7.重賞への乗り替わり
「んで、何でお前がこんな所に居るんだよ?」
「そんなのこっちが聞きたいわよ! 先週は私と同類だったのに」
3月2週土曜日、中山競馬場。この日のメインレースに向けての検量室の前。そこでオレは意外な顔と鉢合わせる事になる。
それも乗り替わりなどのアナウンスも無いってことは週末前から決まっていたハズだ。どういうことかと尋ねると
「あー……あの後レイカちゃんから『あの馬、エリザベス女王杯では私が乗るから、それまで同期だしって事で代役よろしくね♪』って電話貰ったんだよね」
そう言って歯切れが悪そうに視線をズラす光希。先週は一緒になって「どうなの!?」と愚痴っていた相手から乗り役を貰った事は流石に気にかけているらしい。それでも、こんな事は千載一遇のチャンスに変わりないんだ。それはオレにしたってそう。
メインレースの4つ前、中山第7レースの終了後。
オレは居心地の悪い騎手控え室で先程のレースシーンを映し出したモニターを見ながら、身の置き場も無く過ごしていた。次の出番は、メインレースが終わった最終レースの第12レースまで無い。そこに急に声を掛けてきたのは、先程の新馬戦でお世話になった福山調教師。
「あぁ良かった! ここに居てくれたか。
加賀君、突然だけど今日のメインレース、いけるかな?」
いけるか?と聞かれて思わず何がか聞き返しそうになったけれど、考えてみたら頼まれるような事といえば1つしかない。乗り替わりだ。それも福山厩舎から出走予定といえばトップジョッキーの一人、川原騎手が騎乗予定だった馬への。
モニターで確認していたけど先程の7レース、勝利して馬をスタンドに戻した川原騎手がしきりに自分の足首辺りを気にしていたのはなんとなく見ていた。
レース運びには全く不自然な所は見られなかったし、実際それで勝っていたから傍からは問題無いように思えるのだが、川原騎手は今日のレースは全ての騎乗依頼をキャンセルする事にしたのだという。
「そういうワケで是非お願いしたいんだ、君に」
「……願っても無い話ですけど、何でオレなんですか?」
「そりゃあ、さっきウチの厩舎初勝利を挙げてくれた騎手だからね。それに、コレで勝てたら通算100勝、だったよね」
注目度の低い土曜競馬とはいえ重賞に、しかもそれなりの勝ち負けが期待できる馬で出られるなんてどこに断る騎手が居るだろうか?実際、前のレースには出ず控え室に残っていた他の中堅騎手からは「何で俺じゃなくてあんな奴に?」とでも言いたそう様な顔を向けられている。
だがここで怯んで他の騎手に遠慮するようだったら元より騎手などという世界に残ってはいない。
「喜んでお引き受けします」
そんなワケでオレが3番人気のトゥルーロマンスに、1番人気のレイカプリンシパルには光希が騎乗する事になったのだが、検量室付近ではオレ達を非難するような、強い好奇の目に晒されたのは言うまでもない。
「光希。お前、こんなプレッシャーの中でちゃんと走れんのかよ?」
「そっちこそ、だいぶ目立ってるわよ?囲まれてあっという間に潰されないでよね」
「おーおー、仲良さそうだねお二人さん」
そう言って茶化してきたのは3年先輩の
オレには無いものを全部持っているってこういう事だな。
「順当に行けばお二人さんの馬が上位独占って感じになるのかもしれないけど、ウチだって負けてないよ。僕が風穴を開けるのを待ってるファンのお客さんが沢山居るからね」
「コラそこ。重賞でプレッシャー掛かってる子達にちょっかい出さないの」
「あっ、富田さん」
高松さんの後ろから釘を刺しつつ、オレ達の近くに来たのは
この人を同じ競馬場で見かけるのは久しぶりな気がする……って俺もきっと色んな人からそう思われてるのだと思うけど。
「富田先輩、ご無沙汰してます。同じ女性騎手として大舞台でご一緒できるの、凄く嬉しいです」
握手を求めながら目を輝かせて光希が言う。そういえば現役では自分より年上で唯一の女性ジョッキーとして、光希は富田先輩を尊敬していると話していたのを何かのインタビューで読んだことがあった。
「別に『女性だから』とか勝負の世界だし関係ないと思うけれど。それに、喜ぶのはお互いが良い結果を出せてからじゃない?」
全く表情を変えずに凛とした態度で富田先輩はそう答え、光希が答えに詰まりながらシュンとする。
しかしその一瞬後には表情を崩して
「でも、先輩として同じ舞台で頑張るのを目標にして貰えるのは凄く嬉しいわ。今日はお互い、頑張りましょ」
と笑顔を向けて光希に握手を求めて片手を差し出すモンだから、テンションを落とされた所から上げられた光希は目をキラキラさせて差し出された片手に両手でぎゅっと握手を返していた。
こういう所で相手の感情をコントロールする駆け引きの上手さってきっと、レース本番でも武器として機能するんだろうな。
「あーじゃあ俺も俺も、若手同士仲良くしてる感じで、皆で握手しよか?」
「あ、高松先輩は別にいいです」
「何でや!? そんなん男女逆差別やん! 」
そうやって光希から雑にあしらわれる高松さんを見て、光希もオレも先程まで無意識にあった緊張がほどけるのを感じる。これも高松さんなりの先輩としてのエールなのかもしれないな。
こうしてオレ達は久々の重賞挑戦・中山牝馬ステークスのパドックへと向かっていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます