七回目の面会はニュースを見た一週間後に行った。

「先日ニュースを拝見しました。市内の高校に机と椅子を寄付されたそうですね」

「ああ、そうだ」

「その際に、生徒に向けて演説されましたね? しかしあれはただの演説ではない」

「そうだ」

「あれはあなたと生徒の間で交わされた取引だ。あなたは彼らが教育を終えた頃に加見野市に戻ることを条件に寄付を行った」

「そして彼らは同意した」市長はふんと鼻を鳴らす。

「同意をしたわけじゃない。生徒達はこの契約を知らないんです。あんなもの、お礼の定型文を述べたにすぎません」

「しかし取引は成立した。違うか?」

 その通りだ。生徒は取引を知らなかったとはいえ、贈呈の恩に報いる形で市長の願いに応えるとはっきりと明言した。その時点で取引は成立し、生徒達には取引内容遂行の義務が課せられる。

「こんなやり方は倫理に反します」

「そうだろうな。だから今まで金の使い道は伝えても取引内容は伝えなかった」市長はコーヒーを啜る。「言ったら君は私を止めただろう」

「当然です」僕は即答する。契約上御先は介入できないことはわかってる。それでも僕は自分の気持ちを抑えられなかった。

「それがわかっていたからあえて口にしなかった。でもこれが私の最後の寄付だ。君はもう心配しなくてもいい」

「心配しなくてもいい? これからあの生徒達は将来を勝手に決められ、どこに飛び立とうとも常に加見野市に鎖を繋がれた状態になるんですよ?」

「取引内容は本人が自ら希望しているように錯覚した状態で強制的に遂行される。つまり彼らは自分から望んで加見野市に戻ってくることになる。それで苦しむことはない」

「そういう問題ではありません」

「ではどういう問題だ? 生活環境の問題か? 確かに都会に比べれば今の加見野市は不便で娯楽が少ない。しかし、そこに若者が流れ込んできたらどうなる? そして他に移る選択肢がない者たちはどうする? 自ら事業を起こしてビジネスを展開し供給を増やしていくだろう。人が増えることで需要も尽きないだろうからビジネスもうまくいくようになる。そうして街が活性化していく。初めの数年は過渡期になるから市民たちはその中で揉まれ苦労するだろうが、いずれ落ち着く。そして彼らは住みやすい街を自らの手で作り上げるだろう」

「だからって……」

「政治も変わる。今は多くの有権者が子育てを終えた世代だ。自らの老後ばかり心配する層だ。私が子育て支援に金を回そうとしても多くの有権者がそれを拒む。表では子育て支援の大切さを語りつつ、腹の中では自分達にこそ金が使われるべきだと考えている。そして自分達を支援しない政治家には票は入れない。単純な構造さ。政治家だって自動的に支持者が多い方を優先するようになる。ベビーブームのお陰で常に多数決で勝てる層は手厚く支援が受けられ、少子化に悩まされる若年層は常に残りかすをあてがわれる。でも若年層の人口が増えれば政治家もそちらに耳を傾けなければいけなくなる。なんせそれで支持率が変わるからな。荒療治ではあるが、少しずつ加見野市に戻ってくる若者たちに住みやすい街になるはずだ」

「彼らの本当の望みはここに戻ってくることじゃないかもしれない。いくら市長の地元愛が強くても、地元が苦しみの原因である人もいます。ここでは暮らせない人達は新天地で新しい生活を望むはずです! 彼らはどうなるのですか? 最低でも10年、彼らは望まない地域に縛られ離れることはできない。その理由も知らないまま、身も精神もすり減らしていくでしょう。唯一の方法が加見野市から離れることだとしても、あなたはその選択肢をすでに奪い去ってしまった」

 それにこれは現在高校に通っている生徒達だけに課される義務ではない。第五条にある様に取引された物品が後に相続されれば、それを受け取った人達にも取引内容遂行義務が課せられる。つまり、寄付された机や椅子を使用する現在の生徒もこの先寄付された高校に入学する生徒達も、加見野市に戻ることを余儀なくされる。彼らだけじゃない。パソコンの寄付を受けた大学もだ。寄付された最新のパソコンを使用した学生は無条件で取引に巻き込まれる。そしてすでに決まってしまった将来に向けて歩き出す。一体どれだけの人が将来を奪われるのか。

「人の自由を奪ってまでやることですか?」

「自由? そもそも自由とはなんだ? 人は本当に自由なのか?」市長は声を荒げ、僕を射貫くような目で見る。「人は自由を欲して夢を見る。だが自由とはなんだ? 今もし君が目の前に万もの選択肢があったら君は選べるか? 金の心配もしなくてもいい、何のしがらみもない状況で、それこそ星の数ほどの選択肢を目の前にした人が真っ先に感じるものはなんだ? 恐怖だ。何を選べばいいのか、何をすればいいのかわからない恐怖。自分の将来がわからなくなる。自分の道を見失う。皮肉なことに人は選択肢が多い程道に迷うのだ。本当の自由を目の前にした人はまず不安になる。そして限られた選択肢しかない不自由に戻りたくなる。考えなくていいからだ。不自由は制限があるが楽なんだよ。人は自由を夢見ながらも不自由を手放せない。その相反する状況で、不自由にしがみつきながら自由を詠う。私達は皆狭い檻の中で、限られた選択肢の中でしか生きる道はない。不自由に不満を漏らす者は彼らにとって檻が少しだけ狭いだけだ。自由を得たと豪語する者は自分の檻を少しだけ大きくしたに過ぎない。その空間が少しだけ広がることを、その中にある限られた選択肢が少しだけ増えることを私達は『自由』と呼び、歓喜する。全員檻の中にいることも知らずに。手にした『自由』が少しだけ制限が解除された『不自由』だとも知らずに。私のやっていることは人の選択肢を狭めることだと言ったね。その通りだ。でも一生ではない。私は彼らの檻を10年程この地に置くだけだ。この街が発展すれば、彼らの檻も少しずつ広くなる。多くの人間が憧れる都会暮らしのような生活だって不可能じゃない。この地に住む彼らがその選択肢を作り出すのだ。彼らは檻の中で『自由』になる」

