22.検量室前の騒動
「加賀てめェ!! 何してくれてんだよこのド三流が!!」
馬を降りて検量室に向かう地下馬道の奥に、甲高い叫び声が響き渡る。
何事かと思い走って駆け付けると、加賀騎手が岩野未来騎手に掴み掛かられていた。他の記者たちは勝った方・岩野康夫騎手とレーヴァテイン号の勝利の姿を写真に収めるため、まだ本馬場に残っていてここに居る記者は多分、私一人だけだ。
騒ぎに気付いて周りの人間が二人を引き留めようと近付いていくが、それよりも先に拳を振り上げる岩野未来。そのまま加賀騎手が殴られるのかと思ったが……
ゴン、と音が響いて次の瞬間、地面に倒れていたのは岩野騎手の方だった。その場に立ち尽くす加賀騎手の額からは擦り傷なのか血が流れている。胸倉を掴まれながらも拳が振り下ろされる寸前、頭突きで返したのだ。
「あんな状態で馬に無理をさせ続けたらどうなるか、お前も騎手だったら分かんだろ!? それで他の騎手も巻き込んでたらどうなってた!? 答えろよ!?」
駆け付けた競馬場職員に取り押さえられながら、加賀騎手は叫んでいた。確かに競馬場のモニターで見る限りでもブループラネット号は掛かったのかと思うぐらいの加速だったし、岩野騎手はムチを多用しすぎているようにも見えたけれど。
「そんな事ごときでウチの騎手に言いがかりをつけるなど言語道断。やはり貴様は出来損ないの失敗作だな」
そう怒鳴って二人の騎手に横から割って入ったのは、岩野騎手の所属厩舎で勝ったレーヴァテインも出走させている塩田調教師。私は何かにつけて嫌味を言ってくるこの男が苦手なので、騒動で駆け付けた人々に紛れて視界から隠れるようにした。記者として反射的に必要な動作は取りながら。
「それなら教えておいてやる。未来には指示を出してあったのだ。『レーヴァテインに先行して内側を突き、壁に穴を開けておけ』とな」
その台詞に私は声をあげそうになった。海外のレースでは黙認されているがこの日本の競馬ではラビット、つまり本命の馬を勝たせるために自らの勝ちを捨ててレース展開をわざわざ乱しにいく為の出走は禁止のハズだ。ただ塩田もそれを指摘されるだろうことは予測していたのか、言葉を続ける。
「もちろん、それを完遂した上でもさらに脚を使って勝ち負けになるレースをできる馬だと信じた上での事だ。
「……そんな事をして、また馬を壊すつもりか。アンタは」
怒りを押し殺したような声で加賀騎手が糾弾する。塩田厩舎は大レースで多くの結果を出している一方で、黒い噂もある。それは馬をギリギリまで追い詰める使い方の為、故障率が他の厩舎より異様に高いという事実。
「『馬に無理をさせるな』だろ?あの
いいか、競馬というものはどんな手を使ってでも大きな結果を残した馬こそが正しいのだ。レースでは1頭の馬しか勝利できないが、その裏で勝って陽の目を見る事無く消えていく馬がどれだけいるか。馬など所詮は経済動物だという事も馬主側は理解の上!
10頭20頭が犠牲になろうと、それで『
塩田調教師の言っている事はある意味では正論だった。年間に数千頭から生まれてくる競走馬のうち、輝かしい成績を上げて種牡馬や繁殖牝馬として代を繋いだり、乗馬として余生を永らえる事が出来るのはほんの一握りだけ。それ以外の馬たちがどうなっていくのかは……言わずもがなだ。
まさしく数百数千頭の犠牲の上にスターホースが立っている、そういう世界だと言われればそれは否定できない。でも……だからといって、まだ先の可能性ある馬の才能の芽を潰す事を正しいと言えるのか。
「とにかく貴様にはウチの馬への走行妨害と騎手への暴行、それに値する報いは受けてもらう。裁決は覚悟しておけ」
そう言って踵を返し、勝った岩野康夫と馬を迎え入れに立ち去る塩田。それとは反対の方向、裁決室へと連行される加賀騎手がやりきれない表情で下唇を噛みしめて俯くのを見た時、私の中で何かが弾けた。
優勝馬の写真と勝利騎手のインタビュー、取れる限りの各陣営の談話などを伺う『仕事としての取材分』をまとめると即刻、都内にある本社の編集室へと直行する。
「
「おお~う新堂ちゃん、今戻りかい? 聞いたよ~青葉賞の件。えらい大変な結果だったみたいじゃないの」
「その事でお話があります」
私はその場で検量室前でのやり取りを聞いた事、ことに塩田の調教師としてのやり方に問題がある事、勿論それらの発言は『ポケットに仕込んだレコーダーで録音してある』事などを伝え、問題として取り上げるべきだと主張した。でも……
「ん~そんな目くじらたてられてもねぇ。実際『馬を潰すつもりで使ってます』って白状したわけでも無いし。
それよりさぁ、新堂ちゃんイチ押しの加賀君が岩野の息子にヘッドバッドをキメた衝撃的瞬間の写真とかないの?そっちなら売れるんだけどねぇ『記者が捉えた若手騎手同士の確執!?』みたいなので」
「ふざけないでくださいっ!! 」
一瞬、その場で品性の欠片もないこの
それに配属2年目の【実績の無い女記者】ごときと、【編集長】という肩書を持った者がぶつかれば、どちらが負けるかなんて目に見えている。
私は怒りを噛み殺しながら自分のデスクに戻り、明日までにまとめ上げなければいけないレース結果と報告の記事をさっさとまとめ上げ、開催週の日曜日にしては早々と帰宅。そして自宅でパソコンを立ち上げ、前々から用意していた文章を徹夜で練り直して投稿完了すると、1通の手書き文章を書き上げて週明けの編集室へと戻る事にした。
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今回のお話、いかがでしたでしょうか?
作者的にはものすごく辛い部分でしたが「競走馬はどんな無理をしようが結果を出してナンボ」という考え方の騎手も関係者もいるのは事実のようで、それは競馬の世界では向き合わなければいけない問題だと思ったのでこの話を描きました。
感想、応援コメントなど戴ければ嬉しいです。
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