れている。彼は乾いた土に小さな幸せの芽を植えて水を与えてくれた。その芽は少しずつ少しずつゆっくりと成長し、こうしてまちこと出会うことができた。
「懐かしい話をしたら久しぶりに会いたくなったなぁ」
会いたくなった。それは一体『誰に?』。そんな問いが自分から返ってきた。
舞台が暗転するみたいに黒いモヤが楽しい気分を濁していく。菓子パンを食べる手に力が入らなくなる。口に含んだパンがなかなか喉を通らない。その様子を見たまちこが「カレンさん?」と心配する。その表情は初めて見るものだった。私は菓子パンをについた歯型を見つめながら晴雪に訊ねた。
「ねえ晴雪、賀来次郎は死んだの?」
「ちょっとカレン、もっと言い方ってものが!」
「はい。先ほどもお伝えしましたが父は一昨年に亡くなりました」
心臓や血液が一瞬、凍った気がした。
「急性癌でした。癌が発見されたときにはステージ4まで進行していて、普通の日常生活が送れないほど苦痛に蝕まれていたはずなのに、父は私の前でそんな素振りを一ミリもみせませんでした。きっと小学生だった私を残して病院に入院できないと思ったからでしょうね。もっと早く病院に行っていれば治っていたかもしれないのに……」
「なんだよそれ」
だったら私に連絡してくれればよかったのに。すぐに駆けつけて晴雪の世話だってしてやったのに。神社だって何度も手伝ったこともあるのに。そんな小さな怒りを覚える。
「父はカレンお姉ちゃんに迷惑をかけたくなかったんだと思います」
「そんな気が利くようなヤツじゃないんだけどな賀来次郎は」
重い腰を上げて体を伸ばす。木の葉の隙間から陽の光が射し込んでいる。今日はこんな会話と似つかわしくないほど天気が良かった。
「賀来次郎のことだからよぼよぼの爺さんになるまでしぶとく生きると思ったけど、さすがのアイツも病には勝てなかったんだな。アイツこんなこと言っていたんだよ。晴雪が成人になるまでどんなことがあっても死なねぇって。一緒にお酒を交わすんだって。だからアイツが死ぬところなんて想像できなくってね。そっか」
「カレン……」
生暖かい風が草木を揺らしながら私たちの髪を靡かせる。緑葉が髪に引っかかり、それを手に持つと風に運ばれて私の手から離れていった。
きっと私はいま、私らしくない暗い表情をしているだろう。なぜなら十四が今まで見たことのない心配そうな表情で私を見つめているからだ。何て声をかけようか言葉を探している。まちこもそうだった。そんな私は笑って誤魔化すことしか知らなかった。
「教えてくれてありがとう晴雪。賀来次郎が亡くなって色々と大変だろうから私に手伝えることがあれば言ってよ。力になるからさ」
「その、実はカレンお姉ちゃんに声を掛けたのは相談したいことがあって」
「相談したいこと?」
晴雪にとっての本題はここからだった。
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