その後も月一回の面会は滞りなく行われた。すでに数回面会を終え、彼女の生活について大体把握できるようになった。

 真壁加奈子は契約後に勤務していたキャバクラを辞め、現在は無職。普段は買い物、エステ、ネイル・ヘアーサロン、旅行などを楽しみ、そのすべてをSNSに投稿している。いや、SNSへの投稿を楽しむためにそれらの活動をしているというのが正しいだろう。契約後はプロのカメラマンを雇い、さらに魅力的な写真の投稿に熱を上げているようだ。その甲斐あってかさらにフォロワーが増えている。彼女は今頃自尊心を満たしてることだろう。

 ただ、最近気になる投稿が僕の目を引く。誰かと食事に行った際のもので、相手の顔を隠しているが明らかに男だ。手をつないでいたり、相手の肩に頭を載せたりしている彼女の写真には『幸せ』という言葉だけが添えられている。

 僕は記録のためにメモを取る。次の面会は一週間後。その際にこの男性について確認しなければ。


「この人? 麻井玲奈の旦那だけど」

 真壁さんはあっさりと答える。不倫を堂々と認める彼女は一転して清々しい。

「ではライバルの旦那さんと会っている、と。でも麻井玲奈とお互いにフォローし合っていますよね? 彼女が不倫に気づく可能性もあると思いますが」

「もちろんそれが目的でやっているのよ。気づいてもらわなきゃ困る」

 僕は目を見開いた。さすがに堂々としすぎている。

「それはトラブルになるのでは?」

「もちろんなるでしょうね。でも夫婦間のトラブルはあっちの問題だし、あたしを訴えるにしても時間がかかるでしょ。解決しないうちにあたしは死ぬから大丈夫よ」

 真壁はスマホを操作し、ある投稿を僕に見せる。麻井玲奈のアカウントで彼女と彼女の夫が写った写真が掲載されている。夫の誕生日を祝っているようだ。綺麗な写真と共に月並みな祝い言葉と文章が添えられている。


『ブランド物も豪華な家もないし、みんなが憧れるようなキラキラした生活ではないかもしれないけれど、こんな素敵な旦那様に愛してもらえる私は世界一の幸せ者。お金じゃ買えないこの幸福な時間は何ものにも代え難い』


「わかる? 明らかにあたしへの当てつけよ。最近あたしのフォロワーが増えたことが気に食わないみたい。コメント欄があたしみたいな物欲主義者への批判と麻井玲奈への支持で盛り上がっているの。これがあいつのやり方よ」

 真壁さんは舌打ちをしながら言う。またスマホを操作し、数分後に顔を上げる。

「また投稿したよ。確認してみて」

 アプリを開くと一番上に真壁さんの投稿が上がっていた。今食べている寿司の写真が掲載され、それと共に


『私の生活にとやかく言う人がいるみたいだけど、関係ない。これが私。自分の人生を楽しむだけ』


という文章が続く。おそらくこの後に彼女を擁護するコメントが寄せられるのだろう。

「今、不倫の証拠も集めているの。いずれはフォロワーが感づくような写真も投稿するつもり。あいつの『愛妻家の妻』像が崩れる瞬間を想像すると興奮するの」

 彼女の下卑た笑顔に顔を顰める。これが余命1年でやりたいことなのか。SNS上でのマウントの取り合いなどあまりにも惨めだ。

「境くん、あたしが惨めに見える?」

 彼女の見透かしたような言葉に、思わず顔を上げた。たじろぎ、なんとか言葉を見つけようとする。真壁さんは返事ができないでいる僕を見てからっと笑う。

「気を遣わなくていいよ。自分がマウントに酔ってることくらいわかってるから」

 真壁さんはグラスをテーブルに置き、唇についたビールを舌で舐める。妙に艶かしいしぐさに少しだけ鼓動が速くなる。

「世間じゃマウント取る人に対して当たりが強いよね。惨めだとか性格が悪いとか。マウントを取る人の特徴と対処法を紹介するサイトまであるの。マウントを取られた被害者達にごまをするような内容ばかり。くだらない。同じ穴の貉のくせにね」

「それは違うと思いますけど」

「そんなことない。少なくともあたしが今まで会ってきた自称マウント被害者はみんな裏ではマウント取りに必死な人ばかりだった。自覚の有無に関わらずね。例えば、境くんはあたしの投稿を見てマウント取られたと思った?」

「いえ、まったく」

「そうでしょうね。でもSNSでマウントを取る人は、あたしの投稿をマウントと解釈するの。自分の投稿もそうだから。金でマウント取りたい人はブランド物が写ったあたしの投稿が気に食わないだろうし、フォロワー数でマウントを取りたい人はあたしのフォロワー数を見て悔しがる。でも、境くんみたいにそこでマウントを取ろうと思わない人は何も感じないのよ。そもそもその土俵で勝負してないから。マウントの被害者になった自覚があるのは、同じ土俵で勝負した人だけよ。彼らは被害者じゃなくて敗者なの」

「じゃあそもそもこういうものを気にしなければ、負けることもないということですか?」

「その通り。でも何も気にしなくなったらそれこそつまらない人生じゃない? 勝負するものも拘るものもない。それって何にも熱を上げるものがないってことでしょ? 境くんは豪華な生活には興味ないみたいだけど、女の子には興味あるでしょ。もし友達の恋愛の経験人数が君のよりも多かったら? 友達はそれをただ話しているだけだけど、境くんはきっとそれを自慢かマウントと受け取ると思うよ」

 僕は言い返せなかった。過去に全く同じことがあったからだ。僕はその時確かに「負けた」と感じていた。

「まともに生きている人でマウントを取らない人っていないのよ。みんな土俵が違うだけ。『負けた』と感じるのは同じ土俵で勝負して敗者になっただけ。『被害者』という言葉は敗者の言い訳にすぎないのよ」

 確かにマウントを取られたと感じたあの時の僕には「敗者」の称号が適している。納得したくはないが、どうしてか過去の自分の敗戦が僕に言い返す余地を与えてくれない。

「境くんが私たちのマウントの取り合いをくだらないと思ったのも、そもそも境くんが同じ土俵にいないからよ。もし境くんが経験人数を友達と競っていたとしたら、私もそれをくだらないと思うでしょうね。それは私の土俵じゃないから」

 妙に説得力があり納得されられる。それと同時に彼女に少しだけ魅了されている自分がいた。自信を纏った彼女の言動は、SNS上で多くの人惹きつける魅力の一つでもあるのだろう。

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