第31話 プリシラは微笑んだ
檻の中で、カリアナは打ちひしがれていた。
ユアを殺そうと牢屋を脱走したことで、カリアナの扱いは最初のものよりも悪化した。
最初の牢屋はベッドも机も置かれていて、食事も三食出されていた。服だって粗末だが温かな綿で作られたもので、一週間に一度は着替えが許される。
さらにカリアナは、その美しさから見張りの兵士たちから特別扱いされていた。差し入れだといわれて僅かな甘味を貰ったこともある。
最初はふざけるなと憤慨していたが、徐々にカリアナは兵士たちの手懐け方を学んでいった。
そして、カリアナは決心する。
自らの身体を与えて、兵士を完全に寝返らせることを。
一度は、愛しい人に抱かれた身体だ。粗野な兵士に差し出すことに抵抗がないと言えば嘘になるが、二度目ともなれば諦めがついた。
そうして兵士を籠絡し、脱走させてくれたら妻になるとカリアナは約束した。
約束は守らずに、そのまま逃げたけれども。
逃げてからのカリアナは、何度も男に身体を売った。
女を物としか扱わない男に乱暴されることは日常茶飯事だったが、それはユアへの復讐心で耐えた。
決して燃え尽きない怒の炎こそが、カリアナの生きる糧であった。しかし、カリアナのお粗末な復讐劇は失敗に終わる。
そこからは再び収容されたが、そこは一度目の檻とは大きく違った。
地下に設置された牢は、本来ならば政治犯が収容される牢屋であった。
爵位を没収されたカリアナは、あくまで庶民だ。庶民が脱走して公爵家の二人を殺そうとしたことは、一度目よりも重い罪だとされたのである。
幸いにして、カリアナは死刑にはならなかった。けれども、この檻の中で一生を終えることになる。
「おい、よくも人のことを騙してくれたな」
たまにカリアナの元に訪れるのは、騙した兵士だ。彼ははユアに唾を吐きかけて、惨めなカリアナを笑って帰っていく。
「どうして、こんなところに……」
カリアナが収容されている部屋は、ベッドも机もない。風を通してしまう麻で出来た簡素な服だけが寒さを和らげる唯一であり、この部屋には毛布の一枚もなかった。
しかも、服を着替えることすら許されない。擦り切れすぎて着られなくなったら替えの衣類をもらえると聞いたが、今の服ですらカリアナにはボロ服に思えた。
今のカリアナには、派手なドレスを城で着ていた頃の面影はない。惨めな浮浪者のような格好であった。
ここでの食事は、一日に一食だけ。
しかも量は少なく、パンは乾燥しきって硬いものだ。兵士たちの食事の僅かな残り物が、カリアナの食事だったのである。
少なすぎる食事では栄養などあってないようなもので、カリアナは骸骨のように痩せていった。常に空腹で惨めで、けれども心はユアへの怒りで燃えていた。
カリアナは、自らの不幸を嘆いた。
本当ならば、カリアナは王妃になっていたはずの女である。こんなところで落ちぶれているような人間ではないはずだった。
どこで間違えたのだろうか。
いいや、違う。
カリアナは、一つも間違っていない。ユアが存在していたことが、そもそも間違っていたのである。
彼女さえいなければ、アティカ王子の婚約者は最初から自分だった。そして、カリアナはあらゆる贅沢を許されて、王妃にまでなったはずである。
愛する人の子供だって産んでいたはずだ。幸せな家族を作れるはずであった。
「アティカ様……。助けてください」
カリアナは涙を流すが、誰も助けてはくれない。実家の男爵家はすでになく、家族は面会にも来てくれない。
アティカ王子は、遠い離島に流された。王の怒に触れたのだから、二度と王都には戻って来れないかもしれない。もはや、彼女を助けてくれる人間は一人もいなかった。
「本当に同席しなくていいのかい?女のくせに殺人未遂なんてやらかした凶暴なやつなんだぜ」
遠くから見張りの声が聞こえてくる。
この見張りは、かつてにカリアナのことなんて全く知らない。カリアナの手が王妃の座にかすったことも何も知らずに、彼女を貴族の命を狙った凶悪犯だと思っている。
だから、カリアナの扱いは粗雑だ。
まるでゴミのように扱って、時には食事を床にこぼされて犬のように食えと命じられたこともあった。そんな人でなしが、誰かの身を案じているだなんて滑稽だった。
「はい。大丈夫ですから」
聞こえてきたのは女の声である。
聞いたことのない声だ。
