それからも嵯峨市長が取引内容について話すことはなかった。「まだその時ではない」と言い、僕から逃げる。いつまでこれが続くのか。そうしているうちにもう半年も経ってしまった。

 次回会った時に警告しようと心に決める。冷蔵庫から出した缶ビールを空け、喉に流し込む。ソファに座っている妻の奈津子がテレビを見ていた。その隣に僕も座る。

「嵯峨市長は最近何かおかしいわよね」妻の奈津子がふと言う。

「おかしいって何が?」僕はビールを呷る。

「今までは打ち出した政策がきちんと加見野市に向けてやることばかりだったからみんな指示していたのに、最近じゃ他県に媚びを売るようなことばかりするようになったの。ほら、他県の大学にパソコンを寄付したり、半壊した建物の工事にお金を出したり。加見野市の学校だって設備が不足しているところもあるのに」

 奈津子は少しだけ頬を膨らませる。僕は仕事終わりにまた契約者の話をしなければいけないことに頬を膨らませたい気分だ。

「これきっと私達の税金から出ているのよ」奈津子は言う。

「そうなの? 市長は個人の財布から寄付金を出しているって君が前に言ってたじゃないか」

「確かにそうだけど、でも信じられる? 最新のパソコン一台じゃないのよ? 何台も寄付したの。しかも複数の大学にね。そして建物の改修工事。一体いくらお金がかかる思う? そんな金が、いくら市長とは言え、個人の懐からさっと出せるかしら?」

 それが出せてしまうのがこの契約の怖いところだ。奈津子にも寿命売買の話はしていない為僕は黙る。

「きっと税金使ってるのよ。私達のお金を。他県に媚び売る前に、目の前の私達でしょうが」奈津子はひとりごつ。

「奈津子の税金はここの市に支払われている。加見野市じゃないよ。『私達の税金』という表現は誤謬だ」僕は訂正する。

「そういう意味じゃなくて、私達の地元の人達が払っているお金が他県に流れることを心配しているのよ。家族とか友達が払ったやつ。やっぱり地元のことになると特別な感情が芽生えるの! 皆の血税はちゃんとその土地の人に還元してほしいじゃない」奈津子は僕が飲んでいたビール缶をさっと奪い一口飲む。「まったく政治家の考えることはわからないわね」

「同感」僕は空になった手を見つめ、返事をする。僕はぼんやりとテレビに目線を向ける。

『次のニュースです』若いニュースキャスターが今日の出来事を伝える。『嵯峨成浩市長が加見野市市内の高校を訪れ、新しい机と椅子を寄付されました。訪れたのは北高校をはじめとする3つの高校で、長年使われ古くなってしまった机と椅子では勉学に集中できないと、市長自ら机と椅子を購入し高校に贈呈されたということです』

「あら、ようやく加見野市にお金を使うようになったのね」奈津子は少しだけ留飲を下げた様子だ。「でもなんで机と椅子?」

 僕も同じ疑問を抱いていた。市長が自ら語っていた少子高齢化問題の解決としては、机と椅子の寄付などあまりにもずれた方法だ。他に金を必要としているところは星の数ほどもあるはずだ。金の無駄遣いだと市民に思われるのがオチだ。

「あんなの金の無駄じゃない」

 早速その不満を漏らす人がここに一人いる。ニュースキャスターが原稿を読み終えると画面が切り替わった。北高校で机と椅子の贈呈式を行った映像が流れる。

『この度は私どもに机と椅子を寄付してくださったことに、生徒一同、心より感謝を申し上げます。この御恩を忘れず、私たちは日々勉学に励みたいと思います』

 生徒代表の男子高校生は初めて会う市長に緊張しているようで、手が僅かに震えていた。それでも運動部の如く腹式呼吸で増幅した声で礼を述べる生徒代表の姿に、嵯峨市長は満足そうに頷く。そして市長はマイクを取り簡単な演説を始めた。

『このような形で皆さんの勉学に貢献できることをとても嬉しく思っております。新しい机と椅子は機能性にも優れ、以前の古いものよりも生徒の皆さんの勉学を助けるものと信じています。知識を身につけ、優秀な人材となることを期待しています。そして加見野市に貢献してくださることを楽しみにしています』

『はい! 我々はきっと故郷に貢献して見せます!』生徒代表は声を張り上げる。

『まあ、君たちは高校生だから卒業後は様々な進路があるだろう。大学や専門学校に行ったり、他県や海外に行って自分の世界を広げたりする人も多くいるだろう。外の世界を見るのはとても大事です。私も若い時はそうしました。でも卒業後はやっぱり故郷に貢献したいと戻ってきた身です。だから君たちも大学、専門学校、留学など、そういった勉強を終えた頃にはぜひ加見野市に戻って貢献していただきたい。ここも人が減ってきて寂しいですしね。まあせめて10年くらいはここにいてほしいな。それが私の願いです』

『はい! 我々は市長の期待に精一杯応えます!』

 ニュースの映像はそこで切れ、ニュースキャスターが映し出された。そしてキャスターは市長の寄付に対し前向きなコメントを残す。しかしその言葉はもう僕の耳には入らなかった。

 これだったのか、市長の目的は。寄付の意味は。ただ闇雲に物をばらまいているわけじゃない。あの人はすべて計算した上でやっている。そしてそれは間違いなく加見野市の将来を救うだろう。ただし、重大な倫理的問題を残して。

 僕はすぐに市長に電話をかけた。しかし繋がらない。もともと忙しい人だ。僕は数回電話をかけた後、留守番電話にメッセージを残した。緊急の面会を希望する旨を電子音声案内の後に早口で捲し立てた。すぐに話をしなければいけない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る