第12話 アティカ王子とカリアナの現状


「くそっ。こんなにクソ難しい仕事ばっかり押し付けて」


 アティカ王子は、王族とは思えない品の悪い悪態をつく。アティカ王子の仕事量は、日に日に増えていっていた。


 理由は明確で、ユアからの仕事の引き継ぎが終わったからである。


 ユアが婚約者の間は、王や王妃の公認で彼女が仕事の一部を引き受けていた。アティカ王子は御世辞にも書類仕事が得意とは言えず、彼に全てを任せていたら仕事が滞ってしまうのだ。


 だからといって、王族として最低限の仕事を削るわけにはいかない。


 そのため、アティカ王子の影武者のようにユアが仕事をしていたのである。いつの間にかユアとアティカ王子の仕事量は逆転し、アティカ王子には目を通してサインすれば良いような書類しか周らなくなった。


 だからこそ、ユアが婚約者の座から去ったことによってアティカ王子の負担が膨れ上がったのだ。仕事の引継ぎに関しては、二人の関係性を考慮して書類上のみで行われた。


 ユアが作った書類は膨大な量に及んだが、それに目を通す事すらアティカ王子には面倒だ。


 部下の誰かにやらせようと思ったが、「王子の判断が必要なものには手を出せない」と言われて断られてしまった。


 ユアがアティカ王子の仕事を公然と手伝えたのは、婚約者という肩書があってこそだった。いつかは妃になる女性だからこそ、信頼されて王子の代わりを務められていたのである。


「ユアのヤツ。こんな量の仕事をしていたのか……」


 ユアが王妃教育を受けに来る度に、書類仕事をしていたことはアティカ王子も知っていた。だが、こんなにも沢山の仕事をしていたと知らなかった。


 学園に通っていた事も考えれば、ユアに休む時間などなかっただろう。それでも彼女は自分の役割をこなし、アティカ王子を支えることも忘れてはいなかった。


 どうしてユアは、こんなにも自分に献身的だったのだろうか。


 アティカ王子には、それすら分かっていない。


 というよりは、献身は当たり前のことであると思っていた。幼い頃から願ったことは何でも叶えられたアティカ王子にとって、婚約者の身を削るような献身すらも当たり前のものだと勘違いしていたのである。


 そこに、恋心があったなど思ってもみなかったのだ。


「その上に、貧困対策の会議にまで首を突っ込もうとしていただと。馬鹿らしい。あんな野犬にも劣る連中に税金など出せるものか」


 アティカ王子は、自分が不必要だと思った書類を丸めてゴミ箱に放り投げた。


 ユアは貧困対策を推し進めようとしていたようだが、アティカ王子からしてみれば正気の沙汰ではない。


 そんなことをしても、自分たちには一銭もはいってこないのだ。こんなことをするぐらいならば一部の貴族に便宜を計り、賄賂でも貰った方がましだ。アティカ王子は、そんなことを本気で考えていた


「貧乏人よりも、俺が使える金を増やすべきだ。王位継承権が落ちた途端に、受領金を減らしやがって」


 受領金は王族の給料に当たるものであり、階級などによって支給金額は決定される。


 今までのアティカ王子は、第一王位継承権を持っていたために多額の金を支給されていた。しかし、王位継承権が下がった今となっては、半額程度しか支給されない。


 それでも、困ることなど本来はありえない。


 庶民と違い食事や特別な祭事の時の服は、国費扱いになるからだ。よっぽどの贅沢品を買わない限りは、王族が身銭を切るような事はほとんどないのである。


 歴代の王の中には芸術品に傾倒して様々な画家の絵を買い集めた者がいるが、王族の金銭の使い道といえばそれぐらいであろうか。


 アティカ王子には、絵画収集の趣味はない。というよりも、金がかかるような趣味などほとんどなかった。


 なにかを集めようと思ってもすぐに飽きてしまうし、物を見る目がないので品物の良さというものが理解できない。


 だから、本来ならばアティカ王子の支給金は貯まっているはずのである。支給金が減ったとしても慌てるようなことはないはずだった。


 アティカ王子の気質からして、深く考えることもなかったであろう。


 今まで貯めた支給金が減っているのも、減額に悩んでしまっているのも、全てはカリアナのせいであった。


 カリアナはアティカ王子の婚約者候補という扱いであるため、今現在は支給される金はない。婚約者となればわずかなりとも支給金が払われて、それが支度金の代わりとなる。


 だが、今のカリアナはあくまで候補という扱いなのである。カリアナが欲しがる高価なアクセサリーやドレスは、全てアティカ王子の財布から出ていた。


 男爵家のカリアナは、決して貧乏人というわけではない。しかし、男爵家が捻出できる程度のドレスやアクセサリーでは城では侮られてしまうだろう。


 それは、アティカ王子の沽券にもかかわる。


 愛する女を着飾らせることもできない、と思われてしまう。


 しかし、カリアナは必要以上を欲しがるのだ。


 今のお気に入りの真珠の首飾りだって、日常生活には不必要なほどに豪華な品である。


 それこそ、婚約式や結婚式の時に身につけるのが相応しい。日常使いをすれば、宝石の派手さのせいでむしろ品位を疑われてしまうであろう。


 だが、それがカリアナには分からない。


 男爵家に生まれたカリアナは、豪華すぎるアクセサリーの使いどころを理解できない。いいや、「城で生活するならば、これぐらい派手でなければならない」と思っているのだろう。


