第13話 先輩方のアドバイス
「お前の婚約者の作ったクッキーはうまいな」
バスケットに山程あったはずのクッキーは、職場の四人の先輩たちの胃袋にあっという間に収まった。
ユアからしてみれば、クッキーはイゼルの職場への差し入れでもあっただろう。だから、先輩たちが食べる事には何の問題もない。
それでも彼女の想いが他人の胃袋に収まってしまうのは、なんだか悲しいとイゼルは思ってしまう。
「婚約者は公爵だっけ?それで料理が趣味って、珍しいな」
先輩の一人であるイッテは、クッキーを咀嚼しながら出がらしの茶葉で紅茶を入れてくれた。
行儀は悪いが、この部屋にはメイドなんて気の利いた人間なんて来てくれない。そのため、職場で飲むような茶や食べ物は基本的には自分で調達する。
イゼルも実家では茶を入れてもらうだけの立場だったが、働いてからは不味い茶を入れるプロになった。
お湯の温度にも、茶葉の種類にも、果ては何煎じかすら考えていないのだから、茶が不味いのはいたしかたないことである。
常に修羅場である仕事場だったが、こうしたのんびりとした雰囲気になることも稀にある。そうなれば、誰かが茶を入れることもあった。
大抵の場合は出がらしなので、茶は美味しくはない。それでもないよりはマシである。
丁寧に作られただろうクッキーと合わせるには、ちょっとばかり……かなり失礼だろうが。なにせ、茶というよりは湯である。
「アティカ王子の婚約者だったユア嬢です。私には、勿体ない方ですよ」
イゼルの言葉は、本気のものであった。
ユアには、アティカ王子に心残りがあると告げられた。しかし、それ以外はユアはイゼルに誠実の向き合ってくれている。
それに、持ってきてくれる手作りのお菓子はとても美味しい。
これからもイゼルと良い関係を作っていきたいと考えていなければ、こんなにも美味しい手作りのお菓子を差し入れてはくれないだろう。
「ユア嬢って、今の王子の婚約者を虐めたって噂があったけど……。そういうふうには見えないな」
薄い紅茶を飲みながら、イッテ先輩が呟く。もう一人の先輩であるグェルナ先輩も、うんうんと頷いている。
イッテ先輩は仕事場では、一番年上の先輩である。だからこそ何でも率先してやるを信条にする先輩で、やる気と勢いで事を成す役人には珍しい体育会系の気質の人間であった。
イッテが体育会系だというのならば、そのサポーターがグェルナ先輩というところだろうか。
あまり喋らないが、気がつけば誰よりも早く仕事を終わらせている油断ならない先輩である。口数もあまり多くはなく。気がつけばそこにいた、と失礼なことを毎度思ってしまう先輩だった。
「俺の姪っ子が、ああいうタイプだけど。あの手の子は、親がせっつかないと恋愛に興味を持たないよ」
ファナ先輩は、まずい茶をずずっとすすった。
嫌そうな顔をしているが、それで茶の味が変わる事はなかった。ファナ先輩は、一番表情豊かな先輩である。
茶菓子や茶に一言申したい顔をいつもしているのでグルメなのかもしれないが、仕事場の環境を自費で何とかする気はないらしい。ケチなのかもしれない。
「でもって、相手にも執着もしない。奥さんにするなら嫉妬深くないのは美徳だけど、恋人の時期は物足りないよな」
あははは、と先輩の一人が笑った。
この笑い上戸の先輩は、スズリナだ。仕事中以外は、いつも楽しく笑っている。たまに、おかしなスペルミスがある書類が回ってきた時も大爆笑する。何時笑い出すか分からないので、非常に心臓に悪い先輩である。
スズリナ先輩は笑いながら、嫉妬深くない女は物足りないと言った。
しかし、イゼルはユアが嫉妬や執着を持たない人間だとは決して思わない。何故ならば、ユアは未だにアティカ王子のことを想っているからだ。
そこには、イゼルなどには考え付かないような深い懊悩と執着が伴っているに違いない。
観衆の前で婚約破棄をされるという屈辱さえも乗り越えて、アティカ王子を想っているのだ。イゼルは、こんなにも深い恋と執着を知らなかった。
しかし、ここで真実を言ったところでユアのイメージは好転しないだろう。場合によっては悪くなってしまうかもしれない。
