第9話 カリアナの不満



 カリアナは、不満を感じていた。


 無意識にお腹を撫でて、自分とアティカ王子の愛の結晶の存在を確かめる。まだ膨らみ始めていないが、ここには子供が入っている。そのような——設定だ。


 実際の所、医者を買収してカリアナが妊娠しているということにしたのだ。


 そうしなければ、アティカ王子とカリアナが結婚をするのは不可能だった。


 なにせ、アティカは王子だ。


 ユアの後釜になる新たな婚約者には、有力貴族の娘が新たに選ばれるに決まっている。現にカリアナの妊娠が明らかにされる前は、三人ほどの候補者がすでに選ばれていた。


 どの令嬢も家柄や資産、それに教養も申し分もないお嬢様たちだ。カリアナが勝っているところなど、一つもないであろう。唯一優っているところと言えば、アティカ王子からの愛だけだ。


 カリアナは、アティカ王子から唯一の愛を囁かれた女である。


 そして、その愛の結晶はすでにお腹のなかにいることになっている。自分たちの予定では、カリアナとアティカ王子はすぐにベッドを共にする予定だ。


 すぐにでも妊娠してしまえば、ユアとの婚約破棄のときには妊娠していなかったことは隠せるはずだ。学園では人目が多くていたすことは出来なかったが、カリアナが婚約者に内定すれば二人っきりでいられる時間も増やすことが出来るだと二人は考えていた。


 どうしても赤子が出来ない時には、慣れない環境で子供は流れてしまったということにすればいい。言い訳のしようは、いくらでもあった。


 万事が上手くいく。


 やはり妊娠をしたという嘘は、良いアイデアであった。そんなことを考えて、カリアナはにやりと笑う。


 産まれてくるアティカ王子の子が王族になれるように、周囲はカリアナとアティカ王子を結婚させるしかなくなった。おかげで、カリアナはなんに憂いもなくアティカ王子の花嫁になれる。


