⑦小さな科学者と惚れ薬
「もう陽が暮れてきましたね」
駐車場の街灯がチカチカと点灯し始めている。空はまだ赤みを帯びて哀愁漂う空模様だった。
「カレンさんどこへ行くのですか? 学校に戻るにはこっちのほうが近いと思うのですが」
「すこし遠回りになるけど商店街を通って行こうよ。きっと喜ぶからさ」
「分かりました……?」
スーパーマーケットの敷地から車道を挟んだ先に、神社の鳥居のような商店街の入り口門がある。その門を通り抜けると風景が一変する。
「わぁ!」
眩しい夕陽に照らされた古びた商店街の風景に目が釘付けであった。
タイルを砕いてはめ込まれたデザインの地面、その両サイドにはオレンジ色の温かい光を纏う石灯篭が道を照らしている。京都の花見小路に似てノスタルジックな雰囲気を演出している。
まちこは感動が声に漏れるほど喜んでいた。
「ここ数年間はアメリカで暮らしていたので、こういった和の雰囲気は久しぶりです!」
まるで新婚夫婦のように買い物袋の持ち手を二人で分けて、ぶらぶらと揺らしながら地元観光を楽しむ。足元から長く伸びる影だけ見ると私とまちこは親子のようにみえた。
「私はずいぶん長いことこの街に住んでいるけど、見慣れたはずの商店街も日が落ちるとこんなに雰囲気が違うんだね。色違いのタイルの地面も、藍色に変色した木造の店舗も、昼間にみたら『古ぼけてるな』としか思わなかったのに今はとても美しい。そう思うのはまちこと見ているからかな」
「私と……」
カシャ、と手に持っていたビニール袋が急に重くなる。隣を歩いていたまちこが足を止めていたのが原因だった。まちこは沈黙のまま立ち止まり、二人を繋ぎとめるビニール袋を凝視していた。お互いにビニール袋を握ってなかったら気付かずに歩き続けていたかもしれない。
「まちこ?」
「あ、いえ、すみません。少しボーっとしちゃいました。それよりも——」
感情を悟られないようにまちこはすぐ隣まで駆け寄って話題を変える。その異変に気付かない私ではない。
「そういえばまちこはどうしてこの学校に入学したんだい?」
「研究所の所長さんに勧められたんです。私は科学に関しては自他ともに認める天才です。それは普通の学校とは違う環境で知識を会得したからなのです」
「英才教育ってやつ?」
まちこは正面を向いたまま小さく頷くだけだった。あまりこの話題に触れてほしくないのだろう。私も嫌がることはしたくない。だから頭の片隅にでも保存しておくこととした。
「ゆえに私はロクに学生をしていませんでした。青春は蜜の味という言葉の意味も知りません。それでも別に良かったのですが、ある日、研究所に派遣された若い研修生が学生時代の思い出話をしたときがありました。衝撃を受けました。私の経験したことのないお話ばかりで、夢中になって聞き入っていたのを覚えています。そのときの私は冒険譚を読んで冒険者に憧れる子供のようだったと思います」
「あはは、目をキラキラさせてるまちこ、なんか想像できる」
「そんな私をみて心配した所長さんと研究所の皆さんが、研究員の籍を残したままでいいからと言ってこの学校に通わせてくれたのです」
「優しい人達だね」
「そうですね。だから研究所の皆さんに良い報告ができるよう友だ……」
まちこが吐露した真情は途中でカットされ、まるで呪いの言葉を口にしてしまったかのようにきゅっと唇を結ぶ。
ふと足元を見比べると若干まちこが遠くに感じた。気のせいではない。私とまちこの間にはビニール袋一つ分、それに加え半歩分のスペースが生まれていた。物理的にも距離を置かれていた。
(あぁ。そうかこの子は、湖畔まちこは……)
そのとき私は思った。湖畔まちこは見た目も内面も子供っぽさが溢れ出ているが、誰よりも早く大人の世界に仲間入りしているひとりの女性であると。
近づきすぎたら離れ、離れすぎたら近づく。そういう一定の距離感を保ちながら大人の世界で人間関係を築いてきたのだろう。社会というものはそういったメンドクサイ距離感が一番好まれる。それを湖畔まちこは齢16で経験し、空気を読んでいるうちに自然と身についてしまったのかもしれない。
それが今の彼女の弊害となっている。距離の縮め方が分からなくなっている。ロクに学生時代を経験せず、中途半端に大人の世界へ足を踏み入れ、中途半端に大人の世界に染まった彼女にいまさら学生をしろというのも酷な話だ。
友達を作りたいと思っていても、相反して『友人』の境界線の手前側にいることに居心地の良さを覚えている。踏み出すことに怖さを感じている。だから私がぐいぐい近づいたとき彼女は戸惑った。そしてこんな思考を巡らせたに違いない。
ここは離れるべきか、と。
「まちこはメンドクサイな〜」
「はあぁ?」
近づけば近づくほど思う。湖畔まちこは面倒くさいヤツだ。
「でも、そんな
「……なんですか、それ」
まちこは比較的に感情がすぐに表に出るタイプだが、このときだけは、彼女が何を思っているのか表情だけでは読み解くことができなかった。
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