第4話 愛に狂う人の特徴
たった一人のメイドだけを引き連れて、ユアはパーシャル家の屋敷の門を叩いた。
公爵家の令嬢のお供としては、メイド一人は何とも心もとないことだ。しかも、伴ってきたメイドは経験豊富とは言えないぐらいに若かった。
もしかしたら、お嬢様のお供という仕事も初めてなのかもしれない。メイドは震える手で日傘と手土産を持っており、それだけで一杯一杯な表情をしている。
メイドの緊張ときたら、イゼルが思わず「大丈夫ですか?」と声をかけたくなるほどだった。それはイゼルの周囲の人間も同じようで、ハラハラしながら若いメイドの様子を見守っている。
「ありがとう。プリシラは、もう帰っていいわよ」
ユアがメイドから日傘と手土産を受け取ろうとすれば、若いメイドは焦ったような顔でぶんぶんと首を振る。
「おっ……お嬢様に物を持たせるわけにはいきません。私のことはお気になさらず」
プリシラと呼ばれたメイドは、精一杯の笑顔で答える。だが、ぷるぷると震えた手は変わりがない。
公爵家の令嬢ならば、ここまで不慣れなメイドを共には付けないだろう。婚約者になる相手の家に訪問するならば、なおのことである。これでは、メイドがいつ粗相をしてもおかしくはない。
ユアの突然の訪問に屋敷中の人間がざわめいたが、相手は嫡男の婚約者候補である。無下にすることなど出来ずに、当主のセシラムが自ら出迎えた。
「突然の訪問をお許しください。昨日のお礼と挨拶をしなければならないと思って、失礼を承知で参りました」
ユアは、優雅なお辞儀をしてみせる。
その優美さに、イゼルとセシラムも見惚れてしまった。
身についたユアの優雅さは、厳しい王妃教育を受けてきた結果であろう。しかし、ユアの口調は、その反面はきはきとしたものであった。
それが、自分をしっかりと持った女性であることが伺えてイゼルは好ましく関した。さらに言えばイゼルの昨日の寸劇に、ユアは気がついていたらしい。
当たり前だ。
イゼルは、ユアに気があるような素振りを一回でも見せたことがない。それでいて、昨日のイゼルの行動は唐突すぎた。不審に思うなという方がどうにかしているのである。
「おかげで、私は一方的に婚約破棄をされた令嬢として笑い者にされずにすみました。イザル様には、ご迷惑をかけてしまいましたが……」
迷惑というのは、イゼルとの突然の婚約のことだろう。それ以外は考えられない。
イゼルとしては、それは実は願ったり叶ったりの条件なのだ。誰も預かり知らないことではあったが。
「そのために……わざわざ御一人で」
セシラムの言葉に、ユアは困ったような顔をした。
「王子との婚約が破棄された時点で、父には見捨てられてしまって……。父は、王族の外戚になることを望んでいましたから」
娘を王族の人質に差し出すというよりは、王族の外戚になれることにユアの父は夢見ていたらしい。
ゆくゆくは政治に口を出し、権力を増大させる気だったのかもしれない。ありふれた話であるが、だからこそ権力者が夢見る話なのだろう。
「ですから、私一人でお礼に参りました。ああ、そうだ」
ユアは、プリメラに持たせていた紙の袋を「手土産です」と言って渡す。
それをありがたく受け取れば、中身はパウンドケーキだった。いかにも家庭で作ったような素朴な焼き色は、公爵令嬢が手土産として持ってくるにしてはおかしい。本来ならば、高級店の菓子などであろう。
もっとも、手作りのパウンドケーキだって立派な手土産となりうる。それにイゼルとしては、こちらの方が高級店のお菓子よりずっと良かった。
「ユア様が焼いたものですね」
イゼルの言葉に、ユアは驚いた。
パウンドケーキが自分の手作りの品だと言い当てられるとは思わなかったらしい。
「そうですけど……私の趣味が料理だったとご存じだったんですね」
知っているも何も有名な話だ、とイゼルは思った。
王子の婚約者が忙しい間を縫って料理クラブに顔を出し、お菓子や料理を誰よりも真剣に作っているというのは。その姿を貴婦人らしくないと笑う人間もいたが、イゼルは気にしなかった。
むしろ、昔と変わらない姿が好ましかった。
「ユア様。一か月後には私たちは婚約者になります。どうか気を楽にしてください。私の方も、そちらの方がやり易いので」
