⑧小さな科学者と惚れ薬
非常用出入口の緑の人に見守られながら夜の学校を歩きまわる。
学校で寝泊りするといったものの布団は必要不可欠だった。硬い床で寝るなんて考えられない。だからまちこが準備をしている間、私は体育倉庫から防災用の布団を拝借してきたのだった。
「お”も”た”い”よ”~」
銀色の袋に収納された布団二個分を背負って科学実験室へ向かう。廊下を隔てる電子壁も電気が落ちれば無力化するようだ。念のために手を伸ばして確認してみる。痺れはない。大丈夫そうだ。
天井は星空のごとく無数の小さなライトが瞬いている。アレが防犯カメラだと知らなければ美しい景色だと思っただろうに。こんな気持ちの悪いイルミネーションは初めてだ。
「まちこただいま」
「おかえりなさい、布団ありましたか?」
「私の予想通り、体育館の教壇下に防災用品が収納されていたよ。ついでに非常用のクッキーも持ってきたよ」
薄暗がりの科学実験室にまばらに置かれたアルコールランプが灯る。電気を点灯させるわけにもいかず必要最低限の光で作業するにはアルコールランプは最適だった。それにロウソクと違って色素が薄く、火の形が美しい。見ているだけで癒やされる。アロマを焚けば科学実験室がリラクゼーションルームに大変身するだろう。
「さすが自称天才ハッカーと豪語するだけあるね。防犯カメラは作動しているのに感知されないんだよ。おかげで迂回せずに堂々と廊下を歩いて来れたよ。まあその分、私の三万円がお空に消えたんだけどね」
「だから自称をつけないであげてください。いつか痛い目見ますよ?」
こうやって夜間の学校を動き回っても警備員に見つからないのは、クラスメイトである自称天才ハッカーが警備システムをハッキングして映像を偽装してくれているからだ。ちなみに依頼料三万円。クラスメイトだからって容赦なかった。
「私達がα棟に行けたのも電子壁のセキュリティカードキーを作ってくれた彼女のお陰ですからね」
「お近づきのしるしにってセキュリティカードを入学初日にクラス全員に配っていたね。いつの間に作ったんだよって話しだ。まったく私たちのクラスは面白い人たちばかりで飽きないよ」
アロマに負けず劣らず、喉を鳴らしてしまうほどのあまい香りがこの室内に充満している。その匂いに誘われてまちこの隣に座る。作業テーブルにはガスコンロと大きな鍋。それを囲むようにまな板や食材、そしてまちこの元気の源であるハッピーカラフルグミが散乱していた。
「いい匂いだなぁ。味見したいくらい」
「別にいいですけど私にメロメロになりますよ?」
「現在進行形でまちこにメロメロメロンパンだからきっと効果ないよ。それで鍋のなかはどんな感じ……うげぇ」
「うげぇ、とはなんですか、うげぇとは」
大きな鍋からもうもうと湯気が立ち昇る。
こんなに甘くて美味しそうな香りがするのに、本体はエイリアンの血液のような紫色の液体となっている。その正体はいわずもがな、惚れクスリである。味見はやめておこう。それにしてもこの紫色の液体が薄ピンク色に変わるのかと思うと逆に興味が湧いてくる。
「ちむどんどんだなぁ」
「どうして数ある言葉の中からそれをチョイスしたんですか……」
スーパーマーケットで購入したさくらんぼを鍋に投入する。ちなみにさくらんぼの下処理をしたのはこの私だ。今は暇を持て余しているがちゃんと仕事はしているのだ。
「カレンさん。このさくらんぼ種が残ったままです」
「あっはい、ごめんなさい」
まちこはヘラを使い、全身を大きく動かして鍋をかき混ぜる。身長が届かないので木の椅子に乗っている。こうやって彼女を見ていると魔法薬を作っている魔女見習いのようにしか見えない。
「聞きそびれたけど惚れクスリを作るってことは、ステラハートに惚れされたいってこと?」
そもそもの話だ、どうして惚れクスリを作ろうとしたのか。そしてその被験体にステラハートを選んだ理由は少なからず好意があるからなのか。まちこの行動がラブによるものなのか好奇心によるものなのかによって私の立ち振る舞いが変わってくる。惚れクスリ制作の手伝いをしているのだから、それくらいは知る権利はある。
「惚れクスリの本来の用途としては飲ませた相手に恋愛及び性的感情を持たせ、苦楽無くして意中の相手を自分のものにできるという代物ですが、成分としては持続性のある媚薬のようなものなのです」
「説明ありがとう」
「だけど、私はそういう目的で使用したいわけではないのです。ステラハートさんに恋愛感情を持ってもらいたいわけではありません。だから成分配合も私なりに調整してオリジナルにしてあります」
「んで、端的に言うと?」
「お友達が欲しかったんです」
「知識の無駄遣いとはこのことを言うのか」
