3
二回目の面会はファミレスにした。酒を飲まない河野に配慮してのことだ。相変わらず河野は僕よりも先に来ていてメニューを眺めていた。
「よう、境。この前は取り乱して本当にごめんな」
前回の面会で河野が西野に相続する理由を尋ねたが、河野は暴力を振ったと告白したと同時に取り乱して泣き出した。咆哮と呼んでもいい程の泣き声は店内に響き渡り、店員も客も全員がこちらを見る始末。必死に河野を慰めるも、止まらない号泣に僕はたじろいでいた。急いで会計を済ませ、タクシーを探した。近くに停まっていたタクシーに乗り込み、河野を家まで送った。家に着いた頃には河野は少し落ち着いたので、そのまま寝室に連れて行った。六畳の部屋にシングルの布団がぽつんと敷いてあり、その上にそのまま河野を寝かせた。巨漢を運び、汗まみれになった顔を洗いたくて、許可を貰わずに洗面台を勝手に使った。歯磨き粉と歯ブラシと電気カミソリしかない殺風景の洗面台で勢いよく水を顔にかけた。少しすっきりして寝室を覗くと、河野はいびきをかいて寝ていた。
僕はそのまま河野の部屋を後にした。
翌日、河野から謝罪と無事を伝える連絡が来た。胸を撫で下ろすも初めて見る情緒の不安定ぶりには度肝を抜かれた。また泣き出すのではないかと少しだけ身構えてしまう。
前回の話の続きを聞きたかったが、河野の精神状態が心配で少しだけ雑談をする。ネタが尽きたところで沈黙になり、河野が深呼吸をして話し始めた。
「この前の話の続きだけど、俺がつぐちゃんに暴力を振ったのは3か月くらい前のことなんだ」
河野の話によると、西野がお気に入りの日本酒を買ってきて二人で飲んだ際に、河野が酔って豹変したという。暴れて物を壊し始め、止めに入った西野に暴力を振った。おまけに河野はそのことを全く覚えていないと話す。
「今までろくに飲んだこともなかったから、自分がこんなに酒癖が悪いなんて知らなかったんだ」
朝起きて体中を包帯や絆創膏に覆われた西野の姿を見て驚愕したという。また西野の怒りに満ちた目と語られたその夜の出来事に、罪悪感で押しつぶされそうだったと河野は語る。
「好きな子に暴力を振う男にだけにはなりたくなかったんだ。そんな奴最低だろ? でもまさか、自分がなるなんて」
河野の目には涙が浮かぶ。自分を許せないのか、握りしめた拳が震えている。根が優しくて真面目なことは知っていた。正義感が強いことも。その正義感に反する酒癖を持ってしまうとはなんという皮肉だろう。
「つぐちゃんに何度も謝ったよ。酒ももう飲まないと誓った。でも、それでもつぐちゃんは俺を怖がってる。会う回数が極端に減ったんだ。明らかに避けられてる」
怪我の具合を見る為に近づくことも許してくれないらしい。この出来事が西野にとってはトラウマになっているようだ。
押し寄せる後悔に苛まれているのが見て取れた。河野は零れる涙を拭くこともなく、息を吐きながら続ける。
「だから償いたい。俺みたいなどうしようもないオタクの命なんて別にいいんだ。でもつぐちゃんだけは幸せにしたい」
それでも僕は、寿命を売るほどのことか? と疑問に思っていた。他に償う方法があるだろう、と。しかし、口には出さないでおいた。西野への償いというより、自分の過ちへの罪悪感を打ち消したいように見えたからだ。長寿の中で後悔と罪悪感に押し潰されるよりも、大事なものを差し出して罪を洗い流すことを選んだのだ。
「同棲してるんだけど、帰ってきてもすぐに友達と遊びに行くって言って出て行ったり、俺から離れて座るようになったり。それが悲しい」
何事もないかのように出された言葉に唖然とする。同棲してたのか。
「先月の夜は西野いなかったね」
