⑨小さな科学者と惚れ薬
大鍋で煮詰まった液体がグツグツと音を鳴らしている。鍋底が焦げ付かないようにまちこは丁寧にかき混ぜている。
「なんだか温かいです」
「そりゃあ鍋の前にいるからね?」
「そうじゃないです。カレンさんと一緒にいると胸が温かくなるんです。くだらない冗談を言い合ったり、にゃんこを観察して可愛さを共有したり、一緒に買い物もだってしました。友達ってこんな感じなのでしょうか」
たった数時間だというのに私と過ごしたひとときを思いだして頬を緩ませる。私にだけ見せる愛くるしい顔に私のハートが撃ち抜かれる、なんてことはなかった。その銃は轟音を鳴らすだけの空砲だった。
どうやら私はまちこに感情移入してしまったみたいだ。口を開けば、友達、友達、とご飯を欲しがる飼い犬みたいに友達の存在を求めているまちこが心配で仕方がなかった。
「……あまりこんなこと言いたくないけど、友達を作ることがどういうことか理解してる?」
それを言われて考え込むが、その答えが分からずまちこは首を傾げる。
「友達は痛みや喜び、様々な喜怒哀楽を共有できる。心の拠り所にもなりえる存在。だからこそ『友達』という自分にとって特別な存在ができると、その人の言動に過敏になってしまう」
「それがどうしたのですか?」
「会話数が少なければ自分の行いを振り返って考えてしまい、連絡が来なければ不安になるし疑心暗鬼にもなる。約束を断られて他の誰かと一緒に居たら嫉妬だってする。それで一喜一憂するのは大変疲れるんだよ」
感情的になって説教じみたことを吐いているのは自分でも分かっていた。私らしくない。普段なら『私には関係ない』と飲み込んで消化するはずなのに。みっともないからやめろ、と頭で理解していても感情が追いついて来なかった。それほどまで湖畔まちこを気にかけているのだと自分自身から思い知らされる。
「友情はときに愛よりも繋がりが深くなり、自分の醜さが露呈していくんだ。それが受け止めきれなくなるとこう思うことになる、「一人のほうが楽で良かったな」って」
ひとりで過ごしてきた時期が長ければ長いほど、余計に過敏になってしまう傾向にある。それに多情多感で繊細なまちこが、友達に騙され裏切りを経験したら簡単に心が壊れてしまうような気がした。今のまちこは花の蜜に飢えたミツバチのよう。たとえそこに毒が混ざっていたとしても体を蝕まれながら蜜を吸いに行ってしまうだろう。そして小間使いのように働いてしまう。そうなってしまうことが心配なのだ。
「友達は一種の契約行為だよ。言葉にするとしないとじゃ大違いさ。友達にならなくたって学校生活で楽しい思い出は作れるしクラスメイトと仲良く過ごせる。それでもまちこは『友達』ってやつを作りたいのかい?」
そう訊ねてもまちこから返事がなく、顎に指を添えて考え込んでいる。友達を作る、という結果に重きを置き、その先のことまで考えが至らなかったのだろう。
夜の海に沈んでいく二十一時十五分。窓の外はアルコールランプの光に反射した私とまちこが映っていた。そうやって間接的に彼女の様子を窺うも、俯いたままで表情すら読み取ることができなかった。
嫌われてしまったかもしれない。それでもいい。鋭い言葉を投げたが、私は湖畔まちこに傷ついてほしくなかった。純粋な彼女が現実に喰われて悲しみに溺れる姿を想像するだけで胸が痛くなる。
「……」
沈黙の長さは心を疲弊させる。らしくないことをすべきではなかった。逃げ出したい。今すぐにでも冗談だよってはぐらかしたくなった。そう思ったのも束の間、まちこが顔を上げた。覚悟を持って説教じみたことを口にしたが、やはり何を言われるのか怖くなって、咄嗟に顔をそむけてしまう。
「さては、カレンさんも友達がいないですね」
予想だにしなかった変化球。時間差でかぁーっと顔が熱くなる。どうしてその答えに辿りついたのかなんて知る由もないが的を射ていた。はたかも『友達ならたくさん居ますよ』『友達との苦い思い出を語ってやりました』風を装っていたが、友達がいないのは事実である。穴があったら入りたい、というのはこういうことかと身をもって体験する。
「あ、でもね、私はその、妄想でそう言ってるわけじゃなくて、クラスメイトの体験談を小耳に挟んだといいますか。マンガで読んだといいますか。確かに私も友達の存在は良く分からないし自分の体験談じゃないけど、嘘でもないというか」
