第5幕 戦争の足音

 穏やかな日々が続いた。昼間は家の手伝いをし、夕方には中央広場で落ち合い、語り合う。天気のいい日は毎日のように二人で語り合い、時たま町の外に出かけ、日が暮れるまで遊んだ。

 そうして、丘で語り合ったあの日から一ヶ月程経ったある日、二人は再び丘まで来ていた。夕焼けと青空がちょうど半々になる、いつもより早い時間だった。

「最近ね、お父様も忙しいみたい…」

 前回同様、岩の上に座りながら、リムネッタが言う。ルシアはそんなリムネッタを横から覗き込む。

「何かあるの?」

「お父様はあまり話してくれないから、詳しいことは分からないけど…難しい顔をしてることが多いの」

「そっか…」

 ルシアは視線を空に向ける。遠くに浮かんだ薄ぼんやりとした雲を、ゆっくりと視線で追う。

「わたし達はまだ子どもだけど… 早く、大人になりたいね…」

 リムネッタも視線を上げて、流れ行く雲を見る。ゆっくりと、ゆっくりと流れていく雲を、二人で見ていた。

 辺りがすっかり夕日の色に染まった頃。不意に背後から、ざっ、と足音が聞こえて、二人は振り返る。

「……!?」

 そこに立っていたのは、軽い鎧に鉄兜を被り、右手に細長い剣を持った、一目で戦士と分かる男だった。髭を生やした厳つい顔から発せられる鋭い眼光がルシアとリムネッタを射抜き、二人は岩の上に座ったまま身動きできなくなってしまった。

「嬢ちゃん達…」

 底光りする力強い眼とは裏腹に、発せられた声は喉の奥から搾り出したような苦しそうなものだった。

「安心しな…とって食おうだなんて、考えちゃいねぇよ…」

 その男は、どんっとその場に座り込む。苦しいのか、ぜーぜーと息が荒かった。ルシアとリムネッタは、その時になってようやく、男の腹から赤黒い液体…血が滲み出ているのに気付く。よくよく見れば、腕や足からも血が滲み出ていた。

「おじさん…傷…」

 言葉を発したのはルシアだった。リムネッタは声も出せず、ルシアの服をぎゅっと掴む。

「傷…? あぁ、少しやられちまってな…もう助からんだろう…」

 男は大きく息を吸い、再び苦しそうに呼吸を続ける。二人は、目の前の現実が未だに受け入れられず、ただ見ていることしか出来なかった。

「嬢ちゃん…名前は…?」

「…わたしはルシア。この子が、リムネッタ」

 男の問いに、ルシアはそう答えるので精一杯だった。男はわずかばかり顔の緊張を解くと、彫りの深い顔に皺を作って笑みを浮かべた。少しだけルシアとリムネッタの緊張もほどける。

「ルシアと…リムネッタか。いい名前だな。俺は…モント国所属の者よ…者だった、が正しいか。嬢ちゃん達は、ブルーメ国の子だな」

 モント国…ルシアの父の交易相手でもある、北の同盟国だ。苦しそうにしつつも、男は言葉を続ける。

「シュネー国の奇襲で…城が、陥落した…」

 ルシアもリムネッタも、子どもながらにその意味するところは理解していた。城が落ちる…それは、国を失い、故郷が支配され、蹂躙されることに等しかった。

「俺にも、国には妻も子もいる…それだけが気がかりだが、ここまでだな…」

 そう言うと、男は腹を押さえ、ぐったりと前のめりになる。

「治療…! お医者さん呼ばなきゃ…!」

「う、うん!」

 ようやく目の前の事態に思考がついてきたルシアが岩から立ち上がると、リムネッタも頷いてそれに続く。

「医者なんざいらねぇよ!」

 男は顔を上げると、語気を強くして二人に言い放つ。

「で、でも…」

「それより…こりゃあ最後の僥倖だ…この書簡を、そこのお前…リムネッタ…」

 男はリムネッタに向かって、血で汚れてくしゃくしゃになった紙を差し出す。

「いいとこの娘だろう? 父親を通して、これを国王へ届けてくれ…」

 その場から動けないリムネッタの代わりに、ルシアが男に近づいてそれを受け取る。それは、一枚の手紙だった。差出人を見ると、ルシアでも知ってる、モント国の国王の名前だった。

 ルシアが再び男に視線を戻すと、男は黙ってうずくまっていた。

「おじさん…?」

 反応は、無かった。男は、腹を抱えた姿勢で、そのまま息絶えていた…。

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