第2幕 歴史

 戦争の歴史は長い。名軍師と謳われた人、英雄と呼ばれた人、傑物として名を馳せた者…思いもよらない戦略で戦争を勝利に導いた例は数多くある。国の歴史は、戦争の歴史と言っても過言ではなかった。そして、リムネッタの館の書庫には、多くの名著と呼ばれる本が数多く所蔵されていた。

「地理学…歴史学…今日はこの辺りの本でいいかな」

 いつものように、書庫から数冊の本を取り出し、ルシアは本を抱える。訓練の後、二人で入浴を済ませ、ルシアは先に出てきていた。ゆったりとした白絹のローブに身を包み、先に書庫から本を持ってリムネッタの部屋で待つことになっている。

てくてくとルシアは館の廊下を歩き続ける。ところどころに設置されている窓からは、月の光が差し込んできていた。ゆらゆらと揺れる蝋燭の火が、不規則な影を壁に落とす。今日は満月も近いため、火のついている蝋燭も普段の半分程度だった。

「よし、着いた」

 きぃ…と扉を開けて中に入る。部屋の蝋燭に明かりを灯すと、ほんのりとした光が部屋の中に満ちて、少しだけ暖かくなったような気がした。少し広めの部屋の中には、机やベッドが飾り気なく置かれていて、少し殺風景な印象を受ける。ルシアは持っていた本を机の上に置くと、窓の側に近寄った。月光がルシアの両手を照らし、肌が青白く透き通る。

(あれから、五年か…)

 ルシアとリムネッタが出会い、騎士になる約束を交わしてから五年。その間、ルシアとリムネッタにも様々なことがあった。


 あの後、今のように毎日リムネッタと剣術の訓練をするようになった。週に何度かは剣術指南の先生を呼んで、稽古をつけてもらっている。終わった後は、書物を読み、騎士になるために必要な知識を学んでいった。ルシアが騎士を目指すと聞いた時、ルシアの父親達は大分驚いていたが、ルシアの強い希望を伝え、スタンドーラ家──リムネッタの家──の名前を出すと、それならばと承知してくれた。少女の場合、遅くとも20歳前には騎士を引退するのが慣例であったし、その後はルシアも家の手伝いに戻るという約束で、ルシアは騎士を目指すことを許されたのだった。

最初の頃は、ルシアはリムネッタには手も足も出ない状態だった。幼い頃から英才教育を受けてきたリムネッタは、普段はのんびりしていてドジなところも多いが、その実力は確かなもので、日々さらに強く、賢くなっていく。ルシアにとっては、リムネッタに追いつくのが第一目標だった。

(ヘレナ・ランカスター…)

 遠くに見える中央広場に、ぼんやりとヘレナ像の輪郭が見える。青白い月光を受けて、それはとても神秘的な雰囲気を纏っていた。ブルーメ騎士団を創設し、初代騎士団長として国の礎を築いた人物。その強さは烈火の如く、その志は石より硬く、万民のためを思い、その短い人生を国に捧げた、この国の誰もが知っている人物。彼女の死後に騎士団は二つに分割され、ヘレナが死去した20歳の前に騎士団長を引き継ぐのが後の慣例になった。

 ルシアがしばらくその場で考えに耽っていると、トントンとノックの音がして、ゆっくりとドアが開く。リムネッタだった。

「リムネッタ、自分の部屋なんだからノックはいらないよ」

 苦笑交じりにルシアが言うと、リムネッタはくすりと笑う。

「何となくね」

「それじゃあ始めようか」

「うん」

 二人は机を挟んで向き合い、本を広げる。今日は歴史学からだった。本の序章には、この国の建国の経緯が書かれている。ヘレナ・ランカスターという文字もいくつか散見された。

「この国の建国について…」

 ルシアが何度と無く読んだそのページから読み始めると、リムネッタもルシアの向かい側で本を読み進めた。二人は時間も忘れて、本を読むのに熱中していったのだった。

……


「ルシアったら、眠っちゃってる…」

 本を読み始めてニ三時間ほど経った頃、本を読み終えたリムネッタは、本を開いたまま机で眠ってしまっているルシアに目を向けた。ベッドの脇から小さな布団を持ってくると、それをルシアにかけ、顔を覗き込む。

「こんなに無防備で…」

 くすりと笑うと、リムネッタはルシアの頬を少し撫でた。

「んっ…」

 ルシアが小さく声をあげる。起きてはいないようだった。

「しばらくおやすみさせてあげようかな…」

 そう言ってリムネッタは、ルシアの前で開きっぱなしになっている歴史の本を手に取る。それは、リムネッタ自身も、何度も聞いた伝説だった。

……

 この国の歴史は、のどかな村に生まれた一人の男の子と、それを支える女の子の伝説から始まる。

その二人は幼い頃からの遊び友達だった。二人は毎日のように遊び、励ましあって成長していった。少年はその村の誰よりも賢く、少女は誰よりも強かった。九歳になる頃、二人はその才能を買われ、町へ出ることとなる。その町でも、瞬く間に二人はその才能を開花させていった。

二人が十三になった頃、町が他国の侵略にあった。町が壊滅しそうになった時、少年はその知略で、少女はその強さと統率力で迫り来る敵勢を奇跡的に退け、二人はその才能を広く知られるようになった。そうして二人の関係は続き、最終的には国を建てるにまで至ったのだった。大人になった少年は、その才知で国を治め、発展させた。少女は、建国後まもなく死去するが、その命を賭して、国王を守ったのだった。

ブルーメ国の騎士団は国の建国と共に創設されたが、へレナ・ランカスターの死後、二つに分かれ、それぞれが国を守るために協力し合い、今に至る。

……

「ルシア…頑張ろうね」

 リムネッタは、すやすやと眠るルシアに、そっと語りかけたのだった。

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