最終章 紅のルシア
第1幕 旅立ち
あの戦争から二週間後。吸い込まれそうなくらい青々とした晴天の日。中央広場、泉の前。
……ヘレナ・ランカスターに、少しは近づけたかな……
ルシアはヘレナ像を見上げる。その像は、今でも町を見守り続けていた。
「ルシアさん…やはり、行かれるのですか?」
シャルロッテが心配そうな顔をして尋ねる。
「うん…リムネッタに、よろしく言っておいてね」
ルシアは黒いフード付きマントを身につけ、旅支度をしていた。
「リムネッタ将軍、とても悲しまれると思います…」
「そうだろうね…」
あれから、リムネッタは昏睡状態が続いていた。屋敷の自室でずっと眠りについている。いつ目を覚ますのか、誰にも分からなかった。
「でも、私はこの国を…この国の人達を、守りたいから…」
ルシアがつぶやく。
シュネー国の侵攻を撃退したとはいえ、シュネー国が脅威であることに依然変わりはなかった。かねてより提案されていた対シュネー国包囲網を完成させるため、諸国を巡る使節を送り出すことが決定した。そして、ルシアがその使節に志願した。旅には危険も多いが、ヘンリエッタの推薦もあり、正式に任命された。
「ご両親はもうよろしいんですか?」
「うん…少し心配そうだったけど、頑張ってきなさいって」
家の手伝いに戻るという約束を反故にする形になってしまったが、ルシアが決意を伝えると快く送り出してくれた。
「私も騎士団の皆さんも、寂しく思います…」
「シャルロッテはもう騎士団長なんだから、みんなを引っ張っていってね。これから忙しくなるし、寂しがってる暇なんてないよ?」
「…そうですね。ありがとうございます」
丁寧に頭を下げるシャルロッテ。
シャルロッテ率いる第一騎士団は、西の前線を最後まで守り通した。援軍を送ったことにより西も全滅する危険性があったが、三倍近い数の敵を相手に勝利した。ルシアやリムネッタ同様、シャルロッテの名前も広く知れ渡るようになり、ルシアの後任として騎士団長になるのは当然の流れだった。
「シャルロッテなら、きっと大丈夫…」
あの時、シャルロッテがしてくれたように、ルシアはシャルロッテの胸にそっと手を置く。
「はい、ありがとうございます」
シャルロッテは静かに目を閉じて、大切なものを抱きしめるようにそっとその手を包み込む。
「……私、頑張ります」
強い意志を込めて言うシャルロッテ。心配はもう必要なさそうだった。
「ところでその子、本当に連れていかれるのですか?」
話題を振られて、一人の少女がルシアの陰に隠れる。その女の子は橙色のマントを身につけ、目が隠れるくらいに深々とフードを被っていた。
「……」
ルシアの陰から、シャルロッテをじっと見つめる少女。
「うん。身寄りもないし、すっかり懐かれちゃっててね」
苦笑しながら頬を掻くルシア。少女は無表情のままルシアの服の裾をくいくいと引っ張る。
「……」
「なんだい、ライラ?」
「……」
口を動かすが、言葉は出ない。
「う~ん…分からないな…」
ルシアは困ったように言いながらライラの頭に手を置く。
「その子、まだ声が出ないんですね…」
「うん…長くかかるかもしれないって」
ライラは両親とリーゼが殺される場面を見てしまったらしい。ライラ自身は血こそ多く出ていたものの、致命的な傷は免れており、二週間で普通の生活には困らないほどに回復した。しかし代わりに、ライラは言葉を発することが出来なくなった。喉に傷を負ったわけでもなく、声だけが出ない。医者に診てもらったが、原因は分からなかった。
「諸国を回るついでに、ライラをいろんな国の医者に診てもらおうと思う」
「治療法、見つかるといいですね…」
「うん、世界は広いからね。きっと見つかるよ」
ルシアはライラの頭を軽く撫でる。ライラは無表情で、じっとされるがままにしていた。
「それじゃあ行こうか、ライラ」
ライラはこくりとうなずく。
「ヘンリエッタさんにもよろしくね」
「はい…」
シャルロッテは微笑むが、その表情は少し寂しそうだった。
「…行ってきます」
「…行ってらっしゃい、ルシアさん」
ルシアとライラは二人並んで歩いて行く。シャルロッテはルシアが見えなくなるまで、ずっとその場で手を振っていた。
こうして、ルシアとライラの二人旅が始まる。
ルシアや他の国の者は知る由もないが、シュネー国は国王の代替わりにより派閥争いが激化し、中枢部がうまく機能していなかった。各国使節が訪れるパレードの日に奇襲をかけたのもその歪みが生んだ結果であり、シュネー国はこの後も孤立化を深めていくことになる。
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