10.記者 新堂 紗耶香
3月3週目。
結局その週のうちに通算100勝目を決める事が出来なかったオレは、次の週の土曜日・中京競馬場のレースで
少しレースとレースの間隔が開く昼休みの時間に決まりだけの記念セレモニーが行われたが、見に来ていたのは暇を持て余して何の見世物かとやって来た数人の観衆と、競馬新聞や競馬雑誌の記者ばかりだった。それも紙面の隅っこを飾る写真が必要だから来ているだけ、と言った雰囲気の記者集団。
中には欠伸をしながらカメラを向けている記者も居て、彼らにとってもどうでも良いんだなと思い知らされる。
ここがまさに、今のお前の立ち位置だ。わきまえろ、と無言で誰かに言われているみたいな気分だ。
「すみません加賀騎手! 今後の展望など先週新馬戦を勝った馬の事なども踏まえて一言……」
などと聞いてきてくれた女性記者も一人だけ居たものの、とてもじゃないが応えたいと思える気分では無かったので無視して記念セレモニーを切り上げた。しかし……
その週の競馬が終わって月曜日、美浦・福山厩舎。トレセンとしては全休日で、厩務員の千葉さんしかいないと思っていたリブライトの馬房に、どういうワケかその記者の彼が居たのだ。
「なんで記者なんかがいるんですか?」
「まぁまぁ、そう言うなって。この人、この前の新馬戦見てわざわざインタビュー来てくれたんだぜ? それも福山調教師じゃなくて俺とお前にだぞ」
千葉さんはそう言って浮かれた感じで居たけど、オレは記者と話すなんてまっぴらだった。彼らは購読者の興味を引くためなら、話したことの真意を捻じ曲げてでも言葉尻を都合の良いように捉えて、面白おかしく作り替えた事実を喧伝する商売だ。
あの時と同じように。
「初めまして、競馬ナイン編集部在籍2年目の
そう言って名刺を差し出してきたのはまだ就活中の大学生と言っても通じるような若い、というより幼い印象の白いブラウスにチノパンを履いた髪の長い眼鏡の女性。いかにも競馬関係の記者、と言った感じのずけずけとモノを言ってくる押しの強い中年オヤジよりはマシだとは思ったが、そもそも記者という人種自体が苦手なので手で制して名刺の受け取りをやんわりと拒絶する。
「あぁ……じゃあ早速インタビューを。この馬、リブライトは母親が阪神2歳女王になった後、5歳でヴィクトリアマイルを制したブリリアントスター。父親は青葉賞とセントライト記念を制したスカイリットで、加賀さんはなんと、そのどちらにも主戦として騎乗されていたんですよね?やはりこの馬にはその分、特別な想いがあるのでしょうか?」
その一言で大体、この記者の思惑が分かってしまった気がした。
そうか。いかにも『特別なドラマ』を期待して書きたてて、この馬を『特別な馬』である風に見せモノにしたいのだ、この記者は。
そう感じて嫌な気分になったので、どちらも主戦は自分では無かった事を事実に基づいて淡々と伝える。母馬のG1制覇にしても父馬の青葉賞勝利にしても結局、代打でしかなかったのだ。それが証拠に母馬の全盛期も父馬のダービー出走も俺はその鞍上には居ない。そんな事、昔の新聞でも調べれば幾らでも分かるというのに。
「だからまあ『縁のある馬』ではありますが、そんな期待するような特別なことは、無いです」
「そうなんですね……下調べ不足ですみません」
憮然とした態度を取るオレに、いかにも気まずそうな表情で謝る新堂。これで折れて、さっさと帰ってくれればいい。
「それで、この馬の次走以降についてはどんな予定になっているんですか?」
「次は2週間後の山吹賞を使って、結果とレース内容次第じゃその上も考えてるよ」
ところが、オレに替わって得意そうに答える千葉さんの発言にまた表情を輝かせる。
「という事はもしかすると青葉賞、そこからのダービーという路線も想定に入ってるんですよね!? もちろん、騎手も加賀さんでこの陣営のままダービーに挑む可能性も……」
「もちろん……」
「鞍上に誰が乗るかなんてその時に決まるものですから! その時になったら、『乗り役として決まった人』に改めてインタビューでもしたらいいんじゃないですかね!?」
千葉さんの発言を思わず遮ってピシャリと言った。今はまだ『期待されていない遅咲きの1勝馬』でしかないから、オレなんかでも乗せてもらえてるのかもしれない。
だがこの先、リブライトが力を示して他のベテランや有力騎手からも注目される存在になった時、その鞍上を絶対の自信をもって任せてもらえる理由が、オレには無かった。ましてやこんな、オレなんかでは……
「何でそんな事を言うんですか!? 先週の新馬戦、私は見ていました!!
ゴール前、6番人気を覆して勝ったのを見た時、すごく感じるものがあったんです!
馬も人も『負けられないって思う何か』を背負っていて、それが共鳴し合ってあの勝利に結びついたんだっていう」
オレの発言と態度の何処かが気になったのか、記者はそれまでの気弱そうな雰囲気を一転させると大声で叫んだ。
だがこんな『オレなんかにノコノコとインタビューなんて申し込める』新米記者には多分、分からないのだろう、オレが何でこんなに干されていてトレセン中から厄介者のように扱われてきたのかも、その真相も。
「うるさい! アンタみたいなのに何が分かる!? こっちの事なんて何にも知らないクセに!! 」
本当は怒鳴りたいくらいの気分だったが、馬の前だったから低い声で怒りを押し殺して話す。
こんな状況では、こんなヤツがいたんじゃ、千葉さんと話そうと思って来たリブライトの次走についてとか、それまでの調教課題とかそういう話なんてとても落ち着いてできない。
明日にでもまた出直す事にしよう、そう思って踵を返したところで千葉さんが言った。
「……俺もそう思ってるよ。お前とリブライトにお互いの気持ちを引き出す『負けられない何か』があるんじゃねえかってな。
でもそれが自分じゃハッキリとわからねぇなら、鞍上をお前にこだわる理由が無ぇ。だからソイツを早く見つけて、ちゃんと示して欲しいって思ってる」
淡々とだけど、胸の奥深くに刺さる言葉だった。ハッキリと分かる事は、今すぐに出せる答えでは無いという事だけ。
オレはモヤモヤとした気分でその日はトレセンからアパートへと戻り、翌日から再開した調教の間もずっと言われた事を考えながら過ごした。火・水・木とずっと考え続けながらリブライトの調教を付けたが答えは出ず、そんな様子を福山調教師が見越したのか千葉さんが進言したのか、次走は関東のベテランジョッキーに乗り替わる事が告げられた。
そして迎えた3月最終週の土曜日・中山競馬場、リブライトの2戦目になるレース。
オレは、中山競馬場には居なかった。
またそれとは別の事で、話が動いていたのだ。
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