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スマホが鳴る。着信だ。画面には〈麻井玲奈〉の名前が表示された。あたしは電話に出る。
「……久しぶり」
玲奈の声は暗い。あたしはわざと明るく返してやった。
「何年振り? 元気にしてた?」
「白々しい。お互いSNSで近況は知ってるでしょ」玲奈は冷たく言う。
「上辺のね」
あたしの言葉に玲奈は虚を突かれた様子だ。一息置いて、玲奈は話し始めた。
「私の旦那と会ってるよね? 下衆いよ、そういうの。写真撮ったりSNSに投稿したりするのやめてくれない?」
「不倫をやめて、じゃないんだ」
玲奈が沈黙する。
「いいもの撮れたし、あんたの旦那はもう用済みだから縁切るよ。返してあげる」
「何それ、他にもまだ写真があるの? 投稿するの?」
玲奈が不安そうな声で聞く。あくまで心配しているのは不倫じゃなくSNSらしい。あたしのことを下衆呼ばわりとは、棚上げも甚だしい。
「あるよ。そのうち投稿するから楽しみにしててね」
「ふざけんな!」
玲奈の怒号が耳につんざく。
「そんなに怒らなくてもいいじゃん。あの人とは会ってるけど、不倫じゃないし。でしょ?」
玲奈がはっと息を呑む音が電話越しに聞こえた。思い描いていた反応がそのまま返って来たことに悦びがこみ上げる。
「全部晒してあげようか?」嘲笑があたしの口から漏れる。
「やめろ!」再度大声が響く。「お前、見てろよ。後悔させてやるからな!」
そのまま乱暴に電話は切れた。あの可愛らしい顔からは想像できない怒号と物言いだ。
激情した玲奈の声に、あたしは腹を抱えて高笑いする。込み上げてくる歓喜を抑えられない。咽込み、涙を流し、呼吸ができなくなっても笑いが止まらなかった。狂喜が背中を走り、全身が震える。呼吸が荒く、心臓が高鳴る。痙攣する両手を上げ、空を掴む。
これだ、あたしが求めていたものは。あたしの心を満たすこの高揚感は、どんな幸せも敵うまい。
宣言通り、翌日には玲奈の夫との写真を投稿した。すぐに反響を呼び、コメント欄は荒れ狂っている。初めはコメントも含めて楽しんでいたが、その投稿を期に玲奈の人気は下落した。何を投稿しても不倫についての質問や中傷が目立った。玲奈を励ますコメントもあったが、ほぼ埋もれている。一週間が経つ頃には玲奈は何も投稿しなくなっていた。それでも毎日コメントが追加されているようだ。
自分が原因だが、無惨な落ちぶれ方に拍子抜けした。少しやりすぎたか。玲奈が戦闘不能になってしまってはどうしようもない。戦う相手を失くしたあたしの闘争心は行き場を失くす。虚無がまたあたしの心を覆い始める。
ああ、やっぱりあたしには玲奈が必要だ。
今日は面会の日。境くんに会う為、事務所に向かう。あたしの足取りは重かった。勢いを失くした玲奈のSNSを見て、あたしの気持ちも塞ぎ込んでいた。ああ、つまらない。
駅を出た辺りで顔を上げると、見覚えのある人影が見えた。顔立ちや上背から玲奈だと認識できる。ただ、化粧もせず髪も手入れされていない。お洒落とは言い難い質素な服装を見るに、あたしの投稿が相当効いているようだ。
ただ玲奈の表情だけは落ちぶれていなかった。闘争心を剝き出しにして掴みかかりそうな勢いであたしに近づいてくる。その目には強い怒りと屈辱が見て取れた。戦いに敗してもまだ諦めていない。
玲奈の凄まじい形相とは裏腹に、あたしは安堵していた。やはり玲奈はこんなことでは折れない。さすがあたしのライバル。あたしの心臓が息を吹き返し、失っていた快楽が戻り始める。
ああ、玲奈。その屈辱にまみれた表情最高。後にも先にもあたしを悦ばせるのはあんただけよ。あんたもそう思うでしょ? もっと楽しもうよ。お互い尽きるまで。ねえ、玲奈。
❀
「聞いた? ここの近くで殺人事件があったらしいよ」
「知ってる! テレビで見た!」
「駅前で女の人が刺されたんだって」
「犯人は? 捕まった?」
「現行犯逮捕されたって。刃物持って血まみれのまま被害者の目の前で立ち尽くしてたらしいよ」
「怖すぎ。なんで殺したんだろ?」
「わかんない。黙秘してるみたい」
「狙って殺したっぽいよ」
「犯人の名前って……あった、麻井玲奈? なんかどっかで聞いたことある名前」
「知り合い?」
「いや、違う。確かSNSでそんな名前見た気がする」
「それ、この人?」
「そうそう! この人! フォロワーも多くて人気だったんだよ!」
「投稿見るとどれも幸せそうなものばかりだよ。なんで殺人なんて……」
「本当にね。旦那さんも可哀相に」
「え、既婚者なの?」
「SNSにはそう書いているよ」
「嘘。報道では独身だって言ってたよ」
「え、じゃあこれ違う人?」
「いや、この人でしょ。報道で出た顔写真とSNSの写真は同じ人だよ」
「どういうこと? SNSで嘘ついてたってこと?」
「さあ? よくわかんないけど、闇深そう」
「こわあ! もうやめよ、この話」
「てか、この前開店したカフェ行った? あそこめっちゃよかったよ。おすすめ!」
「まじ? じゃあこの後行かない?」
「行く!」
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