やったわ。ついに10億を手に入れた。これでもうお金に困ることもない。こんな貧乏な生活とはもうおさらばよ。

 古く汚れた部屋を見渡す。ここに住んでもう何年も経つ。夫が借金を苦に夜逃げしてからというもの、地獄のような生活を強いられた。昼夜問わず借金取りに追い立てられ、精神的にも参っていた。それでも必死に働いてなんとか借金は返したけど、夫と生活していた時とは比べ物にならないくらい惨めな毎日だった。そんな生活はもううんざり。

 でももう解放される。えみが寿命を売ってくれたおかげで、私は晴れて金持ちの仲間入りよ。あの子がこの儲け話を持ってきた時はついに私に転機が訪れたと舞い上がったものだわ。私はなんて運がいいの。えみが反抗期を迎えた時は本当に苦労したけど、結果いい子に育ってくれた。私の育て方が良かったのね。今では私に逆らわず言われたことをきちんとこなすもの。おまけに、今までのお礼として自ら寿命を売ってくれるなんて。よほど私に感謝しているのね。当然よね、私の育て方が良かったんだから。

「えみ、今日ご飯食べに行こうか。今後のこともそこで話そうね」

 えみは可愛らしく微笑む。二人で焼肉を食べに行った。私は寿司の気分だったけど、えみが焼肉がいいと言うので仕方がない。

「まあ、あなたはあと1年の命だから食べるものくらい選んでもいいわよ」

 えみは、ありがとう、と無垢な笑顔で言う。

「そうそう。佐久間さん達のところにはもう行かなくていいからね。もう必要ないから。今までご苦労様」

 えみははっとした顔で私を見て、少し涙ぐむ。

 焼肉を食べ終わるとえみがレジに行き、支払いをする。10億もらえるのはいいけど、面倒な条件ばかりで億劫だわ。契約した売主しかカードが使えない。えみがいないと私は文無しと一緒。えみの死後残高はなくなる。たった1年で10億を使い切るのは困難。にも拘わらず相続の条件は厳しい。カードから私の口座に振り込もうとしてもエラーが表示されるだけ。仕方がないけど、えみが生きている間になるべく欲しいものを買っておくしかないわね。まずはボロアパートを出るために家を買わないと。豪華な庭付きのやつ。あとは車も欲しい。私は免許を持ってないから運転手も雇わないと。

「やることがたくさんあるわ。忙しくなるけど、楽しみね」

 えみは、そうだね、と微笑む。

「従順な娘は楽だけどもう少し面白い話ができないのかしら、この子。いつも肯定ばっかりでつまらないわ」

 ごめんね、とえみは笑顔のまま、眉を少し下げる。

「まあいいわ。あなたは顔が可愛いから、ずっと笑ってなさい。それで生活費は稼げたし。美人は得よね。お父さんに逃げられた時は、父親似のその顔が気に食わなかったけど。でも結果としていいお客さん捕まえたから許してあげる」

 ありがとう、とえみは蚊の鳴くような声で言う。


 今日は面会の日。必要最低限の物しか置いていない簡素な事務所で、契約後のえみの生活について説明する。なんなのかしら、この面倒くさいやり取り。記録なんてどうでもいいわ。こんなのを毎月やらないといけないなんて最悪。でもえみを1人で行かせるわけにいかない。下手なこと口走ったりしたら、それこそもっと面倒なことになる。まあ、あの子はできないでしょうけど。

 それにしてもなんて地味なところなの? 10億も出すくらいだからもっと儲かっていると思ってたのに。胡散臭い爺さんと世間も知らなそうな若者二人だけでやってる怪しい商売で、どうやって収入を得ているのかもよくわからない。聞けば、本が自ら契約して10億を支払うって。あまりにも雑なお伽話に笑いを堪えるので必死だったわ。こんな話に騙される人がいると本気で思ってるのかしら。馬鹿にしないでほしいわ。裏で危ない仕事でもして大金を稼いでるんでしょ。まあ、でも騙されたふりはしてあげる。だってこっちは10億を手にしたんだもの。

 えみは、境くんにここ1か月の出来事を話している。焼肉屋に行ったことや2人で旅行したことなどを楽しそうに。いいわよ、その調子。ちゃんと打ち合わせた通りに話すのよ。仲のいい親子だってちゃんとアピールするの。そうしないと怪しまれるわ。母親の為に命を差し出す娘なんて、不自然すぎて虐待を疑われかねない。冗談じゃないわ。

 えみが話し終わると、次の面会の日時を決めてそのまま事務所を出た。あっさり終わって興醒め。いろいろ心配したけど、損した気分だわ。まあ念を入れて面会時は全部打ち合わせをしてその通りに話せばなんとかなるわね。嘘はついちゃいけないらしいから、えみにもちゃんと楽しませてネタを作らないと。面倒ね。


 スマホをスクロールしてどれくらい経ったかしら。家を探すもいいものが見つからない。値段はもう気にしないから、条件に合うものが見つかればすぐにでも購入するつもりだったけど、うまくいかない。大きな買い物だからって自分のハードルを上げ過ぎたかしら? でも妥協は嫌。絶対に満足のいく物件を見つけてやるわ。

 私が苦戦しているのを見かねたのか、「この前テレビでやってたけど、ネットに掲載しているのは一部の物件だけで、不動産に直接聞けばもっと色々な物件を教えてくれるらしいよ」とえみがさり気なく言う。

「そうなの? だったら直接不動産屋に行った方が早いじゃない。なんでもっと早く言わないの」

 えみは、ごめんね、と小さく呟く。

「もういいわ。早く行きましょ。えみ、支度して」

 いくつか不動産会社を回ると確かにネットに出回っていない物件を紹介してもらえた。気に入ったところを内見して、ようやく私のお眼鏡に適う家が見つかった。郊外の静かな場所に佇む二階建ての家、庭と車庫付き。キッチンは広くアイランドタイプで、ⅠH、食洗器付き。壁に埋め込まれた冷蔵庫の横にはワインセラーが設置されている。リビングとダイニングは、知り合い全員を呼んでも余るであろう広さ。ガラスで仕切られたバスルームは高級感漂うホテルみたい。寝室にあるキングサイズのベッドは、最高の眠りを保証してくれる。私の条件通り、いやそれ以上。

 値段も聞かずに「買います」と言うと、不動産の男は目を見開いてこちらを見る。えみが「母がそう言ってますので買います」と伝えると、男は今度は同じ目をえみに向ける。

「わかりました。家主に連絡して後日返答いたします。家主から了承を得た段階で契約に移ります」

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