第3話 美談


 欲していたのは、美談だった。


 王子の婚約者と級友の道ならぬ恋は、アティカ王子に祝福された。そのような美談を欲したのは王家だけではなく、ユアの実家の公爵家もであった。


 ユアの実家であるサブリナ家はイゼルの予想以上に、娘が一方的な婚約破棄をされたという醜聞を嫌った。そして、ユアに告白したイゼルと娘を結婚させることを決定したのである。


 これならば、ロマンチックな横恋慕。


 これはイゼルのパーシャル家が、公爵だったのも理由の一つであろう。娘が不名誉を被るよりは、格の釣り合う家に嫁がせるのが良いと判断したのだ。


 王家に娘はやらないという意趣返しの意味も含まれていているだろうが。


 サブリナ家も、今の治世に混乱をもたらすことを望んではいないらしい。それは、安堵すべきことだ。今度のことは、下手をすれば内乱になってしまってもおかしくはない事態であった。


「……分かりました。私がやったことは、非常に愚かしいことでした。告白を撤回します。ユア嬢は王家に必要な人材です」


 だからこそ、ユアはアティカ王子でなくとも別の王族の婚約者になるとイゼルは考えていた。だが、自分の考えは甘かったらしい。


「今更撤回したところでなんになる。それに、我がパーシャル家にとっては喜ばしい縁談だ。あのサブリナ家と縁続きなれる」


 そう言いつつセも、シラムの顔色は優れない。サブリナ家は国一番の領地と私兵を有した家であり、国家創立から存在している旧い家だ。


 立派な家柄と莫大な富。おまけに武力まで揃えているのだから、王家としては目の上のタンコブと化している家でもあった。


 宰相をやっているセシラムとしては、あまり近づきたくない相手だ。


 セシラムとイゼルは王家に忠誠を誓っているというのに、反乱分子となりうる家の娘を招き入れるのは厄介でしかない。だからといって、王家に仇なすような過激派の家にユアが嫁がれても困るのだが。


「父上、貧乏くじを引かされたと言ってください。まぁ、前向きに考えれば王子の婚約者だった素晴らしい女性を受け入れられるということです」


 ここまで御膳立てされていれば、結婚もすぐであろう。普通ならば半年から一年の婚約期間をおいて結婚式の準備をするが、この事件で周囲はイゼルとユアの件を早く片付けたいと思っているに違いない。


「ということで、婚約式は一ヶ月後だ」


 思った以上に、急な話だった。


 ここまでくれば、イゼルは逃げることは出来ないであろう。いや、逃げるつもりはないのだが。


「分かりました。心の準備だけはしておきます」


 イゼルの答えに、セシラムは少しばかり不審に思った。


「随分と物分りがいいな」


 そんな事を言われても逃げようもないのだ。イゼルとしては、受け入れるしかない。


 父は、自分のことを何だと思っているのだろうか。そんな跳ねっ返りな行動を取ったような記憶は、イゼルにはないのだが。


「私は曲がりなくとも、パーシャル家の嫡男です。家のためになることならば、喜んで結婚でも何でもします」


 セシラムは、一応は納得したようであった。


 イゼルには、まだ婚約者がいない。今回の収まりどころとして、ユアとイゼルの結婚が一番良いは分かり切っている。


「それでは、明日からの準備をしておきます」


 イゼルは、そう言って退出した。


 朝食を取っていなかったが、今日は父親と一緒に食べられる気がしない。外からは分からないが、これでもイゼルは混乱していたし、焦ってもいたのだ。


 使用人程度ならば気取られない自身があったが、さすがに父親にはバレてしまうだろう。


 年頃のイゼルとしては、それは恥ずかしいことだった。だからこそ、できる限り平静を装っていたのである。


「それにしても、ユア嬢と私が結婚ですか……」


 廊下を歩きながら、イゼルは呟く。


 婚約式や結婚式の準備には母親が口を挟みながらも手伝ってくれるものだが、イゼルの母は遥か当方にいる。父に代わって、領地を治めるためだ。


 母とは手紙でまめに連絡を取っているが、その敏腕を振り回し領民たちと楽しくやっているらしい。


 父が宰相として城に居なければならないことを考えれば、準備のために母に来てもらうことは難しいだろう。領地に家族が一人もいなくなるのは、さすがにまずい。


 そして父も忙しいので、婚約式の準備は年長の使用人を交えてイゼルが中心とならないといけない。忙しくなりそうだった。


「それにしても、一ヶ月後だなんて急すぎます」


 厄介払いという言葉が浮かんでしまうのは、気にし過ぎなのだろうか。


 なんであれ、サブリナ家が王子に婚約破棄されたユアに良い感情は保っていないことは分かる。そうでなければ、早く片付けてしまえとは考えないであろう。


「こう言うのも……初恋が叶ったというのですかね?」


 はぁ、とイゼルは大きなため息を付いた。


 初恋は叶わないという言葉に、どこか安心していた自分がいたというのに。


 こうなってしまったら、色々と腹をくくるべきだろう。それに、父に言ったことに間違いではない。


 ユアは、王子の元婚約者だったという優秀な人物だ。イゼルの初恋云々は別にして、家に呼び込めることは喜ぶべきことなのである。たとえ、その背景に色々な物を背負っていおうとも。


「イゼル様。大変です!!」


 血相を変えたメイドが、イゼルを呼び止めた。


 いつもは主人の邪魔をしないように静々と仕事をしているというのに、そんなことは今日に限っては頭から飛んでしまっているようであった。


「何があったのですか?」


 落ち着くようにイゼルは言うが、そんな言葉など聞こえていないメイドは早口で要件を告げる。


「ユア様がいらっしゃいました!!」



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