イゼルとて二年間は学園にいたのだ。その間にユアの人柄が、もっと砕けたものだと知っている。
ユアは目を点にして、連れて来たメイドのプリシラと顔を合わせた。
「よく考えたら、同級生だもんね。たとえ学園に顔を出してなくとも、私のお転婆ぶりは知っていたか……」
ユアは、不満げであった。
早々に化けの皮が剥がれたのが、不服なのだろう。プリシラはおろおろとするばかりで、主人のユアとイゼルの間で視線が行ったり来たりしていた。
ユアの令嬢らしからぬ態度が原因で、イゼルとの関係に溝が出来たらどうしようと考えているようだ。だからといって、主人の行動をいさめるような勇気は持っていないらしい。
イゼルは、誰にも分からないように忍び笑った。こちらの口調の方が、ずっとユアらしいと思うのだ。
ユアは、こほんと咳ばらいをする。
そして、改めて優雅な礼を見せた。
「改めて、初めまして。セシラム公爵。私は、ユア・サブリナと申します。一か月後にはイゼル君と婚約させていただきます」
にっこりと笑うユアに、プリシラは真っ青になる。ユアがイゼルに、敬称をつけなかったからだ。
ここは、学園ではないのである。いくら婚約者になる予定の人間を呼ぶにしても、公爵家の令嬢らしいとはいえない。
さらに言えば、女性は男性を立てるものだ。
婚約者になるからこそ、様付けは必須である。さすがのユアも調子に乗りすぎたと思ったようだ。しゅんとした表情を見せる。
「……すみません。いきなり「君」はなかったよね。ご子息に対する無礼をお許しください」
しょぼんとするユアに、セシラムの方が申し訳なくなってしまったようだ。謝るユア相手に、一家の主の威厳も忘れて慌てていた。
「愚息なんて「君」と呼んでいただいて結構です。むしろ、仲睦まじそうでいいではないですか」
セシラムがどこかへりくだった態度なのは、昨日までユアがアティカ王子の婚約者という立場だったからであろう。
婚約破棄をされたとはいえ、どのような態度でユアに接すれば良いのかセシラムも扱いあぐねているのである。
「では、イゼル君の方も私を好きに呼んでください。あっ、でも馬鹿とか阿呆とかは止めてね。アティカ王子に、そんなふうに呼ばれて本当に嫌だったの」
そんな品のない言葉で婚約者を呼んでいたことに、イゼルは驚いた。まるで王子らしく態度だが、学生たちの前で婚約破棄という前代未聞のことをやらかした迂闊さに通ずるものがある。
前々から思ってはいたが、アティカ王子は王に相応しいとは言えない。ユアのような素晴らしい婚約者に対して、あまりにも態度が悪すぎる。
イゼルは、そのようにユアを扱うつもりはなかった。そもそも女性には、普段から敬意を持って接しているつもりだ。
暴言とも取れる言葉を投げかけることなど絶対にない。だからと言って、あまりフランクな呼び方は慣れてはいない。何よりもイゼルの心臓が持ちそうにもなかった。
「では、ユア様と呼ばせていただきます」
微笑むイゼルに、ユアは頬を膨らませた。どうやら、イゼルの対応は間違っていたらしい。
「私は「君」なのに……。イゼル君は、私を親しげには呼んでくれないのね。一ヶ月後には婚約者になるというのに」
ふてくされてしまったユアに、イゼルは慌てて弁明する。嫌われたくなくて、らしくもなく早口になってしまう。
「お許しください。丁寧語は、癖のようなものなのです。特に、この一年は父の元で修行をしていたので……」
城内では、公爵家の子息であれどもイゼルなど下っ端だった。どんな人間にも丁寧に接している内に、普段の生活においても敬語が染みついてしまったのである。
元より普段から敬語を使って生活していたが、この一年でさらに堅苦しい言葉を使うようになってしまったとイゼル自身ですら思う。
「分かったわ。それは、しょうがないものね」
ユアの機嫌は、あっという間に直った。
からりとした気性のユアは、怒りを引きずる事がないらしい。夫婦になって喧嘩をしたりした時には、素早く仲直りができそうだ。
そこまで考えて、イゼルは己が結婚後のことを考えていたことを自覚した。なんだか、恥ずかしくなってしまう。
「それにしても、御父上のお仕事を手伝っているなんて本当に凄いわ。並みの学生ではできないもの。そういうところ、本当に尊敬します」
ユアは微笑んでいるが、言葉だけを取っけ付けたような言葉に感じられる。
