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 寿命を売ることができるという噂を聞いた時は胡散臭いとしか思っていなかった。でもこの時にはSNS投稿の為に散財し、さらには整形をしたためにその支払いに追われていた。収入よりも増える出費に焦燥感に襲われていたあたしは、10億という金額に惹きつけられた。疑いが少しずつ期待に変わり、少し話を聞いてみてもいいかもとまで思うようになった。

 ある日、出勤早々指名された。席に着くと初めて見るお客さんが座っていた。黒いスーツを着こなし、格式の高さを身に纏うその老人はあたしを見るなり、

「あなたが真壁加奈子さんですか?」

と聞いてきた。源氏名で呼ばれることに慣れていたあたしは突然呼ばれた本名に驚いた。言葉を発せずにいると、老人は優しい口調で続ける。

「寿命を売りたいのですか?」

「なんで知ってるんですか?」あたしの声は震える。

 老人は微笑むのみで答えない。

「何か知ってるんですか?」あたしは質問を変えた。

「よろしければお話ししましょう。ただし、別の場所でね」

 老人はそういうと胸ポケットから名刺を取り出し、あたしに差し出した。柳澤将義という名前と、住所と電話番号しか書かれていない。

「その場所でお話しします。事前に来ていただく日時を電話でお知らせください」

 目尻に皺を寄せて微笑む老人は、そのまま何も注文せずに帰ってしまった。

 

 それから事前にアポを取り、あたしは住所が示す場所に向かった。四階建ての集合住宅の二階にある一室の前に立ち、インターフォンを押す。少し待つとドアが開いた。顔を出したのはあの老人ではなく、幼さが顔に残った若い男の子だった。

「真壁加奈子さんですね? どうぞ」

 案内されるがまま室内に踏み入ると、そこにはソファとテーブル、テレビのみが設置された簡素な部屋だった。

「境将と申します。柳澤さんは僕の雇用主です」

 コーヒーを運びながら男の子は律儀に名乗る。こんな若い子が寿命の売買などという怪しい商売をしていることに驚いた。

 するとあの老人が別室から顔を出し、「この間はどうも」と軽くお辞儀をした。そしてそのまま部屋に引き籠ってしまった。

「真壁さんは寿命を売ることにご興味があるようですが、今日はその話を聞きに来られたということでよろしいでしょうか?」

「そう。値段は10億って聞いたけど、それしか情報がないから色々聞きたくて」

「かしこまりました。では説明させていただきます。ご質問等ございましたら、遠慮なくおっしゃってください」

 条件や契約内容は、あたしにとって理想だった。寿命が1年しか残らないのは少し不満だったけど、そもそもあたしに長い人生なんて必要ない。SNS上での玲奈との勝負も一生続くとは思えない。玲奈が止めてしまえば、あたしはまたあの虚無感を抱えることになる。無気力なあの頃に戻るなんて冗談じゃない。あたしが生きている実感を持てるのは、玲奈があたしとの勝負に執着している今だけだ。なら、この1年で勝負を堪能し高揚感を味わったまま死にたい。

 気づけば契約書に署名していた。契約はあっさりと終わり、もらったカードを手にそのまま帰る。家に着く前に近くのコンビニに寄って弁当とお茶を購入する。カードは問題なく使用できた。しかもカードをこすると、デジタル文字で残金が表示される。ATMを使用してみると、引き落としか振り込みを選択する画面が表示される。引き落としを選択し金額を入力すると、引き出し口に数枚万札が現れる。どういう仕組みかはわからないが、とりあえず10億は手に入ったらしい。余命1年を楽しむための計画が頭を埋め尽くす。これからが楽しみだ。

 すぐ目当てのマンションの賃貸契約をする。キャバ嬢という職種から初めは契約に難色を示されたが、1年分の家賃を先払いすることを伝えると大家から即座に了承を貰えた。正直こんな広い部屋やリビングは1人では持て余すが、見栄えは最高だ。大量の服や靴の収納にも困らない。

 知り合いにプロのカメラマンを紹介してもらい、以前よりもいい写真が投稿できるようになった。派手な写真は多くのフォロワーに共有され、フォロワーも毎日増え続けた。このままいけば玲奈のフォロワー数を追い越す日もそう遠くはないだろう。

 働く必要もないからすぐにでもキャバクラを辞めるつもりだったが、辞める2週間前に申告するようマネージャーから言われていたのを忘れていた。金はもう必要ないのに働かなければいけないことに口を尖らせていたが、結果としてこれが幸いした。玲奈の夫が来たからだ。

 玲奈の夫はどうやらSNSはやっていないらしくあたしのことも知らなかった。おまけに結婚指輪を外しているようで、左薬指に薄い跡がついていた。SNS上の愛妻家は玲奈が作り出した虚構のようだ。これは使える。

 難なく玲奈の夫と近づきさり気なく普段の生活について尋ねると、仕事や家での不満を少しずつ零し始めた。既婚者であることは口にしなかったが、妻に対する愚痴であるは明白だ。共感を示すと玲奈の夫はいとも簡単に心を開き、連絡先の交換を提案してきた。また翌日もキャバクラに顔を出しあたしを指名した。瞬く間に毎日連絡を取り合う仲になり、拍子抜けするほど簡単に玲奈の夫を手玉に取れた。

 キャバクラを辞めた後に玲奈の夫にもう会えないことを伝えた。すると彼は、店であたしに会えないことを嘆いた。プライベートでのデートを提案すると興奮した様子で返信が来る。骨を与えられた犬さながらの姿に笑みが零れる。

 不倫の証拠を取る時も手を抜かなかった。相手の顔を隠しながら、それでも玲奈の夫だとわかる証拠がさり気なく写るよう工夫する。

 彼は写真を撮られることに辟易した様子で「そういうところ俺の知り合いにそっくり」と漏らす。玲奈のことだろう。やはりあの女も同類だ。ライバルが同じレベルで嬉しくなる。あたしたちはお互いに低俗な争いに心血を注ぎ、興奮と愉悦の虜になっている。

 玲奈が夫の誕生日に投稿した文章を見た時は露骨な挑発に腹が立ったが、同時に興奮した。「愛してくれる旦那様」はあたしの手中にあるという事実を知った玲奈の顔を想像するとにやけが止まらない。計画通り、少しずつ不倫を匂わせる写真の投稿を始めた。

 フォロワーがあたしの不倫に気づき始めた頃、玲奈の夫からメッセージが来た。

『俺との写真SNSに載せてるの?』

『載せてるよ。でもあなたの顔は写っていないよ』

『知り合いにばれそうなんだけど』

『知り合いじゃなく妻って正直に言ったら? 既婚者だって知ってるよ』私はそうメッセージを送る。

『いや、違うよ、あれは』彼の返信は歯切れが悪い。往生際の悪さを鼻で笑う。

『玲奈の投稿見れば全部わかるから』私は冷たく返す。

『違うんだよ、実は……』

「……え?」

 私はただ立ち尽くし、何度もメッセージを読み返した。

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