②神居神社と怪奇現象
西暦2023年5月26日(金)12:01 天候『晴れ』
昼休みはいつもひとりだった。
昼食は登校途中に買った菓子パンと紙パックのオレンジジュース。こんな質素な昼食を何年も続けている。節約しているのでもダイエット中というわけでもなく、それだけあれば腹が満たされるからそれで済ませている。
それを持って笑い声で満たされる廊下を歩いていく。校内のスピーカーにぷつぷつとノイズが走ると流行りの音楽が流れ始めた。
黒姫高校の昼休みには生徒がリクエストした曲が流れるようになっている。その曲に合わせてスマホで動画を撮りながら踊りだす生徒もいて、自分の足音が聞こえないくらい賑やかしい昼休みである。
食堂や購買へ向かう生徒のあいだを縫って中庭へ向かい、木製のベンチに腰かける。ここは日当たりがよくて生徒も少なくて心が落ち着ける場所だった。遠くで聞こえる雑多な音を聞きながら昼食をとり、予鈴のチャイムが鳴るまで日向ぼっこをして過ごす。それが私の日課だった。
それが現在では、授業が終わると当たりまえのように昼食を持ってまちこのところに向かっていた。誰かと食べる昼食が当たり前となっていた。いまの私は魚の味を知ってしまった猫のよう。
「まちこ、はやく中庭に行くよ。ほら十四もさっさとハリボテの天使の輪っかを外して」
「これはハリボテなんかではありませんよカレン様」
今日も今日とて三人でランチタイム。まちこと二人きりでお昼を食べていたときは中庭のベンチでちょうど良かったが、十四ともお昼を一緒に食べるようになるとベンチでは狭すぎるので、中庭の芝生エリアにレジャーシートを敷いてそこでお弁当を広げるようになった。日当たり良好で風が気持ちよく、ちょっとしたピクニック感覚である。昨年までの私には想像もつかない光景だろう。きっと羨ましがるだろうな。
まちこは鞄から弁当箱と水筒を取りだして席を立つ。
「お待たせしましたカレンさん。参りましょうか」
「まちこは今日も手作り弁当か。見た目によらず女子力高いよね」
「見た目によらずは余計です。料理は一種の科学実験ですからね、天才科学者の私にとってはお手のものです」
「ちなみに今日のおかずは?」
「オムライスとポテトサラダ、和風だしのナポリタンですね」
「昭和の喫茶店みたいなチョイスだなぁ~」
和食のチョイスが今どきの若者が作る料理ではない。普通なら揚げ物とか卵焼きとか、そういう具材を好むお年頃だろう。
「今日は十四も手作りお弁当?」
「もちろんです。栄養バランスを考えた無添加の身体に優しいお弁当ですよ」
ちなみに十四もときどき手作り弁当を持参するが、新婚夫婦の愛妻弁当みたいに
しかしながら私は疑っている。
十四は自分で弁当を作っていると主張しているが、はたしてそうだろうか。以前、お弁当のおかずに『バジル香る白身魚のムニエル』があり、興味本位でどうやって作ったのか過程を聞いてみたところ、十四はあからさまに動揺しながら、「愛が料理に変化したのよ」とワケの分からない発言をしていた。いつか真実を暴いて、からかってやるつもりだ。
「そんじゃあ行きますか」
「あの」
聞き馴染みのない可愛らしい声がした。まちこや十四の声が裏返ったわけではなさそう。その声に振り返ってみるとクラスメイトの女子生徒が立っていた。彼女は緊張しい面持ちで私と目を合わせてくる。
「ピンク色だ」
私の第一声は相槌なんかではなくソレだった。ピンク色というのは髪色のことだ。その女子生徒のヘアスタイルは普通のボブなのに、髪色がド派手なピンク色をしていた。
そんなピンク髪の生徒がこのクラスに居ることは知っていたが、こんな間近で観察したのは初めてだった。だから私もまちこも彼女の髪色にしか目が向かない。誰だってそうだろう。
「ピンク色の髪ですね」
「知ってるかまちこ、ピンク色の髪の女の子は基本的に主人公枠なんだよ」
「しゅじんこうわく?」
「しかもハッピーエンド枠でもあるんだ。ピンク色の髪のキャラクターが不幸になる物語を私は知らない」
「ピンク髪にそんなジンクスがあったなんて! でしたら明日から私もピンク色に染めて」
興奮しているまちこの背後から、十四が苦笑いを浮かべながら肩を叩く。
「真に受けないでまちこちゃん。カレンが言っているのはフィクションに限定された話だから。私は心配だよ、いつかまちこちゃんが悪い男に騙されそうで。それにまちこちゃんがピンク色に髪を染めたら個性のビックバンが起こっちゃうから」
お昼休みだから十四は天使の輪っかを外している。つまり今は『天使様』ではなく十四サイドである。青い巾着袋に入ったお弁当箱を手首にかけて、良い匂いをまき散らしている。お腹が鳴ってしまう。
「なあ十四」
「なによ」
「個性のビッグバンって何?」
「うるさい」
「個性のビッグバ――」
「う、うるさいわっ!! 掘り返すなっ!」
例えのクセが強いだろ。どうやったらアホみたいな例えが出てくるのだろうか。そんな身内漫談をしていると、声をかけてきた女子生徒は「あの!」と口調を強くする。女子生徒は自らの髪を指で遊ばせながら不服そうな顔でこう言った。
