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尾形えみが亡くなってから2週間ほど経過した。僕は記録を書き終え、それを柳澤さんに確認してもらう為事務所に来ていた。記録を確認する柳澤さんは、普段の穏やかな雰囲気とは打って変わって真剣そのものだ。
柳澤さんが読み終わるのを待っていると、突然インターフォンが鳴った。僕達は顔を見合わせる。通常契約者とはアポを取ってから会う為、アポなしで誰かが事務所に訪れることはまずない。
僕はインターフォン越しに「どちら様ですか?」と聞く。画面に映る来訪者は中年の男性だった。
「突然申し訳ありません。お聞きしたいことがありまして」
僕は玄関に向かい、ドアのチェーンをかけたままドアを少しだけ開ける。男性はぼさぼさとした髪を靡かせ、髭は少し伸びている。擦り切れたTシャツとところどころ穴が開いたズボンを履いていた。
「お聞きしたいこととはなんでしょう?」僕は聞く。
「こちらに、私の娘がお邪魔していないかと思いまして」
「娘さんですか? いえ、どこかと勘違いされているかと思います」
うちの事務所には柳澤さんと僕しかいない。恐らくこの男性は場所を間違えている。
「いえ、うちの妻が名刺を持っていまして、そこにここの住所が記載されていました。妻は乱心して、娘がいなくなったと騒ぎ立てておりまして」
僕は膠着した。その男性の目に見覚えがあったからだ。
「妻とはもうとっくの昔に縁を切っていましてね。ええ、あれはとんでもない女でした。昔、娘を置いて家を出てしまったことを後悔していまして。家を出てからは何かと大変な目に遭いましたが、今はなんとか娘と一緒に暮らす準備が整ったのです。それで娘の行方を探して、ようやくたどり着いたんです。妻は見つかりましたが、しかし肝心の娘が見つかりません。妻はわけのわからないことばかり口にしていまして、てんで話になりません。自力で娘を探そうと思っていた時に、妻がここの住所が記載された名刺を持っているのを見つけまして。とにかく手あたり次第に当たってみようと思いこちらに伺いました」
大きな丸い目。整った顔立ち。その顔はあの人によく似ている。
「娘の写真ならここにあります。だいぶ前のものですが、手掛かりにはなると思います。あと娘の名前ですが、尾形えみと言います。あ、申し遅れました。私は尾形礼司と申します。名乗りもせずに失礼いたしました」
深々と頭を下げる男性を、僕は直視できなかった。この人は亡くなった尾形えみの父親だ。
「妻の言うことはわけのわからないことばかりですが、娘とここに訪れたことだけははっきりと申し上げていました。一度は娘とお会いしているのではないかと思うのですが、いかがでしょうか?」
僕は呆然とした。そしてチェーンを外し、尾形礼司を事務所に招き入れる。
見ず知らずの男性が事務所に立ち入ったことに柳澤さんは眉をひそめたが、僕が「尾形礼司さんです。尾形えみさんの父親です」と説明すると、柳澤さんの表情は固まった。尾形さんは先程僕にした説明を希望に満ちた目で再度繰り返した。
「突然の訪問失礼いたしました。ですが、どうしても娘に会いたいのです。会わなければいけないのです。昔借金を苦に娘を置いて行ってしまった私の罪を償いたいのです。あんな母親の元に娘を置き去りにするなんてあってはならないことでした。でも当時の私は、もういっぱいいっぱいでまともな判断ができていなかったのです。今は心の底から後悔しています。一度娘に会ってすべてを話して謝りたいのです。許してもらえるとは思っていません。でも娘の為に、何かできることがあるのではないかと思っています。もしそれがあったら、命を懸けてでも娘に尽くすつもりです。そういえば妻は、ここの事務所が、なんでも寿命の売買を行っていると話していました。昔からおかしなことを言う人でしたが、さらにおかしなことを言うものだと私は笑ってしまいました。だってそんな話はありえないでしょう? きっと妻の妄言ですね。昔から嘘や妄言で周りを振り回していた女です。でも、もしそんなものがあるのだとしたら、私は娘の為に寿命でも何でも売るつもりです」
その娘はすでに寿命を売り払い、もうこの世にはいない。
沈黙が流れる。尾形さんも遂に話を止め、僕達の反応を待っていた。黙り込む僕達を少し訝る様に見て、その後彼は僕の視線の先を追った。
「これは何です? 本ですか? 随分年季の入ったものですね」彼は興味本位に本に近づき内容を少し読む。「契約書? 寿命の売買? 何ですか? 小説か何かですか? 契約者尾形えみ? なぜ娘の名前がここにあるのです?」
尾形さんは僕と柳澤さんを交互に見上げる。柳澤さんは沈黙を破るように咳ばらいを一つし、尾形さんに語り掛ける。
「あなたの娘さんについて、私から説明いたします。どうぞおかけください」
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