「ふふっ、そんなに取り乱すなんてカレンさんも可愛いところあるじゃないですか」
「まちこ~!!」
冗談を交えてけらけら笑うまちこにホッとした自分がいた。まちこはカセットコンロの火を消して、ヘラをテーブルに置く。
「心配してくれてるのですよね。大丈夫ですよ。『友達』になれるなら誰でもいいとは思っていません。そこまで血迷ってはいないので安心してください。私は私自身が友達になりたいと思った人としか友達になりますので」
「それならいいけどさ」
「でもカレンさんのおっしゃるとおりです。経験はありませんが友達と喧嘩したり嫌われたりしたら辛いでしょうね。きっと夜も眠れなくなりそうです。ご飯も喉を通らないかもしれません」
だったら友達なんて作らないほうが良いよ、なんて冗談でも口に出せるわけない。まちこは小さな手を胸の前にもってきて、両手の指先を合わせながら私に微笑んだ。
「ですがカレンさん、ひとりはもっと辛いんですよ?」
時々、まちこは寂しげな目をする。それを向けられると言葉が詰まる。
「大人になって学生時代を振り返ったとき登場人物が私一人だけなんて寂しすぎます。ひとりの時間は充分過ごしました。孤独に心が慣れ始めてしまうくらい充分に」
「まちこ…」
「私には夢があります。お友達を作って、喧嘩も嫉妬も、そして仲直りもしてみたいのです。お出掛けもお泊り会も、そして恋バナも。背中を預けるんじゃなくて隣で笑いあいたいのです。良いコトも悪いコトもそれらすべて私の宝物になると思います。みなさんにとっては日常的すぎて鼻で笑われそうな夢ですが」
「笑わないよ」
「はい。カレンさんならそう言ってくれると思いました。今こうして、カレンさんと一緒に過ごしている泡沫のような時間も私にとって大事な思い出の一つなんですよ?」
瞼を閉じて胸に手を当てて、大事な思い出とやらの存在を確認している。私と過ごした数時間を大切そうに胸に刻み込んでいる。
「それに肌に合わなければ一匹オオカミに戻りますし、イジメに遭ったら加害者に毒でも盛ってアメリカに逃げますし。完全犯罪はお手のものです」
「ひえぃ、まちこが言うと冗談に聞こえないから」
「あははっ」とまちこは笑みを溢す。
「もちろん冗談ですよ。きっと私は変わりたいんだと思います。研究所で働いていた時もコミュニケーションが上手く取れていたかと言われたら胸を張って頷けることはできません。友達作りは思い出作りでもあり、私の科学者人生に多大な影響を与える経験にもなると思っています。だからちょっとやそっとじゃ逃げたりしません」
なにをきっかけに彼女を縛り付けていた枷が外れたのか分からないが、さっきまで弱気だった彼女の面影はもうない。湖畔まちこは純粋だ。素直で眩しい。私と違って。
「それが聞けて安心したよ。この先まちこが友だちに囲まれてどんな学校生活を送るのか楽しみだ」
「他人事のようですね」
「他人事だからね」
まちこは不満そうに頬を膨らませている。
「カレンさんはお友達を作らないのですか?」
「私に友達は向いていないんだよ」
「偉そうなことはあまり言えませんが、友達に向き不向きはないと思いますが」
鼻で笑ってしまうほど全くもってその通りだった。友達をするのに向き不向きなどない。その場しのぎの薄っぺらい言い訳を口にしただけ。それでまちこが納得してくれるわけはなかった。
「話してくれませんか?」
真剣な眼差しが私に向けられる。私は自分語りがあまり得意ではないし、面と向かって自分のことを話すのは苦手だ。だから私はまちこの手を握り、力いっぱい彼女を引っ張って毛布にダイブした。
「とりゃあっ」
「なにを、わわっ!!」
まちこもまた抵抗する間もなく引きずり込まれていった。
「あはは、まちこは見た目どおり軽いなぁ」
「ぷはぁ、突然何するんですか!!」
手を繋いだまま布団の上で仰向けになる。アルコールランプの火に照らされた鍋やスクールバッグが天井に影を生みだし、その影がゆらゆらと揺れている。まるで海中から空を見上げているような感覚だった。
「本来ならば私は、みんなの記憶に存在しちゃいけないんだよ」
「それはカレンさんが”観測者”だからですか?」
その返答に思わず起き上がってしまう。まちこは顔色も変えずにジッと私を見つめていた。
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