望
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昔々、あるところに貧しい夫婦が暮らしていました。二人は毎日働いて日銭を稼ぎ、爪に火を灯すような生活をしていました。貧しい生活は決して豊かになりませんでしたが、それでも二人で幸せに暮らしていました。
ある日妻が身籠り、子供を産みました。暮らしは厳しいままでしたが、可愛らしい女の子を授かった夫婦は幸せに満ちていました。
ところがある時、娘が大病を患いました。必死の看病も虚しく、娘の病状は日に日に悪化するばかり。夫は前にも増して仕事をし、医者に行くための金を稼ごうと必死でした。妻は看病の合間に神様に手を合わせ、拝み、自分たちの食べ物をすべて神棚に備えて、娘を助けるよう望みました。
それでも夫婦の願いは叶わず、娘は夫婦のそばで静かに息を引き取りました。夫婦は悲しみに暮れました。二人で娘を火葬し、家のすぐそばに墓を作り、黄泉に旅立つ娘を涙を流して見送りました。夫婦は毎日墓を掃除し、花をやり、手を合わせました。亡くなってもすぐそばに娘を感じることで、夫婦は悲しみを癒していました。
ある時、夫が病に伏しました。娘の時と同様、妻が献身的に世話をし働きますが、夫はついに動けなくなりました。布団に横になったまま天井を仰ぎ見る夫は、死を待つだけの人形のようでした。
娘だけでなく夫も亡くしてしまうと絶望した妻は、娘の墓の前で泣き崩れ手を合わせ祈りました。「夫が助かるならなんでもする」と。
次の日、妻が目を覚ますと夫の姿は布団の上にありませんでした。妻が慌てて夫を探すと、家の外で自分の足でしっかりと立ち朝日を浴びている夫を見つけました。夫の病は嘘だったかのように消え去り、夫は以前の元気を取り戻していました。夫婦は喜び、「娘が助けてくれた」と墓に何度もお礼を言いました。
元気を取り戻した夫はこれまでの勤勉ぶりが評価され、村で評判になり、次々と仕事が舞い込むようになりました。徐々に収入が増え、夫婦の生活は豊かになりました。夫は以前にも増して忙しくなりましたが、それでも夫婦での毎日の墓参りは欠かしませんでした。毎日の出来事を娘に伝え、まるで会話をするように墓に話しかけていました。夫婦は幸せでした。
ある日、夫婦に起こった幸運を怪しんだある村人が夫婦を訪れ、理由を聞きました。妻は娘の墓に手を合わせ願っただけと答えました。半信半疑の村人は試しに娘の墓を訪れ、「村一番の娘と結婚がしたい」と願いました。次の日、村人が密かに結婚を望んでいた娘の家族から縁談の話が舞い込みました。村人は驚きましたが、願いが叶ったと喜び、縁談を承諾しそのまま娘と結婚しました。
それから娘の墓に祈ると願いが叶うという噂が広まりました。娘の墓の前には願いを抱えた人で長蛇の列ができました。行列は朝から晩まで途切れることはありませんでした。
そんなある日、妻が突然亡くなりました。夫は、夜眠りに落ちたまま朝を迎えても起きない、と医者を呼びますが、医者は「妻はとうに亡くなっている」と言いました。理由もわからず、夫は突然妻を亡くしたことで悲嘆にくれ、塞ぎ込むようになりました。
それを機に村で次々と人が亡くなりました。その全員が妻と同じように、静かに眠りに落ちそのまま起きることなく亡くなっていました。特定の病気でも伝染病でもなく、共通しているのは亡くなった人は全員娘の墓に手を合わせ、願いを叶えた人達であるという点でした。また願った日の丁度1年後に亡くなっていました。
また一部の死者は別の特徴も持っていました。最初に亡くなった妻と異なり、その人たちの叶えた夢はすべて悲劇的な結末を迎えていました。恋焦がれた人との結婚を望んだ者は夫婦間の喧嘩が絶えず酒に溺れ、相手の家族からは白い目で見られてしました。挙句呆れ果てた妻は他に男を作り、逢瀬を繰り返していました。
病気の回復を望んだ者は、一時回復したものの、より深刻な病に伏し残りの寿命を苦痛の中で過ごしました。
子を儲けたいと望んだ者は、授かった子を腹の中で亡くし絶望したまま死を迎えました。
大金を望んだ者は、夜分に盗人が入り、得た大金のみならず財産のすべてを盗まれ貧困に喘ぐこととなりました。
娘の墓で願いを叶えた者の多くは、不幸になっていました。
