2_天野十四

①十四と天使様

 西暦2023年5月22日(月)10:25 天候『晴れ』


 世界史の授業は退屈だった。

 先生の名誉のために補足しておくが、授業が退屈というわけではなく私自身が歴史そのものに微塵も興味がない。だから退屈なのである。世界史だけじゃなく現代史も同様に、人類の軌跡や偉人たちの活躍も、教科書に載っているものは私にとっては同人誌としか思えない。


 同人誌どうじんし。第三者が作り出した創作物。

 例えば今開いているページには飛鳥時代が掲載されている。当時の記録はすべて観測者である私たちが行い、書物として残していた。それなのに一部事実と異なる当時の記録が記されており、その誤った知識を歴史として学ぶ同級生らを見ていると胸の奥に不快感が残る。解釈違いの同人誌をみてもなんら楽しくない。私はそういう厄介オタクなのである。


 そもそも偉人ばかりを学んで何になる。義務教育を受ける99%は平民として生き、平民として死ぬのだから。もっと平民たちにスポットライトを当てるべきだ。彼らの暮らしや生活の知恵は現代を生きる上でかならず役に立つ。他にも平民の恋物語を描いた世界史を作るべきだと私は思う。


 ここで私の思い出話をひとつ。飛鳥時代に私が観測者として田舎の農家に下宿していたときの話だ。その農家は広大な畑を家族三人で管理して、作った野菜は村に卸していた。

 ある日、黒馬に乗ったイケメン貴族が農政改革のため視察にきた。さらにイケメン貴族は農家に一泊することになった。それから数日後、驚くことにその農家の田舎娘がイケメン貴族に嫁いだのだった。身分が違うのに夫婦になれたワケは田舎娘による恋愛戦略によるものだった。


 彼女は逞しかった。農家に一泊したイケメン貴族に家庭的な面をみせつけ、料理をふるまって胃袋を掴み、花の蜜で作った香水で気を引き、最後には夜這いをしたそうだ。田舎娘は農業をしながら日々、自らの美を磨いていた。結果、骨抜きにされたイケメン貴族は婚姻を承諾した。そのとき私に向かって満面の笑みでガッツポーズしていた彼女は今でも鮮明に思いだせる。


 少子高齢化と呼ばれる現代に、そういった勢いっていうのも大切だと私は思う。他にも江戸時代の夜の営みの誘い文句や百物語(18禁バージョン)。大正時代の制服コレクション100選とか。同じ同人誌ならそっちのほうがよっぽど楽しいでしょう?


 そんなことを思いながら革命家ナポレオンが跨いでる騾馬に天使の羽を落書きしてペガサスに神化させていた私は、残り十五分を落書きだけで過ごす気にもなれずどうやって時間を潰そうかと考えていたとき、それは突然起こった。


「あぁ、目がぁ、目がぁぁぁっ!!」


 耳を引きちぎられそうな叫び声が教室を揺るがした。クラス中の視線は一点に集中している。両目を押さえながらイスから転がり落ちている女子生徒に。悲鳴に近しい苦痛の叫び声にクラス全体がどよめく。痛みに耐えきれないのか床に落ちた彼女はイモムシのように身体をくねらせている。


 苦しみ悶える生徒に適切な処置を施せなんて新米教師には荷が重かった。新米教師は怯えきって一歩も動けずにいた。教科書とチョークが彼女の手からこぼれ落ちる。平穏な日常に爆弾が投下されたみたいに、いったいなにが起こっているのか状況が掴めず、理解が追いつかず、頭が真っ白のまま誰も彼もが戸惑っていた。


「だ、大丈夫かまちこ!!」


 皆の注目を集めていたのは湖畔まちこだった。私は通路を邪魔する机を手でかき分けて、痛みに悶える友人(仮)の湖畔まちこに駆け寄った。白衣がホコリまみれだ。髪の毛も乱れてチャームポイントの二つ結びもほどけている。額から脂汗が滲んでいる。私はまちこの上半身を起こして身の安全を確保する。目から血が出ているわけではなかったが滝のように涙が溢れでている。目を開けることもできないらしい。


「うぅ目が、目がぁ……」

「外傷はない。腫れもない。痙攣もなし。くそっ原因が分からない。まちこ何があったか話せるか?」


 彼女は苦痛にさいなまれる中、震える腕でとある生徒を指さした。うまく声が出せない代わりに犯人が誰かを伝えようとしている。まちこをこんな目に遭わせた加害者がいるということか。


「あの人の……あの光が」


 このとき自分のなかで怒りが芽生えていたことに驚きつつ、私はその方向へすぐに顔を向けた。指先が示す人物はまちこの斜め前に座る女の子だった。


「へ、わたくしですか?」


 加害者はまさか原因が自分だと思っていなかったようで困った様子で聞き返した。


「いったいまちこに何したんだよ、天野」


 天野十四あまのてんし。『じゅうよん』でも『とし』でもなく、『てんし』と読むそうだ。彼女は日本とイギリスのハーフ。顔立ちは日本人よりで夕陽に照らされる稲穂のような黄金色の髪をもつ。いわゆる金髪女子なのである。彼女は入学式でもよく目立っており、α棟の大勢の生徒から注目を浴びていた。


 たしかに純金髪も珍しいと思うが、彼女が一目置かれるのは金髪だけが理由ではない。ここで湖畔まちこの言葉を添えておこう。


『そういえば私たちのクラスって個性的といいますか好きな事に一直線といいますか、そういう人が集められていますよね。ステラハートさんは棺桶持ってるし、ハリボテの天使の輪っかを頭に乗せている人もいますし……』


 彼女の頭上には『天使の輪っか』が浮いている。ハリボテの天使の輪っかが。

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