 アティカ王子にとって城での生活はケだが、カリアナにとってはハレなのだ。だからこそ、豪華すぎる宝石やドレスが相応しいと思っているのである。


 そして、カリアナの買い物癖がアティカ王子をさらに悩ませる。


 カリアナは出入りの宝石商を呼び止めてでも、アティカ王子の名で買い物をするのである。カリアナは妊婦だと思われている故に、接触できる人間は限られているはずだった。


 だが、そのなかに王妃おかかえの宝石商と繋がった侍女がいたのがまずかった。カリアナは侍女に頼み、宝石商を呼び込むのだ。そして、不必要な宝石を買い込む。


 カリアナと宝石商と接触させた侍女が、なんの思いを抱いているのかはアティカ王子には分からない。


 宝石商の身内で純粋な金欲しさなのか、それともカリアナに取り入りたいのか、それとも浪費を繰り返すカリアナを成り上がり者として内心で馬鹿にしているのか。


 なんにせよ、カリアナの浪費のせいでアティカ王子の私財は底を突きそうになっている。


 ユアのときは、こんな悩みなどなかった。


 ユアの実家は公爵家の裕福な家庭であったので、アティカ王子の見栄のためにドレスや宝飾品を用意する必要はなかった。


 さらに言えば、ユアから何かを強請られるということもなかった。むしろ、誕生日や行事の際には高価なプレゼントを贈られていたぐらいであった。


 ユアの宝飾品やドレスは、品がありながらも高価過ぎるということもなかった。いつもわきまえた格好をしていたのだ。


 その性分は、王妃やメイドといった女性たちに評判が良かった。上品で落ち着いたユアのドレスのチョイスは、「さすがは未来の王妃だ」と褒めたたえられていたものだ。


 だというのに、今のカリアナの格好はなんだろうか。見せつけるように高価なドレスや宝石を身にまとって、まるで成金のようだ。


 それについては、王妃である母親からもアティカ王子は文句を言われていた。カリアナの格好が、城の品位を下げているというのである。


 たしかに、カリアナの趣味は良くないだろう。


 それでも、さすがに品位を下げているというのは言い過ぎではないかとアティカ王子は思う。


 母である王妃は、カリアナのことを嫌っている。ユアのことがお気に入りだった王妃は、カリアナのことを泥棒猫としか思っていない。


 そして、勝手に婚約破棄をした己の息子さえも許してはいなかった。顔を会わせるたびにチクチクと嫌みを言われ、弟たちの前で「お前たちは、兄のような愚行をしないでよ」と反面教師になるように扱われたこともあった。


 しかし、父の怒りを想えば、話しかけてくれるだけ母の態度はマシかもしれない。


 父親は、事務的なこと以外ではアティカに話しかけることはなくなった。これは父に失望されたということであり、もはや期待もされていないということだろう。


「アティカ様、聞いてください!」


 ノックのなしに入ってきたのは、カリアナである。彼女は、王族の一員になるための勉強中であるはずだ。


 幼い頃から叩き込まれていたことだとはいえユアがやってきた事が、カリアナは耐えきれないのだという。きっと今だって隙を見て逃げ出してきたのだろう。


 すでに四度目。


 天真爛漫で少しわがままなところがカリアナの魅力だと思っていたが、今ではそれが煩わしい。手をかからなかったユアが、アティカ王子は懐かしくなってしまった。


「婚約式のドレスが地味なの。一生に一度のことなのに、あんなにシンプルなのはイヤ!アティカ様からも言ってください」


 まただ。


 また、ドレスの話だ。


「いい加減にしろ!」


 気がついたら、アティカ王子は怒鳴っていた。


 最近のカリアナは、口を開けはドレスや宝石の話ばかり。まるで、自分はカリアナの財布になったかのような気分だった。


 アティカ王子から率先してプレゼントしていた品々に遠慮を見せていたカリアナは、今はもうどこにもいない。これでは、カリアナはまるで自分から全てを奪っていく悪女だ。


「優しくするにも限度っていうものがあるんだからな!!」


 次の瞬間に、アティカ王ははっとする。


 自分が怒鳴ったせいで、愛しいカリアナが涙目になっていた。大きな瞳に涙をためて、恐怖でふるふると子犬のように震えている。


 その姿があまりにも可哀そうで、アティカ王子はカリアナを思わず抱きしめた。しかし、カリアナの震えは未だに収まらない。


 なんてことをしてしまったのだろう、とアティカ王子は自分を責めた。


 今のカリアナは、辛い立場にいるのだ。


 ユアと比較され、妊娠したと嘘を付き、それでも王族になるために研鑽を積んでいる最中なのである。自分が味方になってやらなくてどうするのだ、とイゼルは自分に言い聞かせる。



 アティカ王子は、カリアナのことを愛していた。彼女を守らなければならないと思ってしまう。


 そして、今の状況でカリアナを守れるのは自分だけだと思っていた。カリアナのためならば、全てを敵にしてかまわない。


「悪かった。仕事でうまくいかないことがあって、イライラしていたんだ」


 アティカ王子は、カリアナの頭をなでる。


 カリアナは潤んだ瞳で、アティカ王子を見つめた。その眼差しだけで、アティカ王子の心臓が早鐘を打つ。言葉もなく、二人の唇が重なった。


 ここは王子の執務室で、彼ら以外の者は誰もいなかった。


 それをいいことに若い二人の口付けは、どんどん深いものになっていく。


「カリアナ、子供の事の嘘を本当にしよう」


 アティカ王子の言葉に、カリアナは頬を染めながら「はい」と答えた。


 アティカ王子は、カリアナと共にいられるだけで幸せであった。だからこそ、カリアナと一緒になってユアを陥れたのだ。全ては、運命の相手であるカリアナと結ばれるために。


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