第3幕 戦争の理

 次の日はリムネッタの部屋で、家の執事が戦争倫理について話してくれた。よく整えられた白い髭の生えた、初老の紳士風の男だった。黒い衣服に身を包み、淡々と話をする。

「戦争倫理というものに正解はありません。答えを教えてもらうものでもありません。最初の確認…倫理・哲学において大切なこととは?」

 執事はルシアに目を向ける。

「考えるのを放棄しないことです」

「よろしい。ルシア、あなたは戦争で人を殺すことができるか…この命題について、自分なりの答えは出ましたか?」

「いえ…」

 今日もスタート地点はいつも同じだった。騎士になった後、戦争が起これば、当然人が死ぬ。味方も敵も関係なく、勝敗が決するまで人が死んでいく。人を、殺す。避けられない命題だった。

「リムネッタ?」

「私も、まだです」

 二人で少しうつむいてしまう。戦争倫理の話は、始まってからもう数十日は経っている。それでも、未だにルシアもリムネッタも、この命題に答えを出せずにいた。

「敵国兵士も、戦争をしたくて戦争をしているわけではありません。捕虜になった者、滅びた国の難民…そういった人たちが、真っ先に戦争の最前線へと送られます。失敗すると分かっている捨て石のような場合もあります」

 男は、前回まで何度と無く話した内容を簡潔になぞっていく。

「そういった人は説得すれば分かってくれる…そう言ったのは、リムネッタ、あなたでしたね」

「はい」

「その場合、説得に応じたフリをして、隙があれば殺される可能性もある…それが戦争というものです。気を許せば殺される…それは、本望ですか?」

「いいえ…」

「この見極めは不可能と言ってもいいでしょう。本当に説得に応じてくれた相手だったとしても、それはたまたま運がよかっただけのこと。自分は相手を信じた、相手も自分を信じてくれた…運のいいことです。しかし、十人いて、十人を信じた場合、その中に一人でも本気で自分を本気で殺そうとしている相手がいれば、まず間違いなく自分は死にます」

 ルシアもリムネッタも、じっと聞いている。この辺りも、今までに既に議論された内容だった。

「その死は、その相手にとって、百ある死のうちの一つに過ぎない…非情なことです。過去に、敵兵を信じたが故に反撃にあったという逸話は枚挙に暇がありません。それでも、相手を信じられますか?」

 そこで、男はリムネッタを見つめる。意見を求める時の目だ。

「できません…」

「最初の命題に戻ります。すると、戦争に身を投じる限り、守るべき家族、守るべき物…そういった物を抱えている敵国の善良な人を殺すことは、決して避けられないのです」

 一呼吸おいて、男は続ける。

「とある先人は言いました…そんなものは、殺してから考えればいい、と」

「それは…っ!」

 一体、誰がそんなことを言ったのだろう、とルシアは思わず声をあげた。

「ルシア、何か引っかかるところがありますか?何故、思わず声が出てしまったのか…自分はその言葉に何を感じたのか…素直に心に問いかけなさい」

「…それは、考えるのを放棄したように感じられます」

「殺した後で考えればいい…そのような考えが通るならば、倫理・哲学というものは無意味ということになりますね」

 執事は再び一呼吸おくと、二人を見据える。

「たくさん考えなさい。たくさん悩みなさい。どんな形であれ、それを乗り越えた時、騎士としての心構えは一人前になっていることでしょう…今日はここまで」

 結局、今日もまた課題が増えるだけだった。あの日二人が決意した騎士への道…理想だけでは騎士にはなれないのだと、終わる度に二人は思うのだった。

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