2.『諦め』と同期と、それでも諦め切れないもの

「済まないがもうお前を、ウチの所属騎手としてここに置くわけには行かなくなった」


「もう貴様の面など2度と見たくない!自分のしでかした事の責任をちゃんと考えるんだな」


 浅い眠りの中で4年前に言われたことを急に思い出したのは、隣で眠っているのが同じ騎手という立場だったからか、それともそれがだったからなのか。


 目が覚めると壁にもたれたまま、毛布をかぶって眠っていた。二人で横に並んだ状態で。


 この女の名は芦名 光希あしな みつき。俺と同じデビュー8年目の騎手だ。

 

 同期6人の中で2人だけの女性ジョッキーのうち一人。ってもそのうち一人はさっさと引退しちまったから「唯一の生き残り女性ジョッキー」って事になるんだろうけど。

 

 彼女とは競馬学校で3年間、『同期』という仲間ながらも競い合うライバルとして、騎手デビューしてからは同じ関東・美浦に所属する新人ジョッキー同士として『たまに顔を合わせるぐらいでしかないけど励まし合う関係性』ってぐらいしか繋がりは無かった。

 

 知り合ってからの10年間でそりゃ1度くらいは淡い恋心みたいなものを抱いた事はあったけれど、があってからはお互いにそういう意識をすることも無かったように思う。今じゃもう、双子の兄妹みたいなモンだ。


 とずっと思っていたのだが、急に男1人の部屋に押しかけてくるとは思っていなかったのでちょっとだけ緊張した。といってもそれは最初の20分ぐらいで結局のところ、自意識過剰でしかないと思い直したけれど。


 

「もう、引っ越したんならそれぐらい教えてくれても良いじゃない。何の連絡も無いまま厩舎にも居ないし独身寮にも入ってないっていうから、ホントに騎手辞めちゃったのかと思ったわよ」


 普段から厩舎のキッチンで厩舎スタッフの食事を作る事もあると言っていた光希は、買ってきた材料と置いてあった調理器具で手早く2人前の夕食を作ると、皿に盛ったそれとビールの缶を2つ、ドンと折り畳みのテーブルに置いて床に無造作に座る。


「しっかしこの部屋、ホントに何も無いのね」

「仕方ないだろ。引っ越したばっかだったし、急だったんだから」

 

 前に住んでいた厩務員の方がそのまま置いていってくれた家具以外には、三つ折りの布団と壁に掛けたトレーニング用のロードバイク以外は家財道具と呼べるものを何も持ち込んでいない部屋。

 

 確かに新生活だというのに殺風景だと言われたら言い返せないだろう。だが別に何か買い足すつもりも無かった。どうせ寝に帰るだけの部屋だ。それに……いつまでここに居るのかも分からない。


 

「ところでさ……同期だったレイカって覚えてる?」

「ああ、あの期間限定アイドルジョッキーのだろ?アイツどうかしたの?」


 お互いに2缶目のビールが空いた辺りで光希から久しぶりに聞く名前が出る。

 結城 玲香ゆうき れいか。大馬主である食品会社『結城フーズ』の社長の娘で冠名「レイカ」の元になった人物だ。

 

 新人騎手インタビューからすでに「父親の持ち馬でG1を獲る事と、天才ジョッキーか大馬主の御曹司のハートを射止める事が目標です♪」と言い放ち、各方面に迷惑をかけまくったお騒がせ人物である。オレは芸能界には疎いから良くわからなかったけど、確かデビューから2年で馬主の息子を掴まえて「今度は競争引退、繁殖で頑張ります」ってこれまた物議を醸すような爆弾発言を残して結婚を機に引退したって事までは風の噂で聞いている。

 

「そのレイカがね、なんと騎手として復活するとか言ってるらしいのよ。なんでも長男くんも二人目も無事幼稚園に入れたから『育メンパパにお願いしてもう一度、夢だったG1挑戦に向けて騎手やります』だって。見てよコレ! 」


 そう言って差し出された光希のスマホの画面には『2児の母、ジョッキーの夢に再挑戦!応援希望♪』というタイトルでピンクのトレーニングウエアに身を包んでロデオマシンに跨るレイカの姿が短い動画で再生されていた。コメント欄には「応援してる!頑張って☆」とか「レイカの馬で鞍上もレイカとか胸アツ!」といった好意的なコメントばかりが並んでいる。なんか、見てるだけで嫌悪感がこみ上げてきた。


 

「この動画見てコメントしてる奴らからしたら、ウチらみたいなのは居ないのと一緒なんだろうな」

「だよね。嫌んなっちゃう。こっちはお洒落したいのも恋とかしたいのも我慢して脇目もふらず頑張って来たっていうのに。そういうのも全部、無駄だったのかなって思っちゃうわ」


 そんな愚痴を飲み干すように3缶目のビールを開けて半分くらいゴクゴクと一気飲みすると、光希は力が抜けたように肩を落として少し俯き、独り言のように呟く。



「ねえ。もうさぁ……二人で騎手なんて辞めちゃわない?騎手なんて拘らなくても、私の所属厩舎で厩舎スタッフとしてなら働き口ぐらい何とでもなるわ。そのうち父さんが調教師試験に合格したら私達が助手をやればいいし、引退する時にはどちらかが調教師として跡を継げばいいもの。良い考えだと思わない?」


 トロンとした目でそう提案してテーブルに頬杖をつく光希。その提案も悪くないかもな、って少しだけ考える。光希は騎手志望でこの世界に入ったが、その前から彼女の親父さんはこの美浦で厩務員から調教助手になっていて、所属厩舎も父親と同じ厩舎だった。


 このまま【うだつの上がらない騎手】として燻り続けるよりも、さっさと見切りをつけて次に進んだ方が歓迎もしてもらえるしキャリアも無駄にしないで済む。

 

 コイツだって今まで意識しないできたけどそれなりに可愛い顔はしてるし、嫁にするなら……なんて打算を働かせながら見たその表情が、諦め半分と『まだ諦めきれないのも半分ある』って物語っていたので正気に戻る。

 

 そう、同じレースで走った時に見かけた、2、3着で勝利を逃した時の悔しそうな表情。


「何バカな事言ってんだよ、飲み過ぎだ」


 そう言ってデコピンをかまし、冗談って事にして誤魔化す。そう、これでいい。


 

「それ飲みきったらちゃんと帰れよ?親父さん心配するぞ?」

 

「……確かにそうね。今の話は忘れて。ちょっと酔って投げやりになっちゃってただけ」


 曖昧に笑いながら、彼女は他の同期の近況や自分の厩舎の馬の話なんかにさっさと話題を切り替えた。オレもそれに相槌を打ちながら聞き役に徹していたのだが、多分いつの間にか壁にもたれて眠ってしまっていて……今に至るというワケだ。



 全く、帰れって言ったんだから放っておいて帰ればいいのに。とも思ったが、彼女が居てくれた事で仕事もなく終わってしまった週末の『何処にも居場所が無いように感じてしまう夜』が少しだけ軽くなった事に感謝する。



 俺もまだ、諦めるわけにはいかないな。


 

 敷いた布団に彼女を運んで毛布を掛けてやってから、窓際に座って少しだけ酔いの冷めた頭で「この先、どんな行動をとれば騎手として諦めずに挑戦し続けられるのか?」って、明け方の月を眺めながら夜明けが来るまでずっとぐるぐると考えていた。

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