18.御曹司の憂鬱【side-優馬】
今回のお話は主人公・加賀の同期、横浜優馬君のお話です。
恵まれた環境で期待された彼にも、彼にしか分からない悩みなどはあるようで…
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「今日は自宅までお願いします。今、父を……」
「用意できたか優馬?さっさと帰るぞ」
「それでは
走り出す黒塗りのハイヤーから窓を開けてにこやかにそう告げる芝居を終えると、父は深く溜息を吐いていつもの感じに戻った。
「まったくアイツら、ホントにアレで競馬なんぞ分かっているのかね」
「父さん、そんな事言って大丈夫?運転手さんに聞かれるよ?」
「んなモン気にすんな。俺とこの人の仲だ、なあ横川さん」
父がそう言うと初老の運転手は無言で頷く。父は苗字が似ているからというだけで関西での移動は何年も前から全てこの人を指名していると聞いていた。それは機密保持契約も含めて、なのだろう。
「いくらスリーが強いっつっても3200mはあの馬じゃ無理だ。そもそもアイツはそういう走り方してないだろ?それを血統出してきたり調教データでの推測持ってきてオーナーに『今回と同じ勝ち方をご覧に入れます』なんてのは言う方も言う方だし真に受ける方もアレだよな。
そもそも誰だよ2000mと3200mのレースを含めて【
現役最強馬を抱える厩舎、
実際、出走ローテーションにしても鞍上にしても『このレースでこの馬なら乗り方的にこの騎手が適任』という決め方で、特定の騎手に主戦を任せるといった方法すら取らないのだ。なので次走・天皇賞(春)にしても父に騎乗依頼があるかどうかさえ、まだ未定だ。
「あ~次の春天、騎乗依頼来たらどうするかな……そうだな。お前、乗ってみるか?」
「え?俺……ですか?」
急なアイデアに驚いて聞き返す。確かに今、俺に任せられた馬で春の天皇賞に出走予定のある
もし勝てる確率がそこそこ残っているなら、息子であっても騎乗依頼を回すなんてことは絶対にない。そういう部分では全く譲らない、根っからの勝負師な所があった。
「勝てるかどうかは置いといて、あれだけの馬ならその乗り心地を経験しておくだけでも損は無いハズだ。お前もいずれ、俺と同じくらいの勝ち星を挙げてもらわないといけないからな」
その発言に無言で窓の外へ顔を向ける。競馬学校へ入れと言われた頃から、いや、もっとずっと前から『こうした期待』を掛けられる事が本当に苦手だった。
『東のレジェンド・横浜の息子』『三代目天才騎手』『競馬の世界に入った段階で成功は約束されたようなもの』
天才騎手・
そうじゃなかったヤツと言えば競馬学校の同期の中で唯一、競馬関係出身者ではない加賀だけだ。小学生から乗馬はやっていただけあって『馬の跨り方』はひと通りの技術は持っていたが、言う事を聞かない馬をどうペース通りに抑えて走らせるか、どうやって馬と折り合いをつけるかに関していえば素人同然の下手糞。
そりゃあ色んな人を乗せるために飼いならされた『乗馬』と、闘争心を剥き出しにして走る『競走馬』じゃ同じ馬でも全然別の生き物だ。そこは無理もない。そんなほぼ『競馬未経験者』の加賀と、まだ競馬学校に入学した当初は身体が小さくて筋肉の足りなかった俺は、二人してほぼ毎日のように居残りで筋トレや馬を抑えるための技術訓練ばかりやらされていた。
あまり良く喋る奴じゃなかったが、アイツと二人で真剣に訓練に取り組む時間は嫌いじゃなかった。
他の同期達はその時間、もう宿舎に戻って「天才・横浜の息子のクセにアレかよ」とか噂していたらしいが、加賀はそういう事を一切言わなかったし、逆に自分の知らない馬の知識に関しては「すごいな優馬、そんな事も知ってるのか」と言ってくるのも、他の奴に言われたのとは違って全然イヤでは無かった。
そうしたハンデがあっても腐らずに騎手過程での地獄の訓練に耐え抜いて2年間、3年になる頃には学年の首席を俺と加賀で争うぐらいになっていたし、騎手デビューした年も俺が31勝でアイツは28勝。関西と関東で所属は離れていたけど、いつ逆転されてもおかしくないぐらいの位置でそれぞれが頑張っていたんだ。
このまま、アイツとどっちが先を行くか競い合いながら頑張っていけたら。
そう思っていた。それなのに……
「そういえば今日の大阪杯、何か川原にくっ付いて一瞬凄い勢いで迫ってきた奴がいたな。確か前に塩田厩舎に所属してたやつ。お前の同期だったよな?」
父に尋ねられて急に現実に戻される。そう、今日の大阪杯でアイツは12番人気からあわやの5着まで持ってきたのだ。もう、終わったヤツだと思っていたのに。
「さすがに俺や登にはまだ及ばんだろうが、アレがもっと力のある馬だったら3着あたりまでは持ってかれてたかもな。あんなのが鳴かず飛ばずで燻ってるんだから競馬はホント何が起こるか分からんよ」
「アイツはもう終わったヤツです。そうじゃないと言うなら、俺が終わらせます」
「へぇ~珍しいな。お前がそこまで言うの」
アイツが下らないゴシップで干されて競馬場から姿を消した時、俺は同年代の騎手との競い合いに何かを見出そうとすることを止めた。俺がほとんど顔を出さない福島や新潟と言った関東のローカル競馬場で、勝ち目の薄い乗り役を何鞍か貰って細々と騎手は続けているらしい事は知っていたが、そこに何の感情も沸かなかった。
ここ最近のレースで見かけているのは俺と腕を争っていた同期ではない、未練がましく馬にしがみ付くだけの亡霊だ。そんな奴はまた、俺と同じレースには出れずに俺の視界に映らない所まで追い返してやる。窓の外に流れる景色を見ながら、俺は密かにぎゅっとこぶしを握った。
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