なにせ、嫉妬も執着も淑女にとってはマイナスである。大きな心でもって夫の愚を受け入れるのが、世間で言われる良妻の条件でもあった。
「それで、我らが後輩殿は婚約者とは順調なのかい?」
最年長のイッテが、そんなことを訪ねてきた。
いつの間にか先輩四人はユアを取り囲んで、質問攻めにする準備を整えている。婚約破棄されたばかりのユアと後輩のイゼルの話は、職場の先輩たちの好奇心を十二分の煽るものだったらしい。
イゼルは、好奇心満々の先輩たちに対してため息を吐いた。
人間はいくつもなっても他人の色恋が大好物である。なお、この職場ではイゼル以外の人間は既婚者だ。イッテ先輩いたっては、息子と娘までいるという。
「順調だと思います」
イゼルは短く答えたが、それだけでは先輩たちの好奇心は満たせなかったらしい。四者四様のブーイングが飛んでくる。
「ユア様はアティカ王子に婚約破棄されてからは実家で邪険にされているらしくて、婚約式のドレスも十分に用意できないようでした」
イゼルの言葉に、面白半分で話を聞いていた先輩たちが一気に真剣な表情となった。
アティカ王子の派手な婚約破棄のせいで、ユアは王子の浮気を許せなかった醜い女と思われがちだ。
先輩たちも似たようなイメージを抱いていたのだろう。しかし、実際に朗らかなユアの姿を見て、噂はあてにならないものだと分かったらしい。
それどころか婚約破棄をされたせいで、家族から見捨てられた可哀そうな少女として先輩たちはユアに肩入れしていた。
「だから……ユア様のイメージにあう婚約式のドレスをプレゼントさせてもらいました」
イゼルの話に、先輩たちは「あちゃー」と言いながら天井を仰いだ。イッテにいたっては、神に祈るかのように十字を切っている。スズリナだけが、大爆笑した挙句に呼吸困難に陥っていた。
ファナ先輩は、遠い目をする。
「お前は良かれと思って、ドレスを送ったんだろうが……。そのやり方は間違いだ。まだ遠慮があるから彼女も言い出せなかったんだろうけど、そういうやり方は絶対に止めろ。特に、大事なドレス選びにはできる限り口を出すな」
ファナ先輩が言うに、女性はドレスと宝飾品選びには一家言持っているのが普通らしい。だから、下手に男性が口を出すと「分かっていない!」と言い出すものだとファナ先輩は言った。
「俺のところは、親族の結婚式に招かれた時に新しいドレスを買ったんだけど……。俺が派手だろと一言いったら、大喧嘩だよ」
ファナ先輩の奥方は、祝い事はとことん派手に着飾りたいタイプらしい。浪費家というわけではないが、祝い事の時は化粧までが派手になるそうだ。
「いいか。今度のプレゼント……宝飾品やらドレスやらを送る時は、相手に選ばせろ。そうすればと後から「こんなの趣味じゃなかったのに!!」と言われないから」
ファナ先輩の忠告に、イゼルの心臓は大きく脈打っていた。
ドレスはイゼルが、ユアのイメージを職人に告げて作ってもらった。ユアは一歩踏み出すイメージが強かったから、全ての始まりでもある春を思い起こさせるような色合いやデザインにしてもらったのである。
だが、それは女性としては許せない行為だったらしい。ユアは、イゼルのことを無作法と思ったのだろうか。
「今度……私の礼服を仕立てるために、一緒に服屋に行くのですが。何をすれば、私の悪いイメージを払拭できるでしょうか!」
イゼルは、珍しく大声を出した。
ユアに嫌われそうになっていると思って、イゼルは焦っていたのである。初な後輩の姿に、先輩四人衆はにやりと笑った。
「安心しろ。ここのいるのは、全員が妻帯者だ。妻に怒鳴られたりなじられたりして、女性の扱いは覚えこまされた」
ファナ先輩の家の奥方は、気が強そうだ。もしかしたら、普段は尻に敷かれているのかもしれない。
グルメな癖に職場の茶も菓子も改善してくれないケチだと思っていたのだが、お小遣い制などだから職場にかけるような金を持っていないだけだったのだろう。
だが、そのように仕込まれたというのならば女性を喜ばせる方法も多く知っているはずだ。
「いいか。デートには必勝法があるんだ……」
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