第30話 これからの人生
「ん……まぶしい」
イゼルが目を覚ませば、そこには大人のユアがいた。両親のセシラムとテラジアは、顔を見合わせてホッとしている。ユアも涙が浮いた目をこすっていた。
「何があって……私は刺されたのでは」
だが、痛むのは頭だ。
背中を指されたと思ったが、どうして頭が痛むのだろうか。取り敢えず起き上がろうとすれば、それを周囲が止めた。頭に乗っていたらしい黒い濡れ布巾が床に落ちる。
「落ち着いて、あなたは頭を打ったのよ。瘤が出来ているから、頭を冷やしていたの」
ユアの話によれば、イゼルはナイフで切られてはいないらしい。その代わりに頭を打ったようだ。意味が分からない。
「あの人、髪が……」
誰かの声が聞こえた。
よく見れば、招待客たちが遠目でイゼルのことを見ていた。それで、イゼルはここが神の家だったと思い出す。
ならば、カリアナに刺されたのが夢だったというオチはないであろう。
「私は……助かったのでしょうか?」
死んだと思ったし、ユアが助かるなら死んでも良かった。それぐらいの覚悟をもって、ユアをかばったのだ。
「そうだ!ユア様、怪我はありませんか?」
見たところ、ユアは無傷である。だが、見えないところが傷ついている可能性があった。
「ええ。でも、二度とあんな事はしないで。心臓が止まるかと思ったわ」
ユアは、イゼルの頭に黒い濡れ布巾を乗せる。いや、それは最初から黒かったわけではない。イゼルの水性の髪の染め粉が落ちて、染まってしまっていたのだ。
「かっ、髪の色が!」
イゼルは、呆然とする。
染め粉が落ちてしまったら、醜い白が明らかになる。イゼルたちを遠巻きにする招待客が、ひそひそと何かを言っている。
何を言っているのかまでは、分からない。
けれども、皆が自分の髪のことを悪く言っているような気がした。
「止めてください。見ないで……。この色を見ないでください!」
頭を振り乱して錯乱するイゼルは、自分の両親を突き飛ばした。それでもセシラムは、混乱して周囲を恐れるイゼルを安心させようと背中を撫でる。
けれども、イゼルは頭を抱きかかえるままだ。まるで、自分の色を誰に見せたくはないというように。
「嫌だ……。私を嫌わないで。こんな色は嫌いだ」
イゼルは、泣き言を繰り返す。
そんな、イゼルはユアは抱きしめた。
まるで自分がイゼルを受け止めて、守ると宣言するかのような包容だった。
「この色で、人に嫌われていた過去は聞いたわ……。辛かったのよね」
ユアの腕の中で、イゼルは涙を流しながら頷く。今まで自分の側にいてくれた人が、潮が引いたようにいなくなる。
それが、とても怖かったのだ。
「私の髪は、皆に嫌われるんです。幼い頃にいた使用人には、化け物と言われたこともありました。……私を産んだ両親のことでさえ、悪く言う人だっていた」
幼いイゼルは、かつての使用人たちに酷く傷つけられた。その傷は大人になった今でも、イゼルの心を蝕んでいる。
「私の髪が白いのがいけないんです。私さえいなければ……」
ユアは、さらにイゼルを強く抱きしめる。
「そんな事を言わないでよ。私は、あなたの愛情で救われたのよ。イゼル君がいなかったら……私はここにはいなかったわ」
ユアは、イゼルから離れる。
彼女のドレスは、流れてしまった染め粉の黒で汚れてしまっていた。その光景に、イゼルは呆然とする。
「すみません。……こんなについてしまうだなんて。これでは、婚約式が……。ユア様との婚約式が」
一生の思い出になるはずだったのに、とイゼルは悲しむ。これでは、全てが台無しだ。ユアのために、素晴らしい式を用意したかったというのに。
「ドレスなんて、どうでもいいの。イゼル君に聞いて欲しい。イゼル君は私が幸せにする。私がイゼル君を嫌うことなんてない。今ここで、神がおわす場所で、それを誓う」
ユアは、イゼルの顔を手で掴む。
そして、誰の目も気にすることなくキスをした。イゼルは目を見開き、愛しげの自分を撫でる婚約者を見る。
「ユア様……。人前で、そんな」
驚きすぎて頭が回らなくなってしまったイゼルに、ユアは微笑んだ。
「もう婚約者よ。なにも遠慮はいらないわ」
イゼルが立ち上がるために、ユアは手を差し出す。その姿は、夢で見た光景と酷く似ていた。
「ユア様……。情ないところをお見せしました」
立ち上がったイゼルは、しょんぼりとするしかない。男として、とても情けないところを見せてしまった。愛想をつかされても仕方がないのに、ユアは眼の前で笑ってくれる。
「私は、あなたの婚約者なのよ。私の弱いところを見せるし、イゼル君も遠慮なく弱いところを見せなさい。受け止めてあげるわ」
ユアは、自分の胸を叩く。
だが、すぐに吹き出してしまった。
「それにしても、私達は酷い格好ね。黒い雨に降られたみたい」
ユアのドレスも、イゼルの礼服も真っ黒だ。
全てがイゼルの髪の染め粉のせいだったが、そんなことはユアは責めない。
「またドレスのを贈らせてください。その……今度はちゃんとユア様の意見も聞きます!」
女性のドレス選びには口を出さない。先輩たちから教わった大切なことである。
気合を入れて拳を握りしめるイゼルの姿に、ユアは再び吹き出した。
「あなたの意見も聞きたいのよ。私って、ドレス選びのセンスがないから」
私のドレスは全てがプリシラが選んだものよ、とユアは言う。
「なら、一緒に行きましょう。あの洋服店に」
洋服店を営む兄妹は、きっと歓迎してくれるだろう。あそこの店で、また二人で洋服を作るのだ。二人で、どのような服を作るのかを相談しながら。
「化け物!」
そのように叫んだのは、男性の招待客が取り押さえていたカリアナであった。
「いいざまね、ユア!あなたの婚約者が、化け物だなんて!!」
カリアナは、何度も化け物と言った。
その言葉は、何度もイゼルの心をえぐった。だが、イゼルは逃げない。
「私は人間です。そのように言える勇気を愛しい人にもらいました。化け物だなんて言葉には、もう負けたりはしない」
イゼルは、ユアを見つめる。
この強い人と一生を歩もうと思えた。ユアと共にればいれば、イゼルは何も怖くない。
カナリアは、男性の招待客によって外に連れ出される。何処に連れて行かれるのは分かっていたが、カナリアがどうなってしまうのかまでは分からない。
しかし、彼女にとっては辛いことになるのは間違いないだろう。助けてくれる王子様は、もういないのだから。
「ところで、私は刺されていませんよね。痛いのは頭なんですが……」
イゼルの疑問に答えたのは、セシラムであった。セシラムは、神妙な顔で言う。
「お前は、ユア嬢を庇った。それは大変に立派で、男らしいことだ」
セシラムの話によれば、その時のイゼルは立派な姿であったらしい。ユアのドレスの裾を踏んで、思いっきり転ぶまでは。
「お前は、一人で転んで頭を打ったんだ」
セシラムの言葉に、イゼルは黙り込んだ。
あまりにも格好悪いし、倒れる時にユアを巻き込んでしまったらしい。ユアに申し訳ない。
だが、イゼルが転んだおかげで、カリアナのナイフは空振った。そのため、イゼルとユアはナイフでは無傷だ。イゼルが頭を打っただけである。
「頭を打ったことで気を失ったから、心配だったんだ。医者を呼んでもらったが、治療の邪魔になってはいけないと思って濡れ布巾で出来る限り染め粉を取っていたというわけだ。瘤もできていたしな」
セシラムは髪の毛を剃られるようはマシだったろうと言った。その通りだったので、イゼルが何も言えない。
「まさか、自分の婚約式で息子が気絶するとはなぁ……」
はぁ、とセシラムはため息をついた。
情けないと言いたげな顔であったので、イゼルはムッとした。
「そこは、怪我がなくて何よりと言ってください。これでも狙われたのですから」
親子喧嘩のような一幕に、隣から笑い声が聞こえた。見ればテラジアとユアが、一緒になって笑っている。
「さて、お医者様を待ちましょう。それで、何もなければ帰るのよ」
テラジアの言葉は前向きで、それはユアに似ていた。自分は、やっぱり父親と似た人を好きになってしまったらしい。
「ああ、まったく……」
これから先の人生が、イゼルはとても楽しみだった。だって、ユアと夫婦になれるのだから。
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