「それはあなたの勝手な理論だ。人が自由だと思えばそれは自由になる。自分の住む場所を選ぶことは人権だ。権利の施行が自由なんです。人は生き方を選べるはずだ」

「選べるだと? このしがらみだらけの国で? 一体いつ人が自由に物事を選べるようになった? 私は生まれてこの方自分を自由だと思ったことはない。市長になる前はただの市民だった。民でいた頃は国の奴隷だった。市長になってからは市民の奴隷だ。これだけの地位を得ても私の檻はまだ狭いままだ」

「奴隷は誇張した表現です。それにあなたの地位があればできることも多い。多くの人にとって不可能なことをです」

「その分大衆にとっての自由が私にはない。私に向かって唾を吐きかけ、汚い言葉を吐く人達だっているんだ。訴えれば侮辱罪にでもなるような言葉ですら彼らは許される。しかし私が同じことをしたらどうだ? 誰もが許さないだろう。私は職を追われるかもしれない。他の人が見逃してもらえることも『市長』という肩書が私に免罪符を与えないのだ。好きな言葉を好きなだけ吐き出せる彼らを羨ましく思うよ」

「それはそうですが、それでも人は選べます。選ぶ権利があるんです」

「君は御先という仕事を本当に自分で選んだのか?」

 突然の質問は僕の意表を突いた。僕は押し黙る。

「こんな怪しい仕事を選ぶ人間がいるとは信じがたいな。利益もないうえに人の死を何度も見ることになる。気分がいいものではない。君は前任者から受け継いだと言っていたな。その前任者がいなかったら君は今ここにいたか? 前任者に言われたから受け継いだだけじゃないのか? それは君の選択か? それともしがらみに囚われただけじゃないのか? 君が選んだんじゃなく、君にはそれしか選ぶものがなかったんだろう。しがらみは少ない選択肢を更に減らすものだ。だが皆がその中で生きている。親がこう言ったから、友人がこれを持っているから、周囲がこうしているから。そういう理由を並べて選ぶものがなかった自分を慰めているだけだ。自由を奪うだと? 人はすでに自由ではないというのに」

「僕は、自分で、選びました」

 うまく言葉を繋ぐことができない。市長の言葉に動揺した。自分で選んだと信じていたものが揺らいだ気がした。前任者がいなかったら、僕は今どうしていた?

 ふと、あの人の顔が浮かんだ。愛おしそうに本の名前を呼び、愛でていたあの人の顔を。死に際に苦しそうに呼吸をしながら「望を、よろしく頼むよ」と言った顔を。

 何度も御先を辞めようと思った。こんな契約は馬鹿馬鹿しいと、本を投げ捨て、破り、燃やしてしまおうと何度も思った。でもその度にあの人の顔が浮かぶ。本を愛していたあの人の姿が、あの顔が、最後の言葉が何度も頭を駆け巡る。それに呼応するように本は鼓動する。無邪気な子供が前の親からもらった愛情を僕にも求める。その純粋無垢で罪な鼓動は僕にも同じ愛情を芽生えさせた。結局僕は御先になることを選んだわけじゃない。それしか選択肢がなかったのだ。前任者の願いと、本の願い。この二つの板挟みの中で断るという選択肢が僕にはなかっただけだ。

 狼狽し押し黙った僕を見て、市長はふっと笑う。

「君を悪く言っているのではない。しがらみに囚われているのは私も同じだ。それに囚われない人間などいない。私達はこれと共に生きるしかないのだ。その苦しみを忘れる為に人は自らを自由だと錯覚する。私の目にはそれが滑稽に映る。しかしそれで人が自由を感じられるのなら、この地で皆がより自由を感じられるようにしたい。そう思っただけのことさ」

「不自由の中で自由を、ですか?」

「そうだ。それを自由と思うか、不自由と思うかはその人次第だ。自由だと思う人は10年後も加見野市に残る。不自由だと思うなら出ていくだろう」

 それ以上会話は続かなかった。市長の意見は僕の痛い所を見事に突いてくれた。僕は結局檻の中にいる。前任者の思いをふいにすることも、御先の仕事を拒否することもできずにこうして仕事を続けている。それ以外の選択肢を僕は選べただろうか? 選べたかもしれない。でも僕は檻の外に出ることができなかった。自由を恐れていたのは、僕だった。

 市長は「ではまた次回に」と一言残し、事務所を出た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る