誰だろう、とカリアナは思った。
学園時代のカリアナの知り合いが、面会の来るはずがない。牢獄まで会いに来てくれるような友人は、カリアナにはいなかった。
なにより、囚人に面会など親が許すわけがない。良識のある親ならば、娘が囚人に合うなど止めるはずだ。
しばらくするとメイド服を来た女がやってきた。見たことのないメイド服だし、見たことのない顔の女である。
実家のメイドではないし、自分の悪口を言っていた城の使用人でもない。彼女たちとは、制服であるメイド服からして違っていた。
「はじめまして。私は、ユア様のメイドのプリシラと申します」
プリシラと名乗った女性は、スカートを摘んで華麗にお辞儀をする。きちんと教育された公爵家のメイドということに間違いない。
プリシラと名乗った女は、場違いなほどに朗らかに笑った。
「まさか、ユアのやつが私を暗殺に来たの!」
カリアナが逃げられないことをいいことに、ユアはメイドに命じて自分を殺させるつもりなのだろうか。カリアナがやったのと同じように。
カリアナは震えた。
まだ死にたくはなかった。死ぬのは怖い。死ぬのだけは、カリアナは怖かった。
「救けて。お願い、助けて!」
奥に引っ込んでしまったの見張りの兵士を呼ぶが、やってくるような雰囲気がなかった。
カリアナのことなど、興味がないのだろう。あるいは、死んでも良いと考えているのか。
「ユアお嬢様は、そんなことをするような方ではありません。すべては、私の一存です」
私にとって、ユアお嬢様は惟一なのです。
そのように、プリシラは微笑む。その笑みには、致死量の毒が含まれていた。
カリアナは、プリシラを恐れる。
彼女は、得体が知れない存在だった。
プリシラが何を望んでいるのかが、カリアナは全く分からない。カリアナの暗殺が目的ではないとすれば、プリシラは何が目的でここまでやってきたのだろうか。
「お嬢様は、素晴しい人です。そんな方を殺そうとするなんて許しません」
プリシアは、ずっと考えていた。
ユアを害そうとしたカリアナに一番ふさわしい罰と拷問はないかと。
しかし、どんな拷問も実践するのは難しかった。道具を牢屋まで持ち込めないし、下手に暴力を振るったらプリシラも捕まるかもすれない。
そうすれば、ユアにも迷惑がかかる。
それだけは、プリシラはなんとしても避けたかった。だから道具も暴力も使わずに、カリアナを苦しめる方法を考えぬいた。
プリシラにやがて天恵が降りてくる。
ようやく思いついたのだ。
これならば、カリアナを苦しめることが出来ると思った。しかも、もっとも残虐に。
「あなたには、幸せになるユアお嬢様の話を聴かせて差し上げます」
立ち上がる力がないカリアナにもはっきりと聞こえるように、プリシラは身をかがめる。
「あなたにとって、一番許せないのはユアお嬢様の幸せ。その幸せを語って聴かせて差し上げることにしたのです」
カリアナの目が見開く。
プリシラの言葉が、カリアナには信じられなかった。カリアナが思い出したのは、ユアの婚約者となったイゼルという男のことだ。
「ユアは……幸せなの?髪の白い化け物の婚約者になったのに」
カリアナの言葉に、プリシアは目を細める。
ユアの婚約者となったイゼルは、将来のプリシアの主人でもある。悪口は許さない。
それにイゼルは、とてもユアのことを大事にしてくれる。もしも粗雑に扱ったら許さないつもりだったが、イゼルに関してはプリシラは合格点を出していた。
「イゼル様は、非常に優しく紳士的な婚約者です。お仕事は忙しいですが、その分だけ優秀で王の覚えも目出度いとか」
ユアと共に語りあう事で、イゼルは国の政策に関するアイデアを次々と思いつくようになった。
元より、ユアも国政に興味を持っていた女性だ。二人の意見交換は、実に有意義なものになっていたのである。
そのアイデアは父のセシラムを通して、王の耳にも届いている。
王は、毎度のように提出される素晴らしいアイデアにうならせられていた。
そのアイデアにユアが一口噛んでいるとセシラムが伝えるれば、王はひどく納得するのである。そして、改めてユアを王族に迎え入れることが出来なかったことを王と王妃は悔やんだ。
今は若すぎて無理だが、その内にイゼルは王に重用される部下の一人に上り詰めることだろう。父のように宰相となることだって、夢の話ではない。