 第一王子の花嫁。


 将来の王妃の座は、残念ながら逃してしまった。しかし、それでも婚約式や結婚式は豪華なものになるとカリアナは思っていた。なにせ、カリアナは王族に嫁ぐのである。


 カリアナがこだわりたかったのは、特にドレスである。


 美しい女性をさらに輝かせるドレスこそ、カリアナにとっては憧れの象徴であった。


 カリアナには姉がいて、彼女の婚約式と結婚式を見たことがある。両親は姉のためにドレスを仕立ててくれたが、それはカリアナのお眼鏡にかなう物ではなかった。


 質素ではない。


 だが、豪奢さが足りないのだ。


 ありふれた色に、ありふれたデザインのドレス。首飾りだってありきたりで、特別な日のはずなのに姉の姿は凡庸に思えた。


 喜んで婚約者の元に嫁ぐ姉の姿が、カリアナにはこの世で一等不幸に思えた。


 だからこそ、カリアナは自分の婚約式のドレスは豪華なものをと考えていた。この世で一番豪華なドレスを身に着けることこそが、カリアナの幸せの条件であった。


 それなのに、それは衣装係に一蹴されてしまったのだ。


「ユア様との婚約破棄で、アティカ様は非常に微妙なお立場となりました。王位継承権も三位まで下がっております」


 衣装係の言葉に、カリアナは舌打ちしたい気分になった。


 アティカ王子と結婚すれば、王妃になれると思っていた。しかし、自分と婚約するという段階でアティカ王子の王位継承が下げられたのだ。


 これは、アティカ王子が王たちの許可も取らずにユアと婚約破棄をした見せしめなのだろう。


 アティカ王子には、二人の弟がいる。彼らにも婚約者がおり、アティカ王子のように勝手に婚約破棄をされたらたまらないと王は考えているに違いない。


 アティカ王子とカリアナには、これは予想外の出来事であった。


 このままでは、アティカ王子の弟のどちらかが王になるであろう。


「夫となるアティカ王子の立場を考えればこそ、婚約式のドレスはできる限り質素なものを選ばなければ。他の兄弟の婚約式より派手になるようなことは絶対に許されません」


 アティカ王子の他の兄弟たちは、まだ結婚適齢期ではない。何時になるかも分からない他人の婚約式に配慮しろというのは、ユアにとっては非常に不愉快だった。


 カリアナの気持ちも知らずに、衣装係はドレスを選んでいく。数あるドレスは、所詮はひな形である。


 このなかのドレスから基本となる形を選んで、そこからさらに細かいデザインを決めていくのだ。本来ならばたくさんのお針子が、自分の意見を聞きに来るとカリアナは思っていた。


 しかし、カリアナは妊娠しているということになっていた。お腹の子の暗殺を恐れて彼女の周囲に居られる人間は、信頼がおける者のみに限られることになる。


 おかげで、カリアナは自分のドレスを縫うはずのデザイナーを指定することはできなかった。


 本当ならば王都で一番のデザイナーにドレスを仕立ててもらいたかった。ここでもカリアナの要望は通らなかったが、これはさすがに仕方がない。


 こんな所でごねていたら、自分の妊娠さえも疑われてしまう。だから、デザイナーの件はあきらめた。その他の自分の意見が通れば良いと思っていた。


「これの型などいいのではないのですか?上品で、カリアナ様の素材の良さが引き立ちます」


 衣装係が取り出したのは、紫色の飾り気のないドレスである。お腹を締め付けないデザインで、同時に身体の線が全く出ない。


 身体が樽のように見えてしまうドレスだ。酷く野暮ったいデザインに、カリアナの頭に血が登った。こんなドレスは、平民だって着ないであろう。


「そんなドレスは嫌よ。ここ真珠に負けないぐらいの豪華なドレスがいいわ」


 カリアナは、首から下げている大きな真珠を衣装係に見せつけた。


 アティカ王子からプレゼントされた真珠は、カリアナの自慢である。そして、それを着けてなお色褪せないドレスを求めていた。


「鳥の羽を付けたドレスや宝石を縫い付けたドレス。それか全く違った光沢の布をいくつも重ねたようなドレスが良いわ」


 衣装係の顔色は、青くなった。


 カリアナが例えで出したドレスたちは、歴代の王妃が結婚式で纏った衣装たちであったからだ。結婚式のドレスは、婚約式のものよりも豪華なものになるのが普通だ。


 婚約式から歴代の王妃の結婚式のドレスを望むならば、カナリアの結婚式にはどれほどの豪華なドレスになるのだろうか。


 考えるだけで、衣装係は頭が痛くなる。


 若い娘がドレスに憧れる気持ちは分かるが、カリアナはやりすぎであった。着飾ることや高価で豪奢なものに目がなさすぎる。それしか考えていないようだ。


「カナリア様、王子のお立場を考えてください。あまり豪華なドレスにしてしまえば、王や王妃に睨まれてしまいます」


 衣装係は、ぴしゃりとカリアナを叱る。


 立場に相応しい衣装を選ぶことが、彼女の仕事だった。だが、カリアナの不満げに、衣装係を睨みつける。



「ここは、清楚なドレスであるべきです。それと何よりお腹の子供のことを考えてください。体に負担になるようなドレスは、絶対にお勧めできません」


 衣装係のお説教に、カナリアは飽き飽きしていた。王子の婚約者ともなれば豪華なドレスを着られると思っていたのに、立場など考えなければならないことだらけだ。


 しかも、周囲はカリアナが妊娠をしていると思い込んでいる。このままでは、ゆったりとした体の線が出ないようなドレスを選ばされることになるだろう。そして、ドレスの飾りだって地味なものになるに決まっている。


