第11話 ユアからの差し入れ
突如、職場に現れたのはユアであった。
城内を歩くのに相応しい品のあるドレスは動きにくそうであったが、それをユアは慣れた様子で着こなしている。ドレスに埋もれる事のない存在感は、ユアだからこそであろう。
一方で、イゼルはユアの来訪に驚くことしか出来なかった。
「ユア様。こんなところに、どうして……?」
城には、ユアを必要以上に敵視しているアティカ王子とカリアナがいるのだ。ユアが彼らと対面していないかだけが、イゼルは心配であった。
一応、ユアの後ろにはプリメアはいた。
しかし、気弱な彼女が役に立つとは思えない。今だって、城内に入っただけで緊張して青くなっている。彼女が抱えているバスケットの中身が溢れてしまいそうで、ちょっと心配であった。
「王様に呼ばれていたのよ。アティカ王子の仕事を一部肩代わりしていたから、引き継ぎが必要だったの。あと、今回の婚約破棄のお詫びということで、貧困対策に使う予算を上げてもらったわ」
にっこりと笑うユアは、許されるならばピースサインでもしそうであった。転んでもただでは起き上がらない。そういうところが、いかにもユアらしいとイゼルは思った。
「でも、予算が増えたところで何をするかが決まってないの。炊き出しの回数を増やすのも大事だけど、根本をなんとかしたいのに……」
考え込むユアは、本気で国の貧困をどうにかしようとしていた。
その姿は、幼い頃の彼女と全く変わっていないように思える。こんな彼女の姿を見るたびに、イゼルは嬉しくなってしまう。
子供の頃から、ユアはちっとも変っていない。
そのまま伸び伸びと成長し、人々のことをより深く考えられる女性へと成長したのだ。
しょうがないとはいえ、ユアを手放したことは王家にとっては大きな損害であっただろう。それぐらいに、ユアの心や思考は王妃のものに相応しい。
持ち合わせるのは慈悲だけではない。どのように慈悲をかければいいのかを考える頭を持ち合わせている。優しいだけの人間には、なかなかないものである。
「人の方を見て、どうかしたの?」
不思議がるユアに、イゼルは首を振った。
ユアの気持ちは、自分には向いていないのだ。イゼルの心を伝えた所で、彼女を困らせてしまうに違いない。
「いえ……。貧困地域に新たな仕事を提供したいですね」
ユアを喜ばせたくて、イゼルは必死に考えた。
ユアが喜ぶのは、ドレスでもお世辞でもない。貧富の差などなく、国民全員が清潔な食卓につけることである。
考えてみれば、ユアは普通の女性よりも面倒なのかもしれない。宝石よりもドレスよりも夢を欲するのだから。
イゼルは、ふと思いつく。
彼の脳裏にあったのは、昼間から道端で酒を飲む浮浪者たちの姿だ。彼らには定職などはなく、欲しいものがあれば他人から奪うのが定石だ。
浮浪者には金が無い。
それは、働けなくなった人間に仕事がないからで——。
「病院は無理でも……病気で働けなくなった人間を収容する施設なんかはどうでしょうか?医者の常駐は難しいと思いますが、看護師の真似事なら貧民にだって出来る者がいるでしょう」
貧民街は治安が悪く、店を出店されるようなことはない。だからこそ、働くような場所が新たに出来ないのだ。
だが、イゼルの考えが成功すれば動けない貧民を収容し、新たな看護という仕事を作り出す事も出来る。しかも、軌道に乗れば貧しいものにも医療を届けることが出来るかもしれない。
ユアは、イゼルの考えを目を輝かせながら聞いていた。
「面白いアイデアね!箱物は、今回のお詫びの予算を使えば良いと思うし。あっ、建設も貧困街の人に頼めるかしら」
ユアは興奮しているが、建設までを貧民街の住民に委ねるのは無理があるだろう。
病人の手当の真似事ならばともかく、大工仕事には経験と健康な体が必要だ。経験もなく栄養状態も悪い貧困層の人間に務まるような仕事だとは思えない。
「大工の仕事は、本職の方に任せるのが一番です。この話は、暇をみて父の耳に入れておきますね」
セシラムは、国の宰相である。このアイデアは大掛かりな計画になりそうだが、父ならば的確なアドバイスをくれるであろう。王に進言をしてくれるかもしれない。
「一緒に物事を考えてくれるなんて、イゼル君は優しいのね。アティカ様は所詮は女の考えることだと一蹴して、私の話なんて聞き入れてくれなかったわ。もっと面白いことを言えとも言われたけれども……そんなことは出来なかったし」
寂しそうなユアの言葉に、イゼルの心は萎んでいく。ユアの哀愁が、そのままアティカ王子の想いに繋がっているような気がしたからだ。
ユアは、アティカ王子のことが好きなのだ。
仕方がない、とイゼルは思う。
ユアとアティア王子が婚約破棄をしてから、日は経っていないのだ。
それに夫婦となれるならば、ユアの心がアティカ王子の元にあっても良いとイゼルは考えていたばかりだ。その先にあるのが愛だと言うのならば。
「……そうだった。イゼル君のことだから今日も仕事の根を詰めていると思って、差し入れをもってきていたの」
ユアが差し出したのは、バスケットにこんもりと盛られたクッキーである。
料理をしないイゼルには、どれほどの時間をかけてクッキーが出来上がるのかは分からない。けれども、この量を焼くのは大変だったはずだ。
「プリメラにも手伝ってもらったのよ。私の趣味に突き合わせてしまったせいで、プリメラも料理が上手くなったの」
イゼルの言葉を察したように、ユアは答える。そして、軽くプリメラの背中を叩いた。プリメラは、勢いよく首を振る。
「そんな!私は、全然手伝っていません。洗い物を一緒にちょっとやっただけで……」
消え入りそうな言葉と共に、どんどんとプリメラは小さくなってしまう。その様子に、さすがにユアの笑顔も凍り付いた。
良かれと思った言葉だったが、小心者のメイドには恐れ多すぎるものだったらしい。
「自信を持ちなさい。あなたは、いつ嫁いでも良いぐらいに料理も掃除もできるのだから」
それは、メイドとの基本スキルだ。しかし、プリシアは涙目のままでユアに答える。
「すべてお嬢様のために学んだことです。私は嫁ぎません。安らかなときも病めるときも、お嬢様と共にいます」
それではまるで結婚の誓いだ。
これには、さすがのユアも苦笑いをした。
「ともかく、仕事の合間に食べてね。ジンジャークッキーにしたから、甘いのが苦手の人でも食べられると思うから」
男所帯だから甘さ控えめの物を、という気遣いがとても嬉しかった。それと同時に、劣悪な仕事環境での自分の体臭が非常に気になる。
なにせ、イゼルは一昨日から風呂に入れていない。香水で誤魔化しているが、換気が出来ない部屋では香水の香りすら不愉快なものになっている可能性があった。
なお、この仕事場に慣れた己の鼻をイゼルは信用していない。
久々の帰宅を果たした時に使用人に「まずはお風呂にしましょうね」と何かを言う前に風呂に突っ込まれたからであった。先輩方々も同じらしいのが、なんとも涙を誘う。
「有難うございます。大切に食べますね」
イゼルは、出来るだけ笑顔でクッキーを受け取った。体臭が臭っていないことを祈りながら。
ユアは臭いのことを指摘することはなく、微笑みを浮かべながら帰っていった。
ユアの心は、たしかにアティカ王子の元にあるかもしれない。
けれども、ユアは自分と良好な関係を築こうとしてくれている。
今は、それを幸せだと思おう。
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