夜七時。「居酒屋ごっちゃん」と達筆で書かれた暖簾をくぐり中に入ると、河野はすでに席についていた。

「悪いね、遠くまで来てもらって」

 河野は目尻を下げて申し訳なさそうに言う。

「そんなに遠くないよ。バスも電車も通っているから来るのも不自由しない」

 僕が飲みに行こうと誘うと、河野はこの居酒屋を指定した。加見野市の隣の市にあり、僕が住んでいる場所からは電車で二十分程のところにある。繁華街のはずれにあり、比較的静かな場所にあるこの居酒屋は河野の行きつけらしい。

 僕がビールを頼み、河野はコーラを頼んだ。

「飲まないの?」僕は聞く。

「うん。俺、飲まないんだ」河野は僕と目を合わせずに答える。

「悪い。河野が飲まないこと知らなかった」

「俺はここの料理が好きだから指定したんだよ。気にしないで」

 確かに料理はおいしかった。香ばしい焼き鳥や大根おろしの乗った分厚い卵焼き、にんにくの香りが鼻腔を刺激するガーリックシュリンプなど、店長拘りと謳っている料理の数々に舌鼓を打つ。鉄板料理をメインにしているこの店では煙が常に店内を薄ら漂い客を包む。

 暫く昔話に花を咲かせたかったが、高校時代のお互い深い接点はなく、教室の隅で大人しくしていたこともあり話題が早々に尽きてしまった。高校時代の思い出が語る程多くなかったことに少しだけ虚しさを感じる。河野も同じだったのかお互いに口数が減り、沈黙が流れる。

「寿命を売ったのは誰かに相続する為?」

 僕は沈黙の気まずさに耐えかねて聞いてみる。

 河野は僕の目を見て少し虚を突かれた様子だったが、諦めたように話し始めた。

「そうだよ。俺の彼女に相続したい」

「かの、じょ?」

 こんなに動揺するなんて失礼だ。わかってる。それでも河野の口から出た予想外の言葉に咽てしまった。

 河野はイケメンではない。正直不細工の部類に入る顔立ちだ。おまけに二人は座れるであろう席を一人で占領する程の巨漢だ。そしてジャンクフードばかり食べているであろう体臭と口臭が鼻につく。彼女がいたのか、お前に。恥ずかしくも外見で恋人などいないだろうと早々に決めつけてしまっていた。人は見た目じゃないと偉そうに真壁さんに説教を垂れていた過去の自分を殴りたい。

西野愛実にしのつぐみちゃんって覚えてる?」

 そして聞き覚えのある名前に息を呑む。まさか、あの西野?

 僕の驚愕した表情は河野の自己肯定感を満たしたらしい。河野はにやりと笑みを見せ、「あの愛実ちゃんだよ」と言う。

 西野愛実は僕達の高校の同級生で、その美貌と社交的な性格からスクールカーストの上位に位置していた人気者だ。学年問わず男子から人気があったが、他校に彼氏がいたため誰もが親指を加えて顔も知らぬ彼氏に嫉妬を滲ませていた。何人も告白して玉砕していたことから彼女は陰で「高嶺の花」と呼ばれていた。僕達のような壁の花とは違う、本物の花。あの西野と河野が。河野の言う通り本当に世の中はわからない。彼の交際を喜びつつ、彼女もいない自分の色気のない生活に嫌気が差した。正直、羨ましい。

「境が驚いた理由もわかるよ。こんなオタクでデブスな俺にあんな可愛い彼女ができるなんて、俺も信じられない。毎日が幸せだよ。本当につぐちゃんに感謝してるんだ」

 つぐちゃんって呼んでるんだ。なんて幸せそうな顔で言うんだ。

「交際までの経緯を聞いてもいい?」

 河野は照れ臭そうに笑いながら説明を始める。

 高校時代は当然二人に接点はない。スクールカーストの上位と底辺は交わらないのが世の鉄則だ。だがそれも卒業するまでの間だ。卒業後、同窓会で再会したらしい。河野は特に話す友達もいないが一度だけ気まぐれで参加したという。その時に西野から話しかけられたらしい。

「共通の話題があるの?」

 恐る恐る聞く。僕達のような陰キャは基本的に趣味も話も陽キャとはことごとく合わない。せっかく話かけられても会話が続かず、つまらない奴と思われて去られるのがオチだ。

「実は俺、ゲームの動画配信をしてるんだ。少しずつだけど最近は有名になってきてていい感じに広告収入も得てるんだけど、つぐちゃんも同じゲームやってて、ゲームのテクニックとかそういう話で盛り上がったよ。それから連絡取り合うようになって去年から付き合い始めたんだ」

