第8話 春のドレス



 アティカ王子に呼び出されてから、一週間後。


 イゼルは死ぬ気で仕事を終わらせて、休みをもぎ取った。


 休むとは勝ち取るものではないと分かっているが、その常識すらも今の職場にいると塗り替わってしまうのではないかと不安になる。仕事を休むのは、労働者の権利のはずだ。


「お先に失礼します……」


 ちなみに、休養中のユタヤ先輩以外の先輩たちは机に齧りついて仕事をしていた。ユタヤ先輩が倒れたことによって、先輩たちに負担がのしかかっているのである。手伝わなければならないが、今回ばかりは休まなければならない。


 体力の限界以外にも、イゼルには重大な任務があったのだ。そのためにも休暇は必要であった。


 仕事を終わらせたイゼルは、まずは寝た。


 仕事続きで、身体が限界を迎えていたのである。使用人はイゼルが部屋から出なくともいいように軽食や茶を部屋に運び込み、嫡男の体力回復を精一杯手伝った。


 たっぷりの睡眠と食事をとったイゼルがベッドから起き上がったのは、夕方になってからであった。


 イゼルは、自分の白すぎる顔色がいくらかマシになっていることを鏡で確認する。


 といっても、死人がようやく生き返った程度の顔色であり、不健康そうな顔色であることには変わりない。


 いっそのこと化粧で誤魔化したいが、流石に男性で化粧するのは恥ずかしい。自分が女性だったら良かったのに、とイゼルは馬鹿げたことを考えた。


「ユア様の所にいくので、馬車の準備をお願いします。それと女性のドレスの職人を呼んでください。いつもの店の人で、お願いします」


 イゼルは使用人に指示を出し、準備が整うまでうとうとする。仕事を始めてから、空き時間には少しでも寝るという技を身に着けてしまった。


 その内、先輩たちのように食べながら仕事をすると言う荒業も習得できそうで怖い。


「あの職場にいたら、貴族社会に復帰できなさそうなのですが……」


 貴族社会は優雅さと贅沢さが第一だが、仕事場は効率第一である。


 食べながら仕事だなんて、そんな下品なことは仕事を始める前のイゼルだったら否定的であっただろう。


 だが、今となっては仕事が終わるならば合法的な手段ならばどんな手でも取るつもりになっていた。


「イゼル様、準備が出来ました。職人も馬車に乗っていただいております」


 使用人が出発の準備を整えてくれたので、イゼルは欠伸を噛み殺して立ち上がった。身なりを整えてから馬車に向かう。


 馬車の中では、初老の女性職人が沢山の荷物と共に乗っていた。


「お久しぶりですね。坊ちゃん」


 にこにこと笑う女性職人に、イゼルは軽く礼を言う。


「急に呼び出してすみません。こちらも色々とあったんです……」


 イゼルは、遠い目をした。


 思い出したくない書類の山が過ったからである。休みの間にも書類は絶対に増えていくだろう。


 イゼルは、自分の休みの間は仕事のことは考えないことにする。そうしなければ、休めない。


「坊ちゃんのためならば、いつでも足を運びますよ。それに、今回は特別な商品をご注文されるのですから」


 楽しそうにする女性職人とイゼルを乗せて、馬車は出発する。イゼルたちが目指したのは、サブリナ家である。さほどはなれていな屋敷なので、すぐに馬車は止まった。


「こんな夜更けに失礼します」


 使用人に訪問を先に知らせていたこともあり、出迎えてくれたユアや彼女付きのメイドのプリシラはイゼルの訪問に驚いた様子は見せなかった。


 しかし、イゼルは自分が通されたのが別館であることが気になっていた。


 それに、出迎えたのはユアとプリシラだけだ。


 てっきり、サブリナ家の当主か執事が出向かくれると思っていた。そこで非常識な時間の訪問を怒られる覚悟もあったというのに、あっさりと通されてしまい肩透かしを食らったほどだ。