まちこが調合している間、私は雑談を交わしながら二人分の布団を敷いていた。自宅から持ってきたフード付きのアニマルパジャマに着替え、もはや寝る準備は万端だ。ちなみに私はパンダパジャマで、まちこがレッサーパンダパジャマある。そんなパジャマパーティは定番の恋バナで盛り上がるわけもなく、まちこの悩み相談タイムになっていた。
「ずいぶんと素直に打ち明けてくれるね。話してくれないかと思ったよ」
「今さらカレンさんに隠すつもりもありませんし、そんなちゃっちいプライドは持ち合わせていません」
「かっちょええ」
まちこが作業している傍ら、乱雑している袋から彼女の元気の源であるハッピーカラフルグミを取り出した。小豆のような小粒のグミがわんさか入った子供に大人気商品。定価126円。それをまちこに与えると小動物のように口元をモグモグさせて、食べ終わると小さい口が開く。もう一粒食べさせろという無言の訴えだった。仕方なくグミをつまんでまちこの口に運んだ。そしたらまた口が開く。
「……」
観光地にあった『野生動物に餌を与えないでください』という看板を思いだした。
「じつは研究所で働きはじめる前、1年間だけ小学校に通っていたことがあったんです。ですがその学校では独りぼっちでした。いじめられていたワケではありません。自ら孤立した生活を選択したんです」
「でも今は友達がほしい、と」
まちこは手を止めて「…はい」と鍋に目を落とす。ヘラを持つ手に力が入り、物寂しげな顔で巨大な水槽に顔を向けた。
「一匹オオカミを気取っていましたが、内心は憧れていたんです」
水槽を泳ぐメダカは群れを成して一定方向を泳いでいるが、岩陰に一匹、孤立しているメダカがいた。まちこはそのメダカを自分と重ねて見ていた。
「一匹チワワか」
「オオカミです」
「一匹秋田犬か」
「オオカミです」
ちゃっちいプライドは持ち合わせていないんじゃなかったっけ? そう言いたくなるほど頑固だった。
「傲慢だな。百歩譲ってブルドックにしとくよ」
「だったらチワワの方がいいです!! 一匹チワワにさせてください!!」
「ブルドックでいいじゃん。強さも可愛さもブサも兼ね備えているんだよ。何が気に入らないのさ」
「ブサです!! ブサの部分が癪に障るんです!! こんな身なりだけど周りの目を気にする乙女なんです。ブサは傷つきます!」
「容姿の話をしているわけじゃないんだけど」
「内面もです!! 「ブルドックみたいな性格してるね」なんて言われてみてください。一晩中気になってご飯が喉を通らんです! そもそもブルドックみたいな性格ってなんですか!」
「ブルドックのブルって『雄牛』って言うらしい。つまり雄牛のような逞しさじゃない?」
「私は雌です!」
「『私は雌です』ってワード、なんかエロい」
「あーー、話が一向に進まないっ!!」
そんな会話をしながらもまちこは手を止めない。ヘラで液体をすくい、滑らかさを確認しながらバニラエッセンス、謎の青色の薬品を投入してかき混ぜる。代わろうかと訊ねたが、まだ大丈夫、と返されてしまった。プロ根性が垣間見えた。
「とにかく私は、『おはよう』も『ばいばい』も当たり前のように交わし、お喋りしながら食べるお昼ご飯や、道草を食う放課後。そんな友達のいる普通の学校生活が羨ましくて焦がれてしまったのですよ」
「友達が欲しいなら自らの足で歩みよればいいじゃん。そんな惚れクスリを使ったところで」
「分かっています」、とまちこは声を被せてくる。
「これは私が求める友達作りではないことくらい。こんなことしたって本当の友達はできないことくらい。でも入学当初の私はとにかく焦っていました。孤立を恐れて焦った結果がこれです。まあ今ではこの惚れクスリの効果だけが知れればそれでいいのですが」
ヘラに付着したどろどろしい液体は、水面を叩いたような鈍くて重厚な音を鳴らして鍋に戻っていく。寂しさがより一層際立つ。
「私なんかに友達ができるでしょうか……」
「どうして?」
「ほら私、こんな身なりですし自分でいうのもアレですが科学以外は何も知らない世間知らずなんです。最近のトレンドもテレビドラマの話も分かりません」
「だったらまずその科学者スタイルやめてみれば? とりあえず普段から白衣着ている女子高生なんて今も昔もいないわけだし、白衣を脱げば誰かしら話しかけに寄ってくるんじゃない?」
「嫌です。これは私のアイデンティティなんです」
「簡易的なアイデンティティだね」
しゅんと、まちこは分かり易く落ち込む。子犬だったら耳が垂れ下がっていただろう。
「でも、まちこみたいに周りに流されず独自性を持ってる人は私は好きだよ」
肯定してくれるとは思わなかったのか、茫然たる顔で私をみる。気を遣われたわけではないことが分かると嬉しそうに「ありがとうござい……」、と口にした。その細々とした声は湯気に混ざりあい、最後の一文字まで私の耳に届くことなく空気中に溶けていった。
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