お世辞だからだろう。
学生時代からアティカ王子に変わって仕事をしていたことは、ユアだって変わらない。
今回の訪問の事といい、イゼルへのお世辞といい、ユア本人には自分たちの結婚に荒波を立てる気は全くないらしい。
アティカ王子に未練を残していないのかどうかは、別の話ではあるが。
「これ以上は、お忙しいセシラム公爵のお時間を頂戴できないので、今日は御暇しますね。ケーキは是非食べてください。毒とか入っていないので」
王族の婚約者の時に身に着けたジョークなのだろうか。王族は常に暗殺を恐れているために、全く笑えない。
イゼルは自信が暗殺されるなど考えたことはないが、もらったパウンドケーキに対してしり込みするような感情が芽生えてしまう。しっかり、食べるつもりではあるが。
「……イゼル。ユア様を送っていきなさい」
セシラムも同じ気持ちだったようだ。パウンドケーキを横目でチラチラと見ている。
父に言われた通りに、イゼルはユアをエスコートして玄関に向かう。
令嬢としては色々とおかしな所もあるが、将来の王妃として教育されていただけあってユアの礼儀作法は完璧だった。それこそ、見ている者に感嘆の息を吐かせるほどだ。
歩いていても足音などは聞こえない。ヒールを履いているというのに、どのような技術を使っているのかと気になってしまうほどだ。
「イゼル君。ちょっと確認したいことがあるんだけどもいいかな?」
父親の姿が完全に見えなくなってから、ユアは口を開いた。つまり、これは家のことなどは関係がない個人的な話ということだろう。
「構いませんよ」
何を聞かれるのだろうか、とイゼルは身構えた。全く予想がつかない。
「イゼル君には、好きな人はいるの?いるならば、ちゃんと答えて欲しい」
ユアの真剣な口ぶりに、イゼルは少し考えてしまった。頭のなかに過ぎった言葉を飲み込んで、本心とは別の言葉を発する。
「お慕いしている方はいません。元より、父が決めた女性と結婚することに拒否感はありませんでした」
遠回りに好きな人間を作らないようにしていた、と答えた。それは本心でもあり、ある種の嘘である。
本当は、ずっとユアに心を奪われていた。
初恋の相手であった。
しかし、それは王子の婚約者に懸想をしていたという嘘を事実にしてしまう。
こんなことは、きっと誰も信じてはくれないだろう。ユアにだって、信じてもらえないに違いない。
ならば、婚約後に徐々に好意を持ったという事にすればいいのだ。
会ったこともないのに家の都合で婚約する人間は山ほどいるし、それで仲睦まじい夫婦になる例だって多い。そのように自分たちもなれば良いのだ。
「そうなんだ。偉いね」
ユアの顔に、陰りが帯びる。
「私は……まだアティカ様の事が忘れられないの。酷い事されたのは分かっているけれど、物心ついた時からの婚約者だから」
ユアは、少し悲しそうな顔をした。
その気持ちは、イゼルだって分かる。
ユアとアティカの婚約は、彼らが幼い頃に結ばれたものだ。幼い頃から自分の伴侶が決まっていて、彼に対して尽くすことが当たり前になっていた生活がいきなり崩れたのである。受け入れられないに決まっていであろう。
いや、それ以上にユアはアティカ王子を好いていたのだ。
自分のありもしない罪を糾弾されて、一方的に他者を愛していると言われても。未だに、アティカ王子を愛しているのである。
「ユア様。……アティカ王子は、ユア様の罪を糾弾されましたが……。私は、ユア様は無実だと思っています」
ユアが、嫉妬で愚かしい行動をとるなどイゼルは思っていない。パーティー会場での噂話でも、カリアナへの虐めはデマだったと聞いた。
それぐらいにユアは賢い女性であろうし、たかが男爵家のカリアナを害する必要などないのだ。
なにせ、待っていればユアは王妃になれる。アティカ王子を法的に独り占め出来たのである。
「どうして、無実だと思うのかしら?私は、愛に狂うタイプかもしれないわよ」
そんなタイプの人間は、断罪の瞬間にサンドイッチなど食べないだろう。イゼルは、その言葉を飲み込んだ。
「あなたは愛に狂うには、大切なものが多すぎると思ったからです」
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