 イゼルが通された別館は、公爵家の本館と言われても信じてしまいそうなほどに立派だった。内部も隅々まで磨き上げられてはいたが、人の気配はほとんどない。


 家族や使用人が休むにはまだ早い時間だ。


 だというのに、サブリナ家の別館は幽霊屋敷と言われたら信じてしまいそうになるほどに静かであった。


 イゼルの様子から彼の思う所を察して、ユアは恥ずかしそうに答えた。


「寂しくて驚いたのよね。アティカ様から婚約破棄をされてからは、父にこっちに移されてしまったの」


 イゼルが通された客間の窓からは、立派にそびえ立つ本館の姿がった。かつては、家族と共に住んでいた屋敷をユアは懐かしそうに眺める。


 ユアの横顔は、どこか悲しげであった。


「仲が良いとは言えない家族だったけれども……離されたら寂しいものね。妹のキャンキャンと吠える声も意外と好きだったのだと改めて思ったわ」


 その顔に気がつかないふりをして、イゼルは紅茶を一口飲んだ。ユアの寂しさに触れるには、自分と彼女の距離はまだ遠い。


「使用人もプリシラ一人だけにされてしまったわ。プリシラは私が子供の時から世話をしてくれているメイドの娘だから、色々と気楽ではあるのだけど」


 ねぇ、とユアはプリシアに語りかける。


 プリシアが涙を拭っていた。


「お嬢様には、親子共々大変お世話になりました。母が病気で倒れた時には、お医者様の手配まで……」


 プリシアの言葉に、ユアは「大げさよ」と言った。


「私は、本当にお医者様を呼んだだけ。回復したのは、お医者様と本人の回復力のおかげだって。まったく、毎回言っているでしょう」


 それでも、普通ならば使用人の家族に気を配るということはないであろう。ユアは、とても思いやりのある主人だと言える。


「お嬢様がお嫁に行くときは、私も絶対に付いていきます。むしろ、花嫁道具の一つだと思ってください」


 どうやら、将来のユアの嫁入りには確実に一人のメイドが付いてくるらしい。


 気心知れた使用人を嫁入りした令嬢が連れてくるのは普通だ。しかし、使用人が自らの立候補するのは希なことではないだろうか。


 苦笑するユアであったが、思い出したように真剣な声色になる。イゼルを咎める口調であった。


「それより、イゼル君。こんな時間に何の用かな?淑女がいる屋敷に訪問する時間としては、いささか非常識よ」


 いから婚約者となることが内定しているとはいえ、イゼルもユアも年若い男女だ。そんな家にユアを目当てに、夜の訪問するなど正気の沙汰ではない。


 しかも、出迎えたのはユアとプリシラだけ。


 仕方がなかったとはいえ、貴族社会においては悪評を流されても致し方がない状況であった。


 しかし、ユアは怒ってなどいない。


 むしろ、イゼルが何をやってくれるのだとワクワクしている顔である。相変わらず豪胆であり、それがとても彼女らしい。


 アティカ王子は、ユアの令嬢らしくない部分を嫌悪していたようだった。けれども、こんなふうに輝く瞳を見れば、想定外の行動をする令嬢だって悪くはないとイゼルは思ってしまう。


 とても、可愛らしい。


 子犬のような無邪気なカナリアよりも、ずっと可愛らしいとイゼルは思えてしまう。


「ユア様。私は、ユア様との婚約式を最高のものにしたいと考えました」


 イゼルの言葉に、ユアは目を点にした。


 イゼルが、そんなことを言うだなんて思わなかったのであろう。この様子であるとユア自身は、婚約式と結婚式は無難にすませる気だったようだ。


 だが、それではイゼルの気が済まない。


 なぜなら、それはカリアナを満足させることに繋がることだからだ。


 相手は王族なので、婚約式や結婚式にかけられる予算は大きく違うであろう。それでも、出来る限りのことをしたい。


 足掻きたい。


 自分のユアが、すばらしい女性であるのだと知らしめたいのだ。


「失礼ですが、本館に住まうことが許されていない状況ならば、婚約式のドレスは母上のお古というところではありませんか?」


 その言葉に、ユアは黙るしかなかった。


 イゼルが睨んだ通り、ユアの結婚支度金は父親によって減額されているのであろう。そうでなければ、公爵家の娘が親のお古など着るものか。


「ユア様のために、婚約式のドレスを新しく仕立てさせてください。そのために、今日は職人を呼びました」


 イゼルが連れて来た女性の職人は、このためのものだった。初老の女性はユアを改めて見て、にっこりと笑う。そして、深く頭を下げた。


「私は、坊ちゃんが小さいことから懇意にしていただいた者です。今回は、坊ちゃんの一生に一度の婚約式のドレスの製作を依頼していただきました。どうぞ、ドレスのことは私にお任せください」


