21.青葉賞 ー後編ー

「っしゃあ! オラぁ!! 走れコラ! 」

「……ヒィン」


 第3コーナーと第4コーナーの中間点を廻って最後の直線へと飛び出す寸前。


 一瞬振り返るとそこにはムチを振り上げながら無茶なペースで内ラチ(柵)ギリギリを駆け抜ける岩野の姿があった。ただそれに付き合わされる馬の方は闘志を滾らせてペースを上げているというよりも、ムチで打たれる恐怖と苦痛から逃れるために全力で足掻いているようしか見えない。ムチで打たれるたびに上がる細く甲高い鳴き声は悲鳴のようにも感じ取れる。


「加賀テメエ邪魔だコラァ!! もっとペース上げろクソ馬がぁ!! 」


 そう叫びながらギリギリ、オレの内側を躱していく時に一瞬並んだ馬の目には、怯えにも似た感情が浮かぶ。あんな状況で馬を走り続けさせたら、ゴールを過ぎるより先に何が起こるか……もあり得る。



 

 ここでオレが進路を外に取って加速すれば最悪、岩野の馬に何があったとしても影響は受けずにゴールまで走り切る事が出来るだろう。ただ、それで良いのかどうか……位置取りを決定しなければいけない僅か数秒の中でオレはどちらに進路を取るべきか逡巡していた。


 

(競馬というのは、文字通り馬が競うもんじゃ。ワシら世話役や乗り役が馬そっちのけで争うのは違う)


 そんな中で一瞬思い出されたのは恩師・角野井調教師すみのいせんせいが常日頃から俺や厩舎スタッフに言い続けていた1つの言葉。それが、オレの手綱を取る進路を選択させる決め手になった。


「行けるか?リブ」


 ムチをコーナー内側の左手に持ち替え、姿勢を低く構えて手綱を握りしめる。チャンスはたった一度だけ、それもその後の行動や進路に関しては全くの未知数。それでも、やらなければならない。


《第4コーナーを廻って直線、先頭はまだソルトクーンと滝 登! だが後方から良い脚で各馬も上がってくる! 先行勢との差はもうほとんど残っていない! さあここからどうなる!?》


 コーナーで乗ったスピードのまま、岩野の馬に右後ろから一歩、また一歩と近付いていく。岩野は相変わらず怒鳴り散らしながらムチを振り上げて先団の馬群に迫るが、ペースを上げるタイミングが早すぎたからか、先程までよりは速度は落ちてきている。


 

 

 


 岩野が右腕でムチを振り上げ、振り下ろそうとした瞬間に俺は左腕に持ったムチで。空中で衝突したそれらはお互いの手元を離れ、宙を舞って視界の後方へと飛んでいった。


「てめェっ!! 何を……」

「すまん、タイミング悪かった」


 横に並んだ岩野の怒号にそれだけ告げるとオレは右の手綱を少しだけ引き、岩野の馬から離れてさらに加速を強める。満身創痍の状態でムチという『恐怖で支配する存在』も無くなった岩野の馬はそのまま失速。これで1つの心配は無くなった。だが……


「さぁてここから、どうしようか。リブ」


 前には滝さんの逃げ馬を除く5頭の馬が障害物のように並び、外に持ち出すには後方から同じ思惑で加速してきた馬たちがひしめき合っている。さらに言えばこの状況でゴーサインを送るためのムチも持っていない。こんな状況からどうやって前へ出ればいいのか。


「……リブ!?」


 判断を迷うオレを他所に、リブライトが首を大きく下げて前の馬と距離を詰める。進行方向に目をやると、集団からもうひと伸びを見せようとしている馬の後ろに、僅かな隙間が開きかけているのが見える。アレを自分の脚なら行けると言うのか?付いて来いって。


「うん、わかった……行こう」


 オレも頭を下げて前傾姿勢を深め、両腕で手綱を短く持ち直してリブライトの動きに合わせた。加速する馬と失速する馬のその隙間に出来た一本の僅かな希望めがけて、全てを掛けた一手を放つ。


《ここで馬群を抜け出したのはウィズラヴィングとリブライト! 外からはサマーアンビシャス! 直線残り200メートル! 先頭を捉えるか!?》


 

 その瞬間、俺は不思議な感覚に囚われていた。まるで馬に跨っている自分の身体の感覚が全て消え失せて、視界だけがそこに在るかのような感じ。ただ前に進みたいと願う意識と目の前の芝生以外が、何も残っていないかのような感じ。


 前を行く滝さんの馬がスローモーションに見える。これなら、この状態なら捉えられる。いや、このまま風になってどこまででも行けるとさえ思えるような感覚。ドドドッというリブライトの蹄音が響くたびにその感覚は強くなり、滝さんの後ろ姿が近付いてくる。


 

 だが。



 左側から何か重いものをぶつけられた感覚と共にそれは途切れ、一気に現実に引き戻される。左腕に何かで打たれたような灼けつく鋭い痛み。我に返ると、いつの間にやって来ていたのか岩野の父親の馬・レーヴァテインがインコース側、つまりオレの左横から強引に進路を塞ぎ、ぐんぐんと前へ進んでいた。


 必死に付いて行こうと持ちなおそうとするが、ぶつけられて集中状態が切れたのはリブライトも同じだったのか、さっきまでの感覚は取り戻せずに前を行く2頭には追い付けない。そしてそのまま、無情にもゴールの瞬間は訪れた。


 

《やっと来たのは1番人気レーヴァテイン!! ソルトクーンを掠めるようにかわす! 1着入線はレーヴァテイン!! ですがこのレースは審議です。2頭が競争を止める波乱のレースになりました》


___________________

着順(入線順) 審議確定前


1着 レーヴァテイン    岩野 康夫

2着 ソルトクーン     滝 登

3着 リブライト      加賀 流星

4着 サマーアンビシャス  棚田 勝昭


競争中止

 ウィズラヴィング

 ブループラネット

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