■4■ 大陸地理

 次の日はリムネッタの部屋で、家に仕える「じいや」こと執事に算術や地理など、様々なことを教えてもらうことになった。よく整えられた白い髭の生えた、初老の紳士風の男だった。黒い衣服に身を包み、淡々と話をする。ルシアとリムネッタは椅子に座り、少し離れた場所で執事の話を聞いていた。

「……さて、算術はこれくらいでいいでしょう」

 そう言って執事は幾何学の本を閉じると、一枚の紙の地図を取り出し、前の壁に貼った。ルシアが両手を広げたくらいの横幅があり、ルシアやリムネッタのいる場所からでも細部まで見ることができた。

「この地図を見てください。中央にあるこの国……もちろん名前は知っていますね?」

 地図の中央に細い棒の先を当てながら、執事はルシアに目を向ける。

「はい、天閃ミーナ帝国です」

「よろしい。この地図はその天閃ミーナ帝国で作られた地図です。天閃ミーナ帝国は現在この大陸に存在している、最も大きな国ですね」

 一呼吸おいてから執事は続ける。

「天閃ミーナ帝国は共通した一つの宗教のもとに様々な王家が集まり、それぞれが王家として自立しながらも、全体として一つの国として機能しています」

 執事の言葉に、ルシアはじっと聞き入る。

「現在の天閃ミーナ帝国の中心地、音楽と芸術の都とされるこの都市の名前は?」

 執事がリムネッタに視線を向ける。

「はい、ヘルセンブルクです」

「よろしい。多種多様な民族を受け入れ、それぞれの言語や文化を尊重することで、この中心地には多くの芸術家が集い、天閃ミーナ帝国は現在も発展し続けています」

 そう言うと、執事は小さくコホンと咳をする。話題が移る時によくやる仕草だ。

「そして、この場所……」

 執事が天閃ミーナ帝国の南東の小さな領域を棒で囲む。

「この場所にかつてあった国、分かりますか?」

「その場所は……」

 ルシアの言葉が止まる。天閃ミーナ帝国から見て南東方面、ブルーメ国から見て北側にかつて存在した隣国──忘れもしない、五年前にルシアとリムネッタが出会った兵士が所属していた国──

「モント国です」

「よろしい。東北方面から進出してきたシュネー国に滅ぼされ、現在はシュネー国の領土となっています」

「……」

 ルシアとリムネッタは黙って地図を見る。ブルーメ国は東と南で海に接し、西と北で他国と接している。北側のモント国がシュネー国に滅ぼされたことで、ブルーメ国とシュネー国は領土が隣接する関係になっていた。

「以前はモント国を経由して天閃ミーナ国に行くことができましたが、現在は緊張関係にあるシュネー国が支配していることで、天閃ミーナ帝国へ行くには西の国々を迂回し、遠回りしなければ行けなくなりました」

 執事はブルーメ国から天閃ミーナ帝国まで、ぐるっと棒先を動かしていく。天閃ミーナ帝国の南側には山脈が続いており、シュネー国を避けて天閃ミーナ帝国に行こうとすると、二三の小国を経由する必要があるようだった。

「軍事国家の色を強め、他国へ侵略しながら拡大を続けるシュネー国に対して、天閃ミーナ帝国は多様な文化を受け入れ傘下にすることで勢力を拡大しています。これからどう動いていくかは未知数ですが、大きな時代の転換点に来ているのは間違いないでしょうね。では、何か質問は?」

「はい。この国は……ブルーメ国は、大丈夫なんですか?」

 ルシアが質問すると、執事は少し難しい顔になる。

「シュネー国は軍事戦力面において、ブルーメ国の十倍以上の規模があると言われています。四方八方を他国と接していることもあり、戦力の全てをわが国に向けてくることはないと思われますが、仮に全面的な戦争となった場合、ブルーメ国が勝つのは難しいと言わざるを得ないでしょう」

「そんな……」

 厳しい現実を淡々と語る執事に対して、ルシアはその先の言葉が続けられなくなる。ルシアもリムネッタも、不安そうに顔を俯けた。

「しかし心配はいりませんよ、安心なさい」

 執事は二人を安心させるためか、それまでの淡々とした口調から一転して優しい口調に切り替え、言葉を続ける。

「シュネー国も一枚岩ではないと言う話も聞き及んでいます。国王の代替わりや派閥争いにより、内戦に近い状態にあるとも聞きます。今すぐにこのブルーメ国がどうにかなることはないでしょう」

 執事の言葉に、ルシアは少しだけ安堵する。

「天閃ミーナ帝国を含め他の諸国も、シュネー国には警戒を強めています。お二人とも、今は焦らずじっくりと、騎士になるために研鑽を積みなさい」

「はい、ありがとうございます!」

 ルシアが元気に答えると、リムネッタもホッと安心したような表情でルシアを見つめた。

「さて、それでは今日はここまでにしておきましょう。お疲れ様でした」

 執事の言葉で、その日の教授は終了した。

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