 女性の職人は、さっそく様々な道具を鞄の中から取り出していく。その様子に、ユアもプリシラも驚くしかない。


 夜に婚約者候補の男性が女性の元を訪ねてきて、婚約式のドレスを仕立てるだなんて前代未聞である。


 普通ならば男性は女性のドレス代を出そうとはしないし、押しかけてまでドレスを仕立てをしようとはしないであろう。


 それだけに、イゼルの本気がうかがえる。イゼルは心の底から、婚約式を素晴らしいものにしたいと考えていたのである。


「こういうことは、花嫁側の家族が用意するものよ。お金は私が何とかして、ドレスも新しいものを揃えるから……」


 ユアは、イゼルが家の体面を気にしているのだと思った。


 確かに、ユアの母親のドレスは古いものだ。手入れはされていたとはいえ、形の古さはごまかしようがない。


 その上、ユアと母は体格も大きく違うのだ。ユアがドレスを着たとしても、似合うことはないだろう。そんなドレスをユアが着れば、たしかにイゼルの面子を潰しかねないと思った。


 ユアを宥めたのは、女性の職人である。彼女は、とても楽しそうに、いくつもの布の見本を取り出していた。


「愛しい人の美しい姿を見たいという男心を無碍にしてはいけませんよ。今夜のあなたの仕事は、布を選ぶこと。婚約式では、あなたを世界一のお姫様にしてさしあげます」


 職人の鞄から出てきたのは、様々な地方で織られた絹地である。


 一言で絹地といっても折り方によって微妙に光沢の具合が違う。なかには透けてしまうほどの薄い布地まであって、さすがのユアとイゼルも仰天した。


 二人とも公爵家の子女として、上等なものは見慣れていた。けれども、透けるほどに薄い布など初めて見たのである。


「うふふふ。これは異国から入ってきた最新の布地ですよ。絹糸を荒く編んで、透けるように仕立てているんです。この布地を作った国では、夏に好まれる布だとか。ほら、涼しげでしょう」


 女性の職人は朗らかに言うが、そんな布で服など作ったら下着が透けてしまうような気がする。


 その光景を思い浮かべて、年頃の男子らしくイゼルはドキドキした。今回のドレスでは透ける布でドレスを作る事はさすがにないだろうが、想像だけでも刺激が強すぎる光景である。


「この布地を既存の絹地に重ねてやると……。ほら、妖精の羽のようでしょう?」


 女性の職人の言う通りにすれば、透ける布地はたしかに妖精の羽のようにも見えた。これならば肌が見えることはないし、軽やかな印象を与える事ができる。


「とっても素敵ですね……」


 布地に一番うっとりしていたのは、プリシラだった。彼女の趣味にばっちりと合うものだったらしい。ユアは遠慮がちだが、興味津々といった様子様子で布地を眺めている。


「ふむ、ユアお嬢様は中肉中背。平均的だけども、だからこそ王道が似合うスタイルですね」


 職人は、紙にペンを走らせる。


 今ここで、ドレスのラフ画を描こうというのだ。その光景を見て、ユアは皮肉気に笑った。


「容姿に関しては面白みのない女よ。なにを着ても、一緒だと思うの」


 だから、お古で良い。


 そう言ったユアに、職人は「とんでもない」と答えた。


「ドレスと化粧と宝石は、女性だけが使える魔法なのです。今まで魔法の力が弱かったのは、似合ったドレスを着ていなかったから。たしかに、場に合わせることは必要ですが、自分の主張も必要なのです!」