「だからって、こんな地味なのはないわ」


 カナリアの好みは、派手なドレスだ。


 せっかくのハレの日だから、誰よりも目立つ姿でいたい。それだけが、カリアナの望みだというのに。


 衣装係は、大きなため息をついた。


「まったく……。ユア様ならば、こんな我が儘は言いませんでしたのに」


 アティア王子の婚約者時代に、ユアの面倒を衣装係は見たことがあった。


 用意されたドレスを文句も言わずに身に着け、それでいて颯爽と式典の場に現れるユアの姿は今でも衣装係の目に焼き付いている。


 どんな衣装であっても、ユアは王子の婚約者に相応しい気品で着こなす。衣装係は密やかに、そんなユアを尊敬していた。


「ユア様ならば、どんなにシンプルなドレスだって自らの気品で輝かせてしまいましたわ。背筋をぴしっと伸ばして、何時だって立派なお姿で」


 ユアが静々と城内を歩く様子を思い出すだけで、衣装係は感嘆のため息を漏らしてしまう。そして改めて、ドレスを輝かせるのは着ている者の気品なのだと確信するのであった。

 

 そんなふうに物思いにふける衣装係に、カナリアは激昂した。


「なによ!ユアって女は、そんなに偉いの!!あんな凡庸な様子の女が!」


 カリアナは、今日だけで三回もユアの名前を聞いた。


 最初は教育係であった。


 他国の礼儀作法をいつまでたっても覚えられないカリアナに対して、教育係の夫人は「ユア様だったら、あっという間に身に着けてしまっていたのに……」と呟いた。


 城の使用人たちであっても、何かにつけて「ユア様だったら」とひそひそと話をしているのである。


 極めつけは衣装係だ。


 まるでユアの方がドレスを着こなすことが出来る美しい女性であるかのような言葉を呟いたのである。自分の容姿がユアよりも優っていると確信しているカリアナにとっては、それは侮辱と同異義語であった。


 それに、ユアは失脚したのだ。


 アティカ王子の寵愛を奪い合う争いに負けて、無様に格下の男と婚約することになった。


 カリアナは、ユアの婚約者になるというイゼルという男のことをよく知らない。


 宰相の息子で公爵家という優良物件だが、王族には及ばない結婚相手である。それに、宰相の仕事と言うのは世襲制ではない。


 いくら父親が優秀であっても息子もそうであるとはかぎらない。出世できず、くすぶるだけの人生を送るかもしれないのだ。


 そんな人間の所にユアが嫁ぐと考えるだけで、カリアナの自尊心は歪んだ形で満足する。結婚という人生の大勝負に勝ったと言う気分になれるのだ。


 カナリアは、純然たる勝者である。


 カナリアには、女としての幸せの絶頂が待っているはずであった。なのに、現実は手前で躓いてしまっている。


 何一つ思い通りにはならないし、周囲はユアばかりを褒めたたえるのである。まるで、カリアナの出来が悪いとでも言うように。


 そもそもアティカ王子の王位継承権が下がることからして、カリアナには計算外のことだった。王妃の座が遠のいた事には、舌打ちしたい気分である。


 カリアナは王妃の座に大きな執着心があった訳ではないが、それでも贅沢をするならば王族の中でも位は高い方が良いに決まっている。


 王妃は国で一番偉い女性であり、王の寵愛さえ受けていればいくらでも豪華に着飾ることが出来るとカリアナは思っていた。


 だが、王妃になれなくとも国母にはなれる可能性が、カリアナにはまだ残っていた。


 下の王子たちに、男の子が生まれないという可能性であ。


 そのときのカナリアが王子を生んでいたら、国母として思う存分に贅沢をすることが出来る。そう考えれば、今の立場も決して捨てたものではない。


 もしも、他の王族から男子が産まれたら、それなりの手段を考える必要はあったが。


「あの地味女め……。一ヶ月後には見ていなさいよ」


 アティカ王子に我儘を言って、カリアナはユアと同じ日に婚約式を行う予定であった。


 神の家ですれ違った時に、ユアに自分の容姿の地味さを思い知らせてやるとカリアナは拳を握った。


 カリアナは全ての苛立ちをユアにぶつけるつもりで、婚約式の準備を急ぐのであった。


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