第25話 王子との最後の会話
アティカ王子とカリアナの婚約破棄の話は、一夜にして駆け巡った。
身分違いの彼らの別れ話に納得するが人間は多く、同情するよう者はほとんどいなかった。
所詮は、王族と男爵。
身分が違いすぎたのだと呆れ、しばらく経つと王都の劇団がアティカ王子とカリアナを題材とした喜劇を作った。
若い貴族の男子が美しい市井の娘に惚れて、全てを失くすという筋書きだ。もっとも、劇は面白おかしく脚色されており、最後は二人そろって市井で酒屋を開いてハッピーエンドという荒唐無稽な劇だった。
だが、この劇はなかなかにヒットした。
脚本が良かったのであろう。
イゼルの周辺の人間は誰も見に行かなかったが、先輩の奥方たちは何も知らずに劇を絶賛しているらしい。
貴族の男子の滑稽な演技と脚本のバカバカしさが魅力的な劇だという話だ。頭を空っぽにして見られるらしい。
そういうことで、アティカ王子の二度目の婚約破棄事件は劇の評判とおまけの醜聞として市民にも広く知れ渡ったのであった。
一方でイゼルは、ユアのことを心配していた。
城で働いているイゼルには、アティカ王子の様子がつぶさに耳に入ってくる。いわく、父王に見限られて日陰者になったとか。そして、離島で無期限の謹慎が決定されたらしい。
アティカ王子の話題は、暗いものばかりである。イゼルは、あの底抜けに明るかった王子のことが少し心配になっていた。
己の栄光を信じ切っていた王子が、どん底まで落ちることで何かおかしなことをやらかさないかを。
もしも、世をはかなんでということにでもなれば、ユアはきっと傷つくであろう。
愛していた人の死などイゼルには経験はないが、その傷が癒え難いほど深いものだとは想像がつく。ユアのためにも馬鹿なことはしないでくれ、とイゼルは祈るしかなかった。
ある日、イゼル父のセシラムに呼び出された。
「アティカ王子の離島での無期限の謹慎が、正式に決定した。城を出発する前に、お前と話がしたいと王子は望んでいる」
セシラムの言葉に、イゼルは驚くしかなかった。イゼルは、アティカ王子の友人ではない。
ユアを通じて繋がっているだけの他人だ。
一回しか話したこともない。
「アティカ王子が望むならば……」
二度と戻れないかもしれない失脚した男の頼みである。断るという選択肢は、イゼルのなかにはなかった。
「一応は、見張りはつける。安心しなさい」
アティカ王子の不自然な要求は、セシラムも怪しんでいるらしい。イゼルは、父に礼を言った。
「時間が出来次第、アティカ王子に会ってきます。きっとユア様に関することでしょう」
それぐらいしか二人の繋がりなどない。
「そうだな。それに……このことはユア嬢には言わないほうが良いかもしれない」
言われなくとも、イゼルは知られるつもりはなかった。誰だって愛した男の惨めな姿など知りたくはないであろう。
「失礼します」
イゼルは、いつかのアティカ王子の執務室の戸を叩いた。そこにはイゼル王子のほかに、三人に騎士が直立不動で侍っていた。
アティカ王子が馬鹿な行動を起こさないようにするための見張りなのだろうか、とイゼルは考える。
「今回は、ご指名のほどありがとうございます」
イゼルが頭を下げれば、アティカ王子は「坐れ」と命じる。
「……ご機嫌だろうな。お前はユアと仲睦まじくやって、俺はこのザマだ」
アティカ王子の皮肉に、イゼルは虚をつかれる。
ご機嫌もなにもない。アティカ王子の顛末には、イゼルはユアの心情以外の興味がなかった。
「私は、アティカ王子について何も思うことはありません。……ユア様も何も」
なにせ、ユアはイゼル王子のことを話題に出さないのだ。新たに婚約者となるイゼルに気を使っているのかもしれない。
それとも、もはや関係ない事と割り切ろうとしているのか。
しかし、一つ確かなことがある。
アティカ王子は、一生独り身であろう
二度も婚約破棄をした王子の元に嫁ぎたがる人間などおらず、これ以上の不祥事は王も御免のはずだ。
彼の存在は王家の中でも微妙なものとなり、日陰の存在として生きることになるのであろう。彼の存在そのものが、王家の恥となってしまったのだから。
今回の件で、厳しい処罰を受けたのはカリアナである。公爵家のイゼルとユアを害そうとした罪は重いとされて、実家の男爵家は取り潰しとなった。
カリアナ本人も投獄されたと聞いている。何年の罪になるかは不明だ。なにせ、カリアナの妊娠まで嘘だと発覚したのである。