 熱心にドレスの魅力を語った職人は、ユアに薄い水色の布を当てた。その色は、春の雨の色を思わせる色だ。


 春雨の色だ、とイゼルは思った。


 さらに様々な色や種類の布が当てられて、ユアは目が回る思いをした。あっという間に、周囲には色とりどりの色の布の花が咲く。


「この水色と透ける布地の緑色を合わせるのはどうでしょうか?化粧はピンク系でまとめて、お嬢様自身を春に見立てます」


 春は新たな始まり。


 そのようなドレスを女性の職人は提案した。


 あえて春らしいピンクをドレスの中心にしないのは、子供っぽさを感じさせないためだ。それにピンクは人気の色合いだから、他者と被ってしまうことも多いらしい。


 女性の職人の話を聞きながら、イゼルは「なるほど」と思う。カリアナのことがあるから、誰かと被らないというのは今回は非常に重要なことだ。


「お二人の門出に、相応しいドレスになりますよ」


 女性の職人は、ドレスの下絵を描いたスケッチブックをユアに見せる。だが、イゼルには見せてくれなかった。花婿には、本番まではお預けということなのだろう。


「宝石は真珠など如何でしょうか?婚約式には王道の宝石ではありますが、真珠の白い色は服と宝石が互いに主張して喧嘩をすることを防いでもくれます」


 職人が見本として見せたのは、歪な形のバロック真珠だ。丸い真珠よりも価値は落ちるが、デコボコの真珠層が見方によって違う輝きを見せるのが魅力である。


「こちらは、バロック真珠の中でも珍しい鳥のような形をしたものです。小鳥のさえずりも春には欠かせないもの。こちらをアクセサリーに加工して、見る人が見ればという品物にしましょう」


 イゼルは、女性職人の提案に忍び笑った。


 ユアとは顔を合わせたばかりなのに、女性の職人は実にユアらしいものを勧めてくれる。世に二つとしてないバロック真珠などは、個性の塊であるユアに相応しい一品だ。


 一目で人の真髄を見極める職人の目に、イゼルは思わず舌を巻いた。


 その一方で、ユアは女性の職人が進めるものに戸惑いを見せていた。


 職人は春をイメージするものばかり進めてくるが、春に思い当たる事などない。ユアの誕生日でもない。イゼルの誕生日でもないだろう。一か月後の季節というわけでもない。


「イゼル様より、お嬢様は恵みをもたらせる人だとお聞きしています。恵みの雨、萌いずる草木、歌う小鳥。全てが、お嬢様のイメージです」


 ユアの頬が赤くなる。


 己を春に例えてくれる人がいるなんて、今この瞬間まで思っても見なかった。かつての婚約者であるアティカ王子でさえも、ユアの容姿については「つまらない」と一蹴していたというのに。


「このデザインでドレスを作っていってもよろしいでしょうか?」


 イゼルは、ユアの方を見た。


 デザインの良さの最終確認は、ユアに任せたいということらしい。


「素敵だけど……お代が」


 普通の公爵家の娘ならば、払えない額ではない。むしろ、安いぐらいだ。


 それでもユアが使える金額には限りがあり、その限りある資金の中から結婚式の分も捻出しなければならなかった。節約できるところは節約したいのが、ユアの本音である。


「ドレスは、私から贈らせてください。私には、一年間働いた給料が丸々残っています」


 イゼルは、ユアに詰め寄った。


 彼の言葉に嘘はなかった。学生時代の最後の一年で稼いだ金が、イゼルには残っている。


 正確には、使う暇さえもなかった金だ。


 結構な金額になっているので結婚式のドレスだって、そこから賄うことができるだろう。


 忙しすぎてよかった、とイゼルは初めて自分の仕事に感謝した。過酷な仕事だったからこそ、給金もかなり多かったし。


 イゼルとしては強気な態度に、ユアは戸惑った。男性にドレスをプレゼントされることはどきどきするが、それでも高価なものを渡されれば戸惑ってしまう。


 しかも、イゼルの場合は家の金ではなくて、学生時代に自分で稼いだ金である。価値の重さが違うような気がしたのだ。


「何があったの?」


 ユアはイゼルの行動には、何かがあるのだと察していた。しかし、イゼルは話せない。


 アティカ王子とカリアナが、ユアの容姿を凡庸だと馬鹿にした。だから、張り合うようにしてユアを着飾らせようとしているのだ。


 その自分の行動が、あまりにも愚かしいと今更になってイゼルには感じられた。


 着飾ったユアは美しいであろうが、着飾らなくともユアは素晴らしい人なのだ。イゼルの見栄のための行動は、ただただ滑稽だ。それでも、美しくなってくれるユアに嬉しい気持ちがあるのも確かであった。


「私の容姿のことで、誰かに何かを言われた?」


 ユアは、聡かった。


 困ったように笑うユアに、イゼルは申し訳無さを感じる。そんなことを女性に察せさせるだなんて、男としては情けない。だが、そんなことをユアは思わないらしい。


 にっこりと笑って、イゼルの鼻先を突く。


「……ごめんなさいね。でも、ならば少しでもキレイにならないと」


 前向きなユアの言葉に、イゼルは思わず驚いてしまった。他人に何かを言われても、ユアはくよくよしているような人間ではない。


 ユアは、とても強い人間だったのだ。


「ユア様……ありがとうございます」


 にっこりと笑うユアが、イゼルにはとても眩しく見えた。


 そして、こんなふうに強い人でありたかった。


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