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二週間後。面会時間になっても真壁さんは事務所に現れない。彼女は時間に正確でこれまで遅刻したことは一度もない。心配になり電話をかけてみるも一向に出る様子がない。真壁さんにメッセージを送ってみる。それもなかなか既読にならない。何となく異様な雰囲気を感じつつも、何も出来ずに僕はソファの背にもたれかかる。
返事を待つ間、何もすることがなく事務所にあるテレビをつけた。この時間帯ならワイドショーが芸能人の不倫問題を鼻息を荒くして掘り下げているかと思っていたが、予想に反して別の話題で盛り上がっていた。緊急事態が発生した様子で速報が流れている。テレビには焦燥感を隠そうともしないリポーターと最寄り駅が写っていた。
『本日午後1時30分頃、駅前で女性が刃物で刺される事件が発生しました。被害者の女性は腹部を複数回刺され、重体となっています。現在、搬送先の病院で処置を受けています』
「何かあったの?」柳澤さんが隣の部屋から顔を出す。
「この近くの駅で人が刺されたみたいです」僕はテレビから目を離さずに言う。
「物騒だね」柳澤さんも画面に釘付けになる。
さらにリポーターが最新情報を伝える。
『今入ってきたニュースです。搬送先の病院で被害者の女性の死亡が確認されました。被害者の名前は真壁加奈子。27歳、女性。死因は腹部を刺されたことによる失血死とのことです。女性は駅を出たところで、近づいてきた容疑者に腹部を刺された模様です』
僕は口を中途半端に開けたまま画面から目を離すことができなかった。
「この人、今回の売主じゃないか?」
柳澤さんに聞かれ、かろうじて頷く。リポーターは新しい情報が入るたびに慌てた様子でニュースを伝える。
『被害者を殺害した犯人は駆け付けた警察に取り押さえられその場で殺人未遂の容疑で逮捕されました。警察は今後殺人容疑に切り替えて捜査する模様です。容疑者は麻井玲奈。27歳、女性。被害者との面識や犯行理由は現在捜査中とのことです』
僕は柳澤さんと遺体が安置されている場所に向かった。すでにこの世を去った真壁さんの顔は灰色を帯びた血の気の失せていたが、それでも穏やかに眠っているように見えた。
遺体にすがりついたり、最後の言葉を残したりするほど近い関係でもない。それでも胸からこみ上げてくる感情は言葉で表すには複雑すぎる。結局僕は何も出来ずに、ただ彼女の亡骸を見つめていた。
少しすると、50代とみられる男女が霊安室に入ってきた。その人たちは真壁さんの顔を見た瞬間に泣き崩れ、遺体に縋りついた。真壁さんの両親だと気付くのに時間はかからなかった。
「境くん。出ようか」
柳澤さんに肩を引かれ、霊安室を後にする。母親の泣き叫ぶ声がいつまでも頭から離れなかった。
「今回は衝撃的な結末だったね」
僕達は近くの公園に寄り、ベンチに腰を下ろした。
「彼女が殺された理由については知っているかい? 彼女はSNSで誰かと競っていたんだっけ?」
「はい。真壁さんを殺害した麻井玲奈とSNS 上でマウントの取り合いをしていて、真壁さんはそれを楽しんでいました。これまでは水面下で行っていましたが、最近は真壁さんの投稿が過激さを増して、二週間前には麻井玲奈の評判を落とすような投稿をしていました。麻井玲奈のアカウントを確認しましたが、それ以降は何を投稿しても批判と嫌がらせのコメントが絶えない様子でした。殺害理由はそれによる怨恨だと思います」
「そうか。境くんは真壁加奈子のSNSへの執着が異常だと前に話していたけど、麻井玲奈の執着はそれ以上だったみたいだね」
「麻井玲奈の執着は真壁さんほどではないと思って高を括ってました。まさか殺人事件にまで発展するなんて」
「それはおそらく真壁加奈子も同じだっただろう。命を懸けてまでわざわざこんな投稿をしたとは思えないね」
「この契約は余命1年を保証するものではないんですね」
「そうだよ。自分の行動で人生は変わるからね。危険を回避すればそれだけ死のリスクも減らせる。だが、金は人を狂わせるんだよ。僕も以前に大金を手にしてから人が変わってしまった売主を見た。危険を顧みなくなったその人も余命を待たずに死んでしまった。金に酔わなければ避けられた死だった」
「それでも残りの余命は返さないんですね」
「返せないんだ。死者は生き返らない。これが世の理だよ」
僕は人気のない公園をただ見つめ息を吐く。
「SNSみたいな表面上の価値はそこまで大事ですか?」
「価値観は人によるよ。でも人は悲しい程に表面上のものに囚われるから、彼女たちの執着はそこまで珍しいものではない」
「人は見た目が大事だって真壁さんに言って怒らせたことがありました。エゴで吐く正論は言われた側を救わないと吐き捨てられました。自覚はなかったけど、きっと僕は正論を言うことで真壁さんにマウントを取っていたのかもしれません」
「マウントのプロは見逃さないだろうね」
「見事に見破られて返り討ちを食らいました」
「ちなみに境くんは結構な頻度で正論吐いているよ。いつも青いなって思ってた」
かっと顔が赤くなる。僕はそんなに言っていた? 自覚がないことが余計に恥ずかしい。
「個人の価値感なんてものは人の自由だ。そもそも正論なんて不特定多数の人が集まって多数決で決めたものだよ。正しいかどうかは別としてね。個人のものとは水と油のように相反する。相容れないものを議論に持ち出せば解決どころの話じゃない。正論も使い分けが必要だよ」
柳澤さんは飲み終わった缶を潰してベンチから立ち上がる。
「気持ちが落ち着いたら、今日のことを記録してね。つらいと思うけどこれが仕事だから。書き終わったら僕に見せて」
柳澤さんは、僕の肩を軽く叩きそのまま帰っていった。僕はしばらくベンチに座っていたが、やがて腰をゆっくり上げとぼとぼと帰路に就く。
アパートに戻り、本を開く。これまでの面会で彼女が明かした私生活や価値観についてそれぞれ書かれている。パラパラとページをめくり、前回の面会時の記録を開く。この時にはこんなにすぐに逝ってしまうと思っていなかった。少しだけ面会時の思い出に浸り、次のページを開いて彼女の最期を書き始めた。これまでのものとは違い、無機質な文章。彼女の最期の気持ちも知る由もなく、ただニュースなどから得た情報のみを書き記す。そして完成した。
これが、真壁加奈子の物語。
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