契約者 河野稔

 目の前の男は僕が出したコーヒーを一口で飲み干し、早口でまくし立てるように話し出した。僕は、コーヒーのおかわりを出した方がいいのかどうかを考えつつ、こいつはこんなに話す奴だったっけ? と高校時代の記憶を必死に漁っていた。

「いやー、まさか境が寿命の売買をやってるなんて思ってもみなかったよ。ネットで見た時はただの都市伝説だと思ってたのに、同級生がやってるなんて。世の中何があるかわかんないな」

 だめだ、やはり目の前の男がこんなに饒舌だった記憶はない。教室の隅で空気になっていたはずだ。本当に同一人物かどうか怪しくらいに人が違う。よく同級生が大人になってから別人のようになる話は聞いたことがあるが、実際に目の前にするとどう反応していいかわからない。以前の倍以上に肥えた体型と、何かに取り憑かれたようにマシンガントークを繰り広げる姿に、僕は驚きを隠せない。

「河野って変わったね。いや、その、悪い意味じゃなく」

「そうそう、基本部屋にずっと籠ってるからかなり太った」

 河野稔こうのみのるは突き出たお腹をぽんっと叩いて高笑いする。僕が言ったのは体型よりも性格の方だったが、本人は気づいていないらしい。このままだと河野のおじゃべりで今日が終わってしまいそうだから、こちらから切り出す。

「今日来たのは寿命を売る為だよね? 正気?」

 聞いた途端、河野の顔から笑顔が消える。すっと影を帯びる顔は悲しそうにも見えるが、目には強い意志が見える。

「ああ、寿命を売りたい。その契約をしに来た」

「余命は1年になるよ。それはわかってる?」

 赤の他人相手でも繰り返し確認するが、同級生となるとよりしつこく聞いてしまう。

「わかってる。あと貰える金額も知ってる。その他のことはよくわからないけど」

「これから説明するよ。それから決めてくれ」

 河野は無言で頷く。本を開き、契約内容に沿って説明をする。

「相続は取引なしじゃできないの?」

「そう。取引なしで相続すると相手に渡った金や物品は無価値のものに変わるし、そもそも金の引き渡しができない場合もある」

「わかった。代わりに何か貰うとかすればいいの?」

「そう。それか何かお願い聞いてもらうとかかな」

 河野は口に手を当て契約書を見つめる。考え込んでいるようで沈黙が続く。

 ただで他人に金を渡せないことに驚いたところを見ると、恐らく相続が契約の目的だ。河野の状況を見れば尾形えみの時とは違うことがわかる。本気で自分の為ではなく他人の為に寿命を売るつもりらしい。正気か、とまた尋ねてしまいそうになる。

 暫く沈黙していた河野は口を開いて、

「決めた。契約するよ」

と、肺に溜まった空気を吐き切る様に言った。

「契約したら、もう取り消せないよ。大丈夫?」

「大丈夫。契約を頼む」

「わかった」

 僕はその後も再三確認をする。それでも河野の意思は変わらなかった。河野の決意した顔を見て、僕は残念に思ってしまった。

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