7
雪が降り始めた。と言っても積もることはなく、道は相変わらず灰色のコンクリートで覆われている。ちらちらと降る雪がまつ毛に乗り少しだけ視界が遮られる。それを綺麗だと思う風情は持ち合わせておらず、僕は鬱陶し気にまつ毛から雪を払う。
目的の居酒屋に到着し暖簾をくぐる。2階にある宴会用のテーブルに案内される。大方みんな集まっているようだ。
「おう、境! 久しぶりだな!」
幹事の大倉和良が僕に声をかける。前からクラスの中心的存在だったが、それは社会人になっても変わっていない。僕達の高校の同窓会は大体大倉が声をかけることで開催される。
僕が同窓会に参加するのはこれで2回目だ。1回目は大学の頃。それ以降は忙しさと惰性にかまけてろくに参加もしていなかった。懐かしい顔ぶれが並び、高校時代の思い出が蘇る。
「境が来るなんて珍しい。元気だったか?」
内気な性格から、昔から飲み会があまり好きではない。しかし今はこの騒がしさに救われている。一人でいたら河野のことを考えてしまいそうだ。河野の死から1か月が経過した。それでも記憶は鮮やかで、河野の最期は昨日のことのようだ。月日の流れはあっという間だが、僕はあの日に置き去りにされたような孤独を感じていた。
会話の内容は昔の思い出と近況報告だ。僕は珍しく参加した飲み会でも饒舌になるようなことはなく、静かに壁の花になり聞き役に回っていた。
「そういえば、河野稔、死んだよな」
突然出た名前に僕は固まる。
「俺も聞いた。確か精神病院に入院してたんだろ?」
「この年齢で同級生が死ぬなんて想像もしてなかったよ」
話題が話題だけに、饒舌だったみんなの勢いが止まる。
「そんなに仲がいいわけじゃないけどさ、なんか、あれだよな」
「うん、まあな」
「前にあいつが1回だけ同窓会参加したことあったけどさ、あんときはやばかったな!」
湿った空気を壊すように木下晃が笑い飛ばした。高校の時から空気を読まずに冗談を飛ばす奴だったが、突然発せられた無神経な言い草に僕は少し苛立った。
「あいつ普段酒飲まないらしいんだけど、その時は女子が飲んでいたカクテルを間違って飲んだんだよね」
酒を飲んだ? あの河野が?
「河野暴れたの?」僕は聞く。
「まさか。そんなことしねえよ、あいつは。ただ酒に弱くて、飲むとすぐ寝るタイプだったみたいでさ。狭い座敷に横たわってぐっすり寝んの。そのまま最後まで起きねえのよ」
「あの巨漢で席占領してさ。みんな残ったスペースで縮こまって飲まなきゃいけなかったよな」
「帰りもみんなであいつを運んでタクシーに押し込んだんだよ。すげー重労働だった」
皆口々に語り出す。どういうことだ? 河野は酒で暴れる奴じゃなかったのか?
「河野暴れるの?」
大倉が僕に聞く。
「そういう話を聞いたからてっきりそうだと。酒癖が悪くて西野愛実に手を挙げたって」
「西野? なんで西野が出てくるの?」
「二人付き合ってただろ?」
僕の一言に全員が釘付けになる。一瞬の間を置いてどっと笑い声が響く。突然の事に僕は状況を掴めずにいた。
「西野と河野が? ありえないだろ!」
「絶対ないわ。美女と野獣じゃん」
「どっからそんな話聞いてきたの? てか聞いても普通信じないだろ!」
僕も最初は信じられなかったが、他でもない河野から聞いたのだ。おまけに西野は河野が亡くなる日に病院に来た。あの二人の雰囲気が恋人のそれではないとしたら、一体何なのだ。
「ていうか、つぐは既婚者だよ」
笑いながら酒を煽っていた坂本梨乃が言う。
「え、結婚してるの?」僕は目を見張る。
「知らなかったの? 医者と結婚してニュータウンに家建てたんだよ」
ここ数年で急激にベッドタウン化した地域だ。そういえばそこの近くに西野が働いている老人ホームがあるはずだ。
「緑の里って老人ホームで働いているからあそこに家建てたの?」
「え、誰が働いてるって?」
「西野」
「やだ、ウケる。なんでそんなことになってんの? つぐは専業主婦だよ」
坂本は顔を真っ赤にして高笑いする。僕は混乱していた。一体どうなっている? 河野と付き合っていたはずの西野は他に夫がいて、そもそも無職だった? しかも二人は付き合ってすらいなかった?