「そっか。幸せそうで何よりだよ」そして僕はふと聞く。「動画配信してるの? 河野ってまだ学生じゃなかったっけ?」

 契約前に事前に河野の情報はある程度把握していた。大学を留年し続け、27歳の現在もまだ在籍している。

「そう。大学四年生」

「中退しないの? 動画配信で稼げるなら仕事は問題ないし、学費を無駄にしなくていいと思うけど」

「いやーしばらくはずっと在籍するつもりだよ。駄目だったらどこかの学校に入学して学生を続けるかな」

「なんで? 学費を払って在籍するより社会人として稼いだ方がお金浮くんじゃない?」

 河野は残り少ないコーラを一気に飲み干し、グラスをテーブルに置く。先程とは打って変わって鋭い目つきになる。

「境、俺は学生で居続けないといけないんだ。そうしないと呪いが発動する」

 飛躍した話に僕はフリーズする。呪い?

「境、『神の呪い』って知ってるか? 俺たちの地元で噂されてる話」

 なんだ、そのことか。勿論知っている。というか加見野市の出身者でこの話を知らない人はいない。また、この話をまともに信じている人もいない。

「知ってるよ。加見野市出身の人はみんな大人になってから、必ず地元に戻ってくるって話でしょ?」

「その通り。例外なくすべての人が戻る。まるで強制的に全員が連れ戻されるかのように。おかしいと思わないか?」

 確かに加見野市のUターン率は他の地域と比べて極めて高い。だがすべての人ではない。僕の中学の同級生に地元に戻らず他県で暮らしている人達がいる。ただUターンの割合が高いだけだ。それを「すべて」と誇張してしまう人は一定数いるが、ただバイアスがかかっているだけだ。

「他の土地では珍しい現象みたいだけど、ちゃんと理由があるんだよ。加見野市は医療、福祉や教育制度が充実してて、住みやすい市ランキングでは5年以上連続で常に上位にランクインしてる。みんなここに満足してるから帰ってくるんだよ」

「それはそうだけど、それでもさ。この高い割合は異常だよ。一部の学者は、誰かが呪いでもかけたんじゃないかって噂してる。」

 学者がこんな根拠もない噂をしている時点で自身の職業に泥を塗っているようなものだ。「神の呪い」も加見野市の名前と「神」をかけている、何とも稚拙な命名だ。そもそも少子化対策に大きく踏み切った加見野市の政策がうまくいったにすぎない。それをしなかった他地域の嫉妬からくる陰謀論だという噂も聞いたことがある。

 まさか河野がこんな下らない陰謀論を信じ切っているとは思っていなかった。反論はいくらでもあるが、河野の興奮した顔を見る限り、議論は無駄に終わるだろう。

「要するに、河野が学生で居続ける理由は『神の呪い』を恐れているから?」

「そう。学生のうちはみんな外に出られるんだ。でも卒業した途端全員が戻る。連れ戻される。だから、学生でいるんだ」

 そして多額の学費を毎年払い続けるのか。さっきまで抱いていた河野への嫉妬と羨望は途端に引っ込み、今は軽く鼻白んですらいた。

「河野は地元が嫌いなの?」

「別にそういうわけじゃない」

 なら、いいのでは? 何が問題なのだ。

「呪いのせいで自分の自由がなくなるっていう状況が怖いんだよ。誰かに操られている感覚が耐えられないんだ」

 よくわからないが、とりあえず納得したふりをしておいた。

 その後も河野は数々の陰謀論を説きだした。某国が実は世界を牛耳っていて各国は言いなりだとか、某飲食チェーン店のロゴの一部は裏社会を取り仕切る秘密組織のマークに似ているから繋がりがあるとか。根拠も何もない、それどころかこじつけもいいところだ。それでも鼻息を荒くしながら河野は熱く語る。僕は哀れに感じたが、徐々につまらなくなり後半はほとんど聞き流していた。酒も回り、欠伸が出始める。そういえば仕事の最中だったとここで気づく。

「10億は全部西野に相続するの?」

 陰謀論に飽きた僕は話を戻す。

「うん、そのつもり。1円も使わずにそのままあげるよ」

「正直、彼女に相続する為に寿命を売るっていうことが信じられないんだ」

 たかが彼女というつもりはない。でも好きならこの先一緒にいる道を選ぶのが普通ではないか? 金を相続して彼氏が先立つのを、彼女は許すだろうか?

「そう思うのも無理ないと思う。けど二人で話して決めたんだ。俺は償わなきゃいけない」

「何かあったの?」

 河野は俯いてテーブルをじっと見つける。言いづらそうに口をもごもごと動かしながら呟く。

「俺、つぐちゃんを殴っちゃったんだ」

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