一回目の面会は事務所で行った。嵯峨市長はソファにゆっくりと座り、僕が入れたコーヒーを啜る。

 契約を交わしてからの一か月、金は動いていない。僕がそのことをさり気なく質問すると、

「ああ、この市の為の大事な金だからな。無駄にするわけにいかん。どう使えばいいか今考えているところだ」

「計画の段階で構わないので教えていただけますか?」

「残念ながらまだそれはできない。まだ私の頭の中のみの段階だからな。そんな形にもなっていない政策を一般人に伝えるわけにはいかない。それが噂で広まれば混乱を招きかねない」

「そうですか。それでは決まり次第教えていただけると幸いです」

 嵯峨市長は頷く。

「今回は悪かったね。随分無理を言ってしまった」嵯峨市長は厳格に上がった眉を少しだけ下げながら僕に言う。「君が契約に乗り気じゃないのはわかっていたんだがね。私にはどうしても必要だった」

「いえ、もう引き受けたことですから」

 嵯峨市長の言う通り、僕は長らく御先の仕事をしておらず、契約も受け付けていなかった。ただの本のお守りとして望を世間から隠し続けていた。寿命売買の意義に対する疑念と、死にゆく人を見送ることへの悲壮感が僕をこの仕事から遠ざけた。

 ただ、本を燃やすことはできなかった。無邪気な子供のように鼓動するその本を手にする時はまるで幼い子供を抱いているようで、子供もいないのに僕の中に親心を芽生えさせる。時々、赤ん坊の笑い声が聞こえてくることもある。幻聴か、それともこの本が本当に僕に笑いかけているのか。いずれにしろ、本に対する不思議な愛情を持ってしまった僕はそのまま本を守り続けることに決めた。それが前任者の願いでもあったからだ。

「加見野市は大きくないがそれでも昔は人で溢れていたんだ。土地が生き生きとしていた。しかし今じゃ、シャッターで覆われた店が立ち並び、人の往来も随分と減った。都会の方じゃまだまだ人口の減少なんて露程も感じていないだろうが、うちのような田舎はまず少子高齢化の憂き目に遭う。小学校が閉鎖され、聞こえてくる子供たちの声も随分と小さくなった。街がどんどん死んでいく。私はね、自分の地元がそんな風になっていくことに耐えられないんだ。君もそう思わないか?」

「ええ、思います。自分の老後も心配になりますね」

 嵯峨市長はそんな僕の顔を見て、ふんと鼻を鳴らす。

「心配なのは自分の老後だけか?」

「ええと、勿論それだけではないですが、やはり自分の将来は心配ですね」

 僕の発言が気に障ったのか、嵯峨市長の声色に鋭さが増した。

「有権者の心配は老後ばかりだ。確かに若い層の人口が減れば年金や社会保障費は大きな打撃を受ける。高齢層がその憂き目に遭うのは避けられない。ただ若者や子供の役割は年寄りを肥えさせることじゃない。彼らがこれからの社会を作り、担っていくのだ。社会の中心は高齢層ではない。にも拘らず今どきの有権者は未だに若年層への支援に後ろ向きだ。少子高齢化なんぞ何十年も前から予測されていたんだがな」

 嵯峨市長の目に侮蔑の色が映る。浅はかな自分を見抜かれ、僕は縮こまるような思いで首を垂れていた。

「いや、悪かったね。説教をするつもりはなかった」市長は突然声色を弱めた。「いかんな。ついつい熱が入ってしまう。気を悪くしたなら謝る」

「いえ、とんでもない。私の方が考えが浅く至らなかったのです」

「自分の将来を心配するのは当然のことだ。他の層への関心が薄いのは若年層も同じだからな。老害に金をかけるなと騒ぐのは若者の方だ。お互い様だな」市長は複雑な表情のまま薄く笑う。

「君には感謝している。断られるはずだった依頼も無理して頼んだ甲斐があった。この金で加見野市は救われるだろう」

 頼んだ、という市長の言葉に僕は苦笑する。頼んだというよりは脅迫ではないかと思わせる程に彼は僕に迫ってきていたからだ。

「そろそろ行かなければならない。ここで失礼する。ではまた一か月後に」


 二回目の面会でも大きな動きはなく、一回目の面会と同様、市長の熱い地元愛を肌で感じるのみで終わった。しかし、三回目の面会時には動きが見えた。

「金の一部を使った。大学にパソコンを寄付した」

 事務所に入りソファに座るなり、市長は挨拶もなしに単刀直入に話し始めた。

「パソコンですか?」

「そうだ。いくつかの大学では古いパソコンを使用していたから最新のものを購入して寄付をした。また生徒の数に対してパソコンが不足していた大学もあってね、そこにも同様に寄付をさせてもらった。どちらも県外の大学だが」

「その対価として何か受け取りましたか?」

「いや、物は受け取っていない」

「では何かしらの要望を伝えたのですね? どのような内容か教えていただけますか?」

「今はまだ話せない。この後にも同じような寄付を続けるつもりだ。その後に話す」

 今は話せないという言葉に僕は眉を顰める。

「犯罪行為ではない。安心してくれ。嘘はついていない。生きている間に必ず話す。今はまだその時ではないだけだ」

 相手が政治家ということもあり本来はこんな言葉は約束を反故にするフラグとして受け取るのだが、何しろ寿命売買の契約がある。嘘は売主の為にならないことはこの人は百も承知のはずだ。

「ではその時が来たらすべてお話しいただきます。なるべく早いことを願っております」

「ああ、そのつもりだ」


 四回目の面会では動きはなく、パソコン寄付で交わした要望もまだ教えてもらえなかった。しかし五回目の面会ではまた動きがあった。

「県外にある女子大学が大学内の図書館の改装工事をするらしい。最近大きな地震があった地域だ。校舎は無事だったらしいが、図書館の一部が半壊したそうだ。改修工事が必要だというので、そこに寄付させてもらった」

「県外の大学ですか? ちなみにどちらの大学ですか?」

 それは私立の女子大学だった。加見野市の繁栄の為に使うと言っていた金が他県に流れていることに僕は疑念を抱いた。

「前にお話されていたパソコンの寄付もそうですが、加見野市以外の場所に寄付をされてるようですね。これには何か理由があるのでしょうか?」

「ああ、ある。すべては加見野市の為だ」

「今回も市長が大学側にした要望というのは教えていただけないのですか?」

「ああ、まだだ。だがいずれ必ず話す」

「なるべく早いことを期待しています」

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