王族を騙した罪や公爵家の人間を傷つけようとした罪。
その二つの罪を犯したカリアナは、軽い刑罰ではすまない。若い女性だということで極刑にはならないかもしれないが、今後は一生を檻の中で過ごすことになるかもしれない。
「俺がカリアナを愛したせいで、彼女の人生が狂った……。俺は、愛した女を守ることもできなかったんだ」
アティカ王子の呟きに、イゼルは不敬を恐れずに口を開く。
「恐れながら、それは違います。幸せというのは、互いの努力の元に成り立つものです」
イゼルは、ユアを幸せにしたかった。
ユアは、イゼルと友好的な関係を築こうとした。
二人の努力が形になって、今の幸せがあるのである。
「俺達には、それが足りなかったと言いたいのか?俺達なりには、頑張ったつもりだぞ」
やり方が悪かったのだ、とイゼルはひっそりと思う。
どのようにすれば、アティカ王子たちが破滅の未来から救われるかはイゼルには分からない。
分からないが、ユアとの婚約破棄からアティカ応じの運命が狂ったことは分かる。
無理な婚約破棄から、全ては歪んでいった。
「お前は、俺を笑うのか?」
イゼルは、首を横に振る。
「いいえ。むしろ、ユア様の心に気が付かなかったことを少し恨んでいました」
イゼルの言葉に、アティカ王子はポカンとする。アティカ王子は、ユアの恋心には気がついていなかったらしい。
「あいつは、俺のことを愛していたというのか。なら、どうして俺に愛されるような女にはならなかったんだ……」
アティカ王子は、普通の女のようにはなれないユアのことが苦手だった。ユアだって、それが分かっていたはずだ。
「ユア様は、愛されるために自分を変える事はできません。彼女の周囲に集まるのは、ユア様を愛した人間だけ……」
イゼルは、ユアのことを不器用だとは言いたくはなかった。自分を曲げてまで愛されることを望まないだけだ。強い人なのである。
アティカ王子は、ため息をついた。
愛されることが当然だった人生では、ユアを愛せないのも当然のことだったのだ。自分のために己を変えてくれるような人間が、アティカ王子の好みであったのだから。
「……実は、カリアナが脱走したという情報が入った」
アティカ王子の言葉に、イゼルは言葉を失う。
「どうやって、そんなことを……」
監獄は、女性一人で抜け出せるほど甘いところではない。誰かが手引したのは、火を見るに明らかだった。
「看守の一人を買収したらしい。その……カリアナは可愛らしい顔をしていたから」
自らの身体を使ってまで、カリアナは脱走した。破れかぶれな彼女の行動に、イゼルは狂気すら感じた。カリアナに失うことなど何も無い。
「何処に向かわれたのでしょうか。実家にカリアナ様を庇えるような余裕はないでしょうに」
カリアナの実家は、爵位を没収されている。
財産までは没収されていないはずだが、爵位を失うのは貴族にとっては死ぬより不名誉なことだ。その原因なったカリアナを庇いたてするとは思えない。
「俺には、今のカリアナが静かに市井で生きていこうとするとは考えられない」
アティカ王子は、苦虫を噛み殺したような顔をした。今のアティカ王子では、愛した女を探しに行くことすら不可能なのだ。
「カリアナが何かをやらかすとしたら、ユア関係のことがらだろう。恨んでいたからな」
イゼルも同感であった。
だが、己の罪を重くしてまで復讐する気持ちは分からなかった。周囲は、それを嫉妬だと教えてくれたが、やはり感覚的に理解できないのである。
「カリアナの気持ちが分からないという顔だな」
アティカ王子は、笑っていた。
「お前とユアは、似ているな。自分の力を信じて、他人に頼り切ろうとはしない」
だからこそ、自分がない人間の気持ちが分からないのだとも言われる。
「俺はユアが嫌いだったのは、自分に自信がなかったからなのかのしれない」
アティカ王子は、目を瞑る。
ユアとカリアナの二人の女を思い出しているようだった。
「改めて、カリアナのことを頼む」
イゼルは、何も言えなかった。
人探しは専門外だ。それに、牢から脱走しているのならば兵士たちが探しているだろう。
「……私には、ユア様を守ることしか出来ません」
アティカ王子は、頷いた。
「それでいい。カリアナに馬鹿なことをさせないでくれ」
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