「つぐちゃん、老人ホームで働いてて夜勤が多いんだ。アパートから遠いから、連続勤務の時は職場から近い実家に泊まることもあるし、元々夜はいないことが多いよ」
不規則勤務だと同棲していても会う時間は多くないのか。だからこそ同棲という方法は効率がいいのかもしれない。
その後河野から仲直りの秘訣を聞かれたが、ろくに交際歴のない僕に答えられるわけもなく、河野は落胆していた。お陰で僕も自身のモテなさぶりを悲観する羽目になった。
次の面会でも相変わらず河野は西野の機嫌取りに苦戦していた。西野は距離を取り続けることで河野に反省を強いているらしい。ⅮⅤ被害を受けながらも別れられずにずるずると関係を続ける女性の話は聞いたことがあるが、打って変わって西野は逞しい。暴力を振うような男には毅然とした態度を示し、相手のしたことは簡単に許すべきではない。目の前で涙目になる河野を哀れにも思うが、西野を愛しているのならここでしっかり反省するべきだ。それでも西野が別れずに河野の様子を見ていることを鑑みれば、河野のことをきちんと想っているのだろう。胸に疼いていた嫉妬はいつの間にか消え失せ、純粋に二人の仲がうまくいくことを願っていた。
次の面会では遂に進展を聞くことができた。西野との距離が前より縮まったらしい。
「少しずつ許してくれているみたい」河野は嬉しそうに話す。
「この前久しぶりにデートしたんだ。つぐちゃん、俺に笑いかけてくれた」
僕は相槌を打ちながら静かに河野の話に耳を傾ける。西野の怒りも徐々に静まり、河野の謝罪も受け入れるようになってきたのはいい兆しだ。おまけに西野の希望だった水族館でのデートを大いに楽しんだらしい。「平日だったから館内は空いていて自由に中を見て回った」と嬉しそうに話す。
河野は宣言通り酒には指一本触れていないらしい。むしろ今は酒を見るたびに後悔が押し寄せ、恐怖症のようになっていると漏らす。流石に極端ではないかと思ったが、実直な性格から過去の過ちを繰り返すまいと必死なのだろう。
面会は基本的に西野の話が9割を占め、河野の記録についてはほぼ西野との話で埋め尽くされている。偏りを感じるが、学生とは名ばかりの引きこもりで、ゲームの動画配信でも話す程の出来事は特になく、変わり映えのない状況が続いているらしい。今の河野の生活は西野一色と言っても過言ではない。
5回目の面会で僕は目を見張った。河野が痩せている。二人分の席を占領していたあの巨漢は今は一人と少しだけ占領するまでに縮小された。それでもまだ太っている部類に入るだろうが、これまでダイエットのダの字もなかった河野に現れた変化としてはかなり大きい。
「つぐちゃんに似合う男にならないとね」
ドレッシングなしのサラダを頬張り水で流し込む河野を見て、何故かステーキを注文した自分に罪悪感を感じてしまう。
見た目だけじゃなく性格まで違う。以前にも増して活気に溢れている。常に腹式呼吸で話すようになり、声量はファミレスにいる全客の耳に届きそうな勢いだ。表情も悲観的な引きこもりとは思えない精力漲る笑顔を崩さない。余程西野との仲がうまくいっているらしい。その勢いで得意の陰謀論にも拍車がかかり、また新な陰謀論が僕の頭にインプットされる。脳容量の無駄遣いだ。すぐに忘れよう。笑顔の聞き役を演じながら、僕は心でそう思っていた。
「今いい感じに痩せてきて筋肉もついてきたんだ。このままいけばボディビルダーにもなれそう」
それは行き過ぎだろう、と僕は思った。兎にも角にも意欲的なのはいいことだ。心身ともに健康的になっている河野を見て、僕も運動でも始めようかと自分の腹の肉を軽くつまんだ。注文したステーキは半分残した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます