第16話 カリアナがユアを嫌う理由


 カリアナは、イライラしていた。


 アティカ王子がユアと婚約破棄してから、悪いことしか起こっていないんのだ。


 ドレスは自分の意見が聞き入れられない地味なものになったし、せっかく買った宝飾品も下品だと言われて蔑まれる。


 日々の勉強は学園のものよりも、ずっと厳しい。そして、誰もがカリアナと打ち解けてくれなかった。


 ユアとカリアナを比べて、彼女のほうがずっと素晴らしかったとため息をつくのである。


「こんなはずじゃなかったのに」


 悔しさのあまり、カリアナは親指の爪を噛んだ。そして、はっとする。


 もうすぐ婚約式なのだ。


 爪など噛んで、傷がついたら困る。どんな逆境にさらされてもカリアナは、自分の美を磨く事だけは怠らなかった。


 妊娠が嘘だとバレないように、侍女には体をさわらせていない。しかし、美容に良いフルーツを食べて、化粧水や化粧品も男爵家にいたときよりも良いものを使っていた。おかげで、今のカリアナは学園生活を送っていたときよりも美しい。


 アティカ王子ぐらいは、カリアナの努力に気がついてくれたらいいのに。彼は彼で忙しいといって、カリアナの方を見向きもしてくれない。


 それどころか、カリアナの顔を見れば嫌そうな表情をすることが多くなった。


 こんなことで婚約式は大丈夫だろうか、とカリアナは不安になる。


 婚約式は、結婚式の次に重要な儀式だ。


 美しいドレスを着て、神の家で腕輪を交換しあう。この腕輪は結婚の約束の象徴で、結婚式のときに互いの手首に帰るのだ。その代わり、婚約期間は腕輪をずっとはめ続ける。


 もっとも、ユアとの婚約期間の間にアティカ王子は腕輪をはめなかった。前々からアティカ王子はユアを嫌っていて、自分の婚約者として彼女を認めたくないという気持ちがあったからだ。


 そんな理由もあって、学園でのアティカ王子の周囲には女子生徒が群がっていた。彼女たちの目的は、婚約者を疎んでいるアティカ王子の愛人になることだ。


 たとえ王妃に慣れなくとも王の愛人になれば、様々な美味しい思いが出来る。ともすれば王妃を差し置いて、この世の春を謳歌することだって出来る可能性があった。


 そんなふうに自分の婚約者に拒否されていても、ユアは金色の腕輪をはめていた。


 自分がアティカ王子の婚約者であると示すために。


 金の腕輪は、王家の婚約者に送られる特別な腕輪であったのだ。どんな大貴族であっても金の腕輪を作ることは出来ない。


 平民は木の腕輪。貴族は銀の腕輪を作るものと決められており、そこに宝石などを埋め込んで彼らは自分たちの豊かさを表していた。


 カリアナもアティカ王子との婚約が内定してから、大急ぎで実家に銀の腕輪を作ってもらった。こればかりは、アティカ王子を頼るわけにはいかない。


 エメラルド石を埋め込んだ銀の腕輪は、急ぎで作られたものにしては美しい。自分のものながら、見るたびにカリアナはうっとりしてしまう。


 この腕輪をアティカ王子が嵌めてくれることで、アティカ王子がカリアナのものになることが決定するのだ。


 カリアナは、自分の細い手首を見つめた。もうすぐ、ここには金の腕輪がはまる。それはカリアナが、アティカ王子のものになった証拠になる。


「そういえば、ユアはアティカ様の腕輪を返していないのよね」


 高価な腕輪は、婚約破棄をしたときの慰謝料代わりになる。つまり、本来の持ち主に返されることはないのだ。


 だからこそ、贅を凝らした腕輪になればなるほどに相手を信頼しているという証にもなった。女にとっては、男性側の愛の重さにもなる。


 腕輪の交換の儀式は、相手を自分の財産を任せられるほどに信頼しているという意味がこめられているのだ。


 ユアに渡されたアティカ王子の腕輪は、金とダイヤで作られた豪奢なものだった。王位継承権第一位の婚約者に贈られるのに相応しかった腕輪の輝きを思い出して、カリアナはうっとりとした。


 あの腕輪が欲しかったのだ。


 カリアナの家は、極普通の男爵家だ。


 貧乏でもなければ、特別な金持ちでもない。両親の仲は良好で、カリアナは愛されて育った。けれども、どこか物足りなさも感じていた。


 その物足りなさとは、自分が至って普通だということだ。カリアナは少女小説を好んで読んでおり、その主人公たちに憧れていた。


 物語の主人公たちは、大抵が特別な力を持っている。それか、不幸な身の上だったりする。それを自分の力で跳ね除けるような物語が、カリアナは好きだった。


 しかし、自分は特別ではない。


 全てが普通だ。


 特別な力もなければ、跳ね除けるような不幸もない。このまま凡庸な婚約者を得て、よくある結婚をするのだろう。


 父はカリアナが幸せになれるような結婚相手を選んでくれるだろうが、それはきっと自分と同じ凡庸な男であろう。


 それが嫌だとは思わないが、つまらないと思う。人生で一度だけの恋がしてみたいとカリアナは思うようになっていた。


 運命的な恋。


 神様様さえも引き離せないような愛。


 カリアナは、そんなものに憧れながらも学園に入学した。そこで、カリアナはユアに出会うのだ。


 ユアは、風変わりな令嬢であった。


 公爵という高い身分に関わらず、自分で料理することを好み、自分から貧民街に炊き出しに行くような女性であった。最初は、アティカ王子に好かれる努力をしているのかと思った。


 貧民街など酷い匂いがするようなところに、好んでいくような人間などいない。そう思っていたのに、ユアは炊き出しに勇んで参加した。


 それと同時に、ユアは国の貧困をなくしたいと本気で考えているのだと分かるようになった。


 国の政治体制についての授業では、ほとんどの女子生徒が欠伸を噛み殺していた。


 女に政治の話は不要と家で教わっている彼女たちは、政治など基本が分かっていれば良いと思っていた。そのため、女子たちにとって政治の話ほどつまらないものはない。


 しかし、女性生徒のなかでユアだけが真剣に教師の話に耳を傾けていた

 

 時には教師に意見し、男子生徒たちと持論を戦わせていた。誰よりも、ユアは貧困をなくすという夢に真剣であった。


 その真剣さに胸を打たれる者もいたが、机上の空論だとバカにしている者も多かったと思う。


 そのユアの姿が、カリアナは男性のように見えていた。


 男というのは理想に燃えて、国を変えようとする人だ。一方で、女性というのは男性を支える者。


 ユアのように、自分からは動こうとはしない。いや、動いてはいけないと教わるものだ。


 カリアナも実家では淑やかな令嬢になるように教育された。


 夫に愛されて、家族を愛せるような淑やかな女性に。良き妻であり、良き母になるようにと。


 だが、ユアは真逆だ。


 そして、そんなところをアティカ王子は疎んでいたと思う。アティカ王子はプライドが高く、男のように自分に意見するユアのことを「女の癖に」と言って嫌っていた。


 カリアナは、アティカ王子の愛とあるがままの自分の両方を手に入れようと藻掻いていた。アティカ王子のためにクッキーを焼き、彼と共に政治の話をしようとした。


 ユアは料理という女らしさと政治という男らしさの両方を好む不思議な人であり、その人となりこそをアティカ王子は嫌っていたのだ。


 男性の部分の自分を捨てれば、アティカ王子に愛されるかもしれないとユアは分かっていただろう。


 けれども、ユアは何も捨てられない人間だった。


 ズルいぐらいに。


 どんな逆境であっても、あるがままの自分でいる。


 それは、まるで物語の主人公のようだった。


 だから、かもしれない。


 カリアナは、ユアが嫌いだった。


 公爵家という高い地位と王子の婚約者という特別な立場。そして、自分を貫けば王子に嫌われるという悲劇性。


 ユアは、まさに理想の主人公だ。


 カリアナがなりたかった理想の自分。あるいは、主人公のようなユアの姿。それが、カリアナを惨めにさせる。


 腹立たしいユアを避けるようになれば、不自然なほどにアティカ王子と同席するようになった。アティカ王子がユアを嫌って避けていたから、二人の居場所が似ているのは必然的なことだった。


 アティカ王子は、独特の嗅覚でカリアナがユアを嫌っていることに気がついたらしい。アティカ王子はユアの不満を洩らすことは多かったが、将来の王妃に本気で楯突こうとする人間はいなかった。


 その中において、カリアナは本気でユアを嫌っていたのだ。アティカ王子が、カリアナをお気に入りにしたきっかけはそれであった。


 カリアナだけが本物の憎しみをもって、アティカ王子のユアの悪口を聞けたのだ。


 アティカ王子は、型破りなユアがいかに自分の婚約者に相応しくないかをカリアナに洩らす。


 アティカ王子の好みは、いかにも女性らしい女性だった。淑やかで自分を真っ直ぐに愛してくれて、それでいて自分よりも愚かでいてくれる相手。


 それこそが、アティカ王子が望んでいた本当の婚約者であったのだ。



 カリアナとアティカ王子は、ユアという共通の敵を手に入れることで仲を深めていった。


 ある時から、アティカ王子はカナリアに高価な贈り物をするようになった。


 王族からしては微々たる出費だったのかもしれないが、カナリアは自分には過ぎたものだと思った。遠慮して宝飾品を返そうとすれば


「お前は、お前が思うよりずっと可愛らしい」


 と言われた。


 誰にも言われたことのない言葉に、カナリアの胸は高鳴った。婚約者のいる相手だからいけないと思っているのに、燃え上がる心は抑えきれなかった。


 何よりも道ならぬ恋に溺れるというロマンチックさは、物語の主人公のようであった。


 最初は、物語に憧れた恋だった。


 でも、燃え上がった恋なのだ。


 二人の逢瀬が熱を帯びたものになるにつれて、アティカ王子のプレゼントはより高価なものになった。


 高貴な人にとって愛とは、プレゼントの値段の高さなのだとカナリアは知った。高価なプレゼントを送られている間は、自分は愛されているのだ。


 思い返してみれば、ユアが身に付けている宝飾品は婚約の腕輪のみだ。それだって十二分に高価なものだが、アティカ王子が自分で選んだプレゼントではないであろう。


 ユアは、やっぱり愛されていない。


 その事実に、カナリアは優越感を覚えた。それと同時に、いつかはアティカ王子とユアが結婚するという事実が腹に据えかねた。


 カナリアとアティカ王子がいくら愛し合おうとも、カナリアは愛人という日陰の存在となる。そして、二人の間に生まれた子も庶子となる。


 その事実は、カナリアの笑顔を曇らせるのだ。そんな顔をしていれば、カナリアを愛するアティカ王子が黙ってはいなかった。


「カナリアを日陰者になんて出来ない。ユアとの婚約を破棄して、お前と婚約しよう」


 その言葉に、カナリアの心は弾んだ。だが、同時に婚約破棄など可能であろうかとも考えてしまう。ユアの実家は、力のある公爵家である。


 一方で、カリアナの家は普通の男爵家。


 とびきり立派な家系でもないし、大金持ちということもない。善良ではあるが、そこまで寄付に力を入れている訳でもなかった。本当に、普通なのだ。


 こんな家柄の自分が、アティカ王子の婚約者ひいては王妃になどなれるのだろうか。不安に揺れる気持ちでいれば、アティカ王子が「大丈夫だ」と励ましてくれた。


「実は、ユアは実家と上手くやっていない。ユアと結婚したとしても、あいつの実家が後ろ盾などになるような事は望めないだろう」


 可愛がっていない娘が婚約破棄されたところで、サブリナ家が怒るということはないだろう。婚約破棄の違約金代わりになる腕輪ですら返却されるかもしれない。


 カナリアは、アティカ王子の言葉を信じることにした。アティカ王子は、相変わらずカナリアに高価なプレゼントを渡していた。


 プレゼントの価値だけ愛があるのだと信じていたカリアナは、アティカ王子に全てを託す決心をしたのである。


 それはプロポーズを受けるのと同じだけの決心が必要だった。


 それからは、カリアナとアティカ王子は結婚破棄のために必死に根回しをした。金で動くような生徒を買収して、ユアの悪い噂をばらまいたのだ。


 ユアは陰でカリアナを虐めている。


 自分の悪事をカリアナに擦り付けている。


 そういう噂を振りまいて、同時にカリアナは自分で自分の荷物を隠したりして虐められる悲劇のヒロインを演じた。


 噂に信憑性をつけたのは、これまた買収した生徒たちだ。彼らはユアの生根が悪質だと言って、カリアナがユアに虐められていると証言をした。


 しかし、ユアの悪評は思った以上に広まらなかった。令嬢らしからぬ行動力と未来の王妃という輝かしさ。そのせいで、ユアには一定数の信者がいた。


 その信者たちは噂を聞くたびに「そんなはずがない」と否定し、時には噂が音も葉もない嘘だと証明したのである。


 ユアが性悪であると生徒の皆が信じてくれたら、婚約破棄が優位に進むとアティカ王子は考えていた。学園には有力貴族の子弟もおり、彼らを味方にすることができれば婚約破棄も上手くいくと思ったのだ。


 しかし、アティカ王子の企みは全て失敗してしまった。ユアの悪評は全てが否定されて、学園内では誰かが流したデマであると信じられていた。


 ユアが婚約者に相応しくないと証明できなければ、アティカ王子の婚約は破棄できない。焦ったアティカ王子は、卒業式の日に仕方がなく強引な婚約破棄をしたのである。


 しかし、強引な婚約破棄は様々な歪を生み出した。アティカ王子の王位継承権が下がったのも、その一つだ。


 今頃のカリアナは、第一王子の婚約者としてチヤホヤされているはずであった。メイドたちにまで侮られることはなかったはずだ。


「あの礼儀作法の先生は、絶対に私を嫌っているに違いないわ」


 城には、カリアナの敵が多い。


 カリアナは、城ではユアを押しのけてアティカ王子の婚約者になった下級貴族と思われている。強い後ろ盾もないカリアナを侮って、陰口を叩くような使用人も多かった。


 カリアナは礼儀作法の教師も、使用人と同じように自分を嫌っていたと思っていた。


 けれども、実際の礼儀作法の教師はカリアナに負の感情を抱いていなかった。


 一ヶ月後には正式にアティカ王子の婚約者になるカリアナのためになると思って、厳しい指導をしていただけである。


 しかし、今のカリアナには余裕がない。他者の分かりにくい善意には気がつけない。それぐらいに追い詰められていたのだ。


「王様と王妃様にもご挨拶させてもらえないのに……。どうして、ユアとは会っているのよ」


 王と王妃は、カリアナとアティカ王子の仲に納得はしていない。アティカ王子の強引な行動でユアとの婚約破棄がなされてしまった故に、仕方がなくカリアナを婚約者になることを認めているだけだ。


 一方で、ユアと面会をしたのは、息子がやったことに対して親としての謝罪をするためである。この時に、ユアは貧民に対する支援金の引き上げの約束を取り付けたのであった。


「私の人生に、このままずっと影を落とし続ける気なのね。……許さないわ」


 カリアナは、真珠の首飾りを乱暴に外した。


 美しいものだが、アティカ王子ならば別のものをすぐに買ってくれるであろう。カリアナを愛しているのだから。

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