「つぐと河野が付き合ってるなんてタチ悪いデマ。つぐから河野の話なんて聞いたことないよ」
ではなぜ西野はあの日病院にいた? 河野と全く接点がない人間があそこにいるはずがない。ましてや河野と共にATMに行くなんてありえない。
坂本が嘘をついているとは思えない。十中八九、嘘をついているのは西野の方だ。河野に既婚の事実を隠し、職業を偽った。介護士だと嘘をついたのは不規則勤務を口実に、家にいない理由を隠すのに都合がいい為だろう。周囲には河野との交際を巧みに隠し、河野自身には同棲していると思わせる。それなら水族館デートも納得だ。ここから車で二時間程走らせた場所にあるそれは、平日に知り合いに会う可能性が低い、数少ないデートスポットだ。そこを選んだ理由は周囲に交際を悟られないようにする為だ。
それだけじゃない。西野は河野が酒に酔って暴力を振ったかのように偽り、河野が罪悪感を抱えるよう仕向けた。河野の実直な性格を利用したのだ。トラウマを負ったように見せかけて河野に傷の手当てすらさせなかったのは、嘘がバレないようにする為だ。
西野の行動の理由など考えるまでもない。金だ。動画配信者として稼いでいる河野を手玉に取り、金を巻き上げようとした。寿命の売買に行きついたのは恐らく偶然だろうが、西野にとっては渡りに船だっただろう。なんなら宝船だ。不都合な浮気相手が1年後に死ぬ上、10億が相続されるのだ。河野の最期を見届けることなく姿を消したことも、相続されたとみるや河野は用済みと見切ったのだろう。
考えれば考える程西野への怒りが募る。あまりの非情ぶりに気分さえ悪くなった。大倉に「大丈夫か?」と聞かれる程僕の顔色は悪くなっていたらしい。気分が悪いと話し、僕は居酒屋を後にした。
ある日、僕は事務所に顔を出し柳澤さんと向き合っていた。柳澤さんは入れたばかりのホットコーヒーを恐る恐る啜っていた。僕は河野の記録を開き、柳澤さんに見せる。
「今回の契約者の記録が終わりました。ただ、聞きたいことがあります」
「なんでもどうぞ」
「契約者、河野稔から聞いた話に事実と違う点がいくつかあります。それらは河野が亡くなった後に発覚しました」
柳澤さんは記録を読み始める。僕は湯気の立ったコーヒーをちびちび飲みながら柳澤さんが読み終わるのを待つ。柳澤さんが本をテーブルに置いたところで僕は説明を始めた。
「事実と異なる部分は河野と西野が交際していたこと、同棲していたこと、西野が老人ホームで働いていたことです。主に西野が河野に嘘をついていた為に河野がそれを事実と思い込み、面会の際に僕に伝えたと思われます。契約の条項九には『契約者は近況を嘘偽りなく伝える』とあります。ただ、事実ではないことを契約者が事実だと信じていた場合は嘘偽りとみなされますか?」
面会時に嘘をついてしまうと残りの人生は契約者の望まない方向に進む。何が起こるかは不明だが、一言で言ってしまえばすべてがうまくいかなくなり不幸な結末を迎える。今回の河野の1年はこれに当てはまると思われる。ただ、信じていた事実が偽りで、かつそれを虚言だと判断されるのなら、騙された契約者に救いの道はない。
「なるほどね。だいたいのことはわかった」
柳澤さんは深く息を吐いて続ける。
「最初に説明しておくべきだったね。条項九にある『嘘偽りなく』というのは契約者自身が事実だと信じていることを正確に伝える、という意味だよ」
「それじゃ……」
「騙されていたとしてもそれを事実だと信じていれば、本は事実だと認識する。そもそも真実なんてものは誰にも分らないんだ。人は自分の信じているものを真実だと思っているに過ぎない」
では、河野は僕に嘘をついていた?
「察しの通り、河野稔は嘘をついていたと考えていいと思う。少なくとも西野愛実の嘘を彼は見抜いていただろうね」
唖然とする僕を余所に柳澤さんは続ける。
「普通なら嘘の量や程度で身に降りかかる不幸が決まるんだけど、彼の場合は面会の内容の多くが西野愛実のことだからね。デートの内容が真実だとしても付き合っていないからそのすべてに嘘が混じることになる。様々な面でうまくいかなかったのは恐らくこれが原因だろう」
なんでだ、河野。なんで正直に話してくれなかった。
僕はもう会えない同級生に心の中で呟く。河野自身が招いてしまった不幸に対する哀れみと、河野に裏切られたという憤りを込めて。
「記録を見る限り、河野稔は全額を西野愛実に相続したみたいだね。西野愛実から何も受け取っていないところを見ると、河野稔は何かしらの要望を彼女に伝えたと思うんだ。それについては聞いてる?」
「いえ、何も」
「まあ亡くなる直前だから仕方がないね。ただ僕が言いたいのは、河野稔が何を頼んだにしろ、西野愛実はそれを遂行する義務はないということだよ。河野稔が嘘の報告をした為に契約違反とみなされるからね。実質的に西野愛実はただで10億を手に入れたことになる」
「そんな……」
僕はそれ以上言葉を紡ぐことができず、そのまま項垂れた。
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