「これはピンクじゃありません、桜色です」
「私の直感が言っている。この子はめんどくさい子だ」
桜色も配色グループでいえばピンク枠には変わりない。それなのにわざわざピンク色ではなく桜色であると指摘するやつがいるだろうか。いるとすれば、そいつはめんどくさい性格のやつだ。いずれ某芸能人みたいに『白色は200色あんねん』とか発言しそうである。
「それよりも私のことを憶えていますか?」
ピンク髪の女子生徒はそう訊ねてくる。まちこでも十四でもない、この私に向かって。やはりこの子はめんどくさい子だ。大人になったら「私って何歳に見える?」と口癖のように言いそうだ。
「これは回答を間違えれば魔法少女に変身なされて魔法でちゅどんっとされるやつ?」
「いったいどんな恨みを買ったのよカレン。でも魔法少女に変身するなら少し見てみたい気もするかも」
「おいおい十四、私が魔法でちゅどんっとされてもいいって言うのかよ」
「むしろどんな魔法でちゅどんっとするのか見てみたいわ。社会勉強としてね」
「悪魔め」
「天使よ」
そのやり取りを聞いていたピンク髪の女子生徒は「あ、あの別に恨みがあるとかそういうのでは……」と口ごもる。十四にかまっているとお昼休みが終わってしまうので、私はもう一度、ピンク髪の女子生徒を観察することにした。
ヘアスタイルは肩に届かないあたりのボブで毛先が内側にカールしている。表情や態度から読み解くと、彼女は内気な性格だと思われる。身長が160センチくらいあり、スタイルもバランスがとれている。とくに胸部は高校一年生とは思えないほど著しい成長を感じる。まちこや十四と比べるとなおそう思う。それにまちこや十四とは違ったジャンルの可愛さがある。
「ねえカレン。いま私たちと見比べて失礼なこと思ったでしょ。天使センサーがビビッと反応したわ」
「十四にとって天使様はコメディとなったんか?」
しかしながら彼女を観察すればするほど、問いの答えが沼に沈んでいく。どんなに頭を捻ってもやはり答えは出てこなかった。
「やっぱりそんなピンク色の髪をした子は知らないなぁ」
「髪は中学生の頃に染めたんです。父が亡くなったストレスから白髪が増えたので。それに気持ちを晴らして心機一転する理由もあって明るい桜色に染めました」
「その度胸に乾杯」
「返しが絶妙にダサいです。やめてください。それを言うのは若い子にカッコつけたがるおじさんだけですよ」
まちこの冷ややかな視線が突き刺さる。
それにしても人目を気にする年頃の女の子なのに、髪をピンク色にする勇気は素直にすごいと思う。髪色以外はパッと見ると普通の女の子なのに。ちなみに黒姫高校は校則で髪染めが禁止されているが、β棟の生徒は例外である。β棟の生徒には自主性を重んじているため身だしなみは自由なのである。
「髪を染めたのは中学生の頃で、それ以前のわたしは普通の黒髪でした。私とカレンお姉ちゃんが出会ったのは髪を染めるもっと前です」
「「カレンお姉ちゃん!?」」
まちこと十四の声が重なる。いつの間に息ぴったりの仲になったのだろうか。嬉しい限りである。
「あっ、自己紹介がまだでしたね。私の名前は
「「神社の神職!?」」
またもや息ぴったりにハモるまちこと十四。なぜだか羨ましくも思えてくる。それよりも私は『
「ん、神居って、もしかして
「はい、私が娘の
「ちょっ、ちょっと待って。んー?」
私は腕を組んで記憶をたどる。神居という名前は知っているし、そいつの子供である晴雪も知っている。神居神社にも何度か通ったこともある。だけど一部に記憶錯誤が起こっていたようだった。
「どうしたのカレン、あなたがそんなに悩んでるなんて珍しいじゃない」
「いやね、賀来次郎に子供がいるのは知っているんだけど、てっきり『晴雪』って名前だから息子だと思ってたんだよ。当時の私はそう思って接していたんだけど、それがピンク髪の女の子として現れたら普通に脳がバグるでしょう」
「確かにそうかもしれないけど、仮にもあなた元観測者なのよね?」
元観測者のくせに見抜けなかったのか、とバカしたような口ぶりである。この堕天使め。
「確認だけど晴雪は女の子でいいんだよね? 男の娘とかじゃないよね?」
「たしかに名前は男の子みたいですが性別は女性ですよ。それに私がまだ小学生くらいのとき一緒にお風呂にも入ったじゃないですか。ほら喉仏だってないで……え?」
ぺらり。私は腰を曲げて蕎麦屋ののれんをめくるかの如く、晴雪のスカートをめくった。
ピンク色で桜の刺繡が施されたポリエステル素材のパンツが眼前にある。フリルも付いている可愛らしいパンツである。そして彼女の主張どおり、そこに『モノ』は付いていなかった。
「うむ。確かに女の子だ」
「や、やああああ!!」
恥じらいある可愛い悲鳴のあと、まちこと十四から「パコンッ」と息ぴったりに頭を叩かれたのであった。
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