そうなれば、イゼルの家は今以上の繁栄を約束されるはずだ。その家の女主人として、いつかはユアは君臨するのである。
ユアのことだから、屋敷でサロンを開くかもしれない。賢いユアのサロンは、社交界では憧れの的になるだろう。
忙しい日々を過ごしながら、イゼルはユアとの時間を大切にしていた。
二人は連れだってドレスを買いに行ったり、流行りのカフェに行ったりする。時には、大きな公園に共に散歩に出かけたりした。
仲睦まじい二人の様子は、非常に微笑ましい。
そして、ユアはイゼルの両親にも気に入られちる。
特に、義母とは良好な関係を築いていた。手紙のやり取りを密にし、ユアが義理の娘になる時を心の底から義母は望んでいる。
このままでいけば、結婚後のありきたりな嫁と姑の争いとはユアは無縁でいられることだろう。
それだけではなく、イゼルの屋敷の使用人たちの心もユアは掴んでいた。ユアがイゼルを訪ねていく度に使用人たちの歓待を受けて、時にはユアも使用人たちに自慢のお菓子などを振る舞っているらしい。
ユアは、すでにイゼルの妻として受け入れられている。誰もが、ユア以外の嫁を認めないほどに。
「結婚式のドレス制作も順調に進んでいますよ。とても美しいドレスになるでしょうね」
カリアナが欲しかったもの。
それら全てをユアは奪っていく。ユアだけが、幸せになっていく。
「将来有望で優しい婚約者。良くしてくれる義理の両親。そして、結婚式の美しいドレス。あなたには、どれも手が届かなくなったものですよ」
カリアナは奇声を上げた。
そこに含まれた感情は、燃え上がるような嫉妬であった。
「許さないわ。許さないわ!!」
叫んで駄々っ子のように暴れるカリアナに、プリシラは止めを刺す。
「ユアさまのドレスを作るのは、王都でも有数の人気店です。本来ならば予約も取れない店ですが、イゼル様が特別なツテを持っていらしゃったのです」
イゼルを幼い頃から知っている店主の店は、王都では有名な店の一つだ。ユアの婚約式のドレスを手掛けたことで、さらに名を上げている。
染め粉のせいで、ドレスは残念ながら黒く染まってしまった。けれども、そのドレスは人々の記憶に鮮明に残っていたのだ。
店主兄妹もイゼルがトラウマを乗り超える事ができたのはユおかげだと言って、花嫁衣装となるドレスは利益度外視で作るのだと張り切っていた。
小さい頃から知っている坊っちゃんの苦しみを知っているからこそ、イゼルがトラウマを乗り越えられた喜びも一入だったのである。
店主たちが総力を上げて作るドレスは、豪華で見事なものあることは間違いない。
「なんで、ユアばっかり!ユアばっかり!!」
見張りの兵が、度重なる奇声を聞いて急いで戻ってきた。面会にやってきたプリシラに、カリアナが危害をくわえたと思ったのだ。
だが、見張りの兵士の考えは外れた。
牢屋の中ではカリアナがのたうち回っており、それを見たプリシラが高笑いをしている。牢屋からは異臭が漂ってきていて、その匂いに兵士は顔をしかめた。
「ふふふっ。怒りのあまりに感情失禁してしましたね。あなたには、ユア様の幸せが許せないですよね。いいですよ。もっと聴かせてあげます」
プリシアは、ユアの幸せを囁やき続ける。
カリアナが嫉妬で文字通り憤死するまで、ずっと。
「なんて……恐ろしい女だ」
見張りの兵は呟く。
気弱そうに見えたというのに、実のところプリシラは一番残虐女であったのだ。
主人が受けた屈辱を忘れず、カリアナが一番苦しむ方法を考えて復讐を続ける。
拷問のような復讐は、きっとカリアナが死ぬまで続くことであろう。
「まだまだ死なないでください。ユア様の結婚式の話もちゃんと聞いて欲しいのですから」
プリシラは笑う。
今度は栄養たっぷりのクッキーを差し入れに持ってきてあげよう、とプリシラは思った。
ユアの幸せな人生は続くのだ。その物語を全て聞いてもらう前に、カリアナに死んでもらったら困るのである。
「ユア様の幸せな一生は、まだまだ続きますよ。それこそ、あなたが死ぬまで……死んだ後だって永遠に」
王子の婚約破棄のせいで、あきらめていた初恋が叶っちゃいましたが良いんですか?~優秀な者同士で幸せになってしまいますけど~ 落花生 @rakkasei
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