ですが、そんな村の出来事も、妻と娘を亡くした夫にはどうでもいい事でした。夫は家族を亡くした苦しみから精神を病み、自ら命を絶ちました。亡くなる前に遺書を書き、親友に残しました。
〈自分の家と財産を親友に譲る、その代わり娘の墓の面倒を見てほしい〉
遺書を受け取った親友は夫の死に涙し、娘の墓守を引き受けました。その頃には娘の墓は恐れられ、近づく者は極端に減りました。それでも僅かな希望を胸に、願いを叶えようと訪れる者はいました。その大半は願いを叶えた後に悲劇的な末路を迎え、1年後に静かな眠りにつきました。
しかし一部の人達は、妻と同じように幸せのまま時を過ごし最期を迎えました。親友は墓に訪れる人達を観察し、やがて幸不幸を分ける共通点を見つけました。悲劇に見舞われた人達は全員願いを叶えた後、二度と娘の墓を訪れませんでした。幸福だった者は定期的に娘の墓に訪れ、礼を述べ、願いが叶った後の生活を墓に向かって話していました。親友は、娘は願いを叶えた人のその後を知りたがっているのではないかと思い、それ以降は願いを叶えに訪れた者に悲劇を回避するための条件を伝えました。幾人かは叶えた願いに酔い、途中から墓の訪問を忘れてしまい悲劇に見舞われました。それでも約束を守り叶えた願いの中で幸せに余生を過ごす人が増えたことに親友は安堵しました。
しかし、ある時から娘の墓は金の願いのみを叶えるようになりました。娘の墓が、というよりは墓を訪れる者が金のみを望むようになった為でした。金で大抵の願いが叶うことに村人達が気づいたのです。病を治しても長くは生きられず、子を設けても共に過ごせる時間は1年だけ。ただ金であれば余生を贅沢に暮らせる上、家族に相続することも可能と損得勘定で願いを叶える村人達に、娘の墓も金のみを与えるようになりました。
これを機に、この地では娘の墓は金を司る神様として祀られるようになりました。親友は夫から受け取った財産を使い、娘の墓に鳥居や屋根を設置し、そこは村一番の神社となりました。親友は神主として娘の墓を守り続けました。
それから何年も過ぎ、親友は高齢により床に伏しました。先が長くないことを知った親友は、自分の子に神主の役目を引き継がせました。子は役目を立派に引き継ぎ、神社を守り続けました。
ある時、神社を訪れ願いを叶えたある村人が、余命の短さに不満を漏らしました。子は、1年の余命は願いの代償、神との取引であることを伝え、村人を追い返しました。不服に思ったその村人は、その夜に神社に忍び込んで神社に火をつけました。子が気づいた時には神社は火に包まれ、火消しも間に合いませんでした。神社は灰と化し、娘の墓は荒れ、変わり果てた姿となっていました。子はその場に泣き崩れ、役目を果たせなかったことを悔やみました。
墓に入っていた娘の灰は無事だった為、子はそれを持ち帰り大事に守りました。一部の村人から神社の再興を望む声が上がりましたが、子は同じ悲劇を避けるため再興を断り、娘の灰を人目から隠しました。それでも娘への願いを切望する人が子の元を訪れました。願いを叶える神の遣いとしての役割と、娘の灰の守り人としての役割を同時にこなす方法を考えた子は、和紙職人の元を訪れ、娘の灰から和紙を作るよう依頼しました。そうして出来上がった和紙は一冊の本となりました。
これで子は娘を肌身離さず持ち歩くことができるようになりました。危険を感じたら所在を眩ませることも簡単にできます。願いを叶えた人からの話は本に書き込むことができます。こうして子は神主の役割を再開しました。
不思議なことに本は、書き込まれた人々の物語を、しばらく経った後に溶け込むように吸い込んでいきました。そしてまた新たな物語を書き込めるように白紙に変わりました。子は娘が物語を読み、満足したのだと解釈しました。
時が流れ、本は子の家系に代々受け継がれました。この頃には人々の「願いを叶える神」への信仰心は薄れ、「大金を与える本」として悪用しようとする者が後を絶ちませんでした。受け継いだ神主は世間から本の存在を隠しながら、密かに願いを抱える者と本を繋げる役割を担うようになりました。
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