3.新人調教師 福山隆一

この物語はフィクションです。

登場する人物・馬名・団体名などは

実在の名称とは関係ありません。


……1部にモデルは存在しますが、念のため。

___________________

「それで、こうしてわざわざボクに会いに来たってわけだね。全休日を狙って」

「ええ、まあ……すみません。お休みのところを」

「いや、いい判断だよ。むしろ今日じゃないと時間が取れなかったからね」

 

 中央競馬では関東に所属する全ての厩舎が集まる、競争馬のトレーニングセンターである美浦みほトレセン。

 

 ここでは土日が競馬開催の為、月曜日は全休日として馬の調教(トレーニング)は行われないし、厩務員も当番制で世話をする者しか出勤していない。トレーニングメニューの決定・判断などをする調教師や、それを実行する騎手や調教助手ならば尚更だ。


 それでも、気が逸って居ても立っても居られずについつい足が向いてしまった。それに彼ならば、こんな日でも来ているような気がしたのだ。馬の事が人一倍好きな、彼ならば。



 今、オレの目の前に居るのは福山隆一ふくやまりゅういち調教師。この春、騎手を引退して調教師に転身したばかりの競馬界では時の人だ。

 

 長年、騎手リーディングの上位に居続けてまだまだ衰えなど微塵も感じないうちに引退を発表した事が有終の美と称賛され、多くの馬をG1勝利へ導いた手腕が調教師になって発揮されることに期待が集まっている。


 そんな『オレとは全くの対極にいる』と言っても過言ではない人物の元を訪れた理由は1つ。オレが先月まで居た角野井すみのい厩舎に所属していた馬の多くが、新規開業になる福山厩舎所属へ移ったからだ。

 

 

 引退した恩師・角野井調教師せんせいは昔からのやり方というか義理を重んじる人で、普段の調教からレースの騎乗まで出来るだけ厩舎所属であるオレに乗る機会を与えてくれる人だった。

 さすがに有力馬で実力のある騎手のお手馬はレースまでは任せてもらえなかったが、所属していた馬たちの事なら多分、開業して初めて顔を合わせる福山厩舎のスタッフさん達よりは知っている。そこをアピールする事で調教やレースの騎乗依頼に繋がらないかと考え、自分なりには一大決心でやって来たつもりだった。


「確かに角野井調教師にはボクも騎手時代はお世話になったからね。それに君にも悪い事をしたと思っているし」

「いえ、あの時の事なら気にしないでください! 自分の能力が足りなかっただけですから」


 調教師としてではなく、騎手として福山さんが気にしているのは当然、の事だ。

 


 

 スカイリット。デビュー3年目までオレが所属していた厩舎の馬で、ダービーの前哨戦・青葉賞を勝った馬。オレに初めての重賞をプレゼントしてくれた馬でもある。

 

 事件はそのまま彼と人生初のダービーに挑めるんだと期待と緊張に胸を膨らませていたレース10日前の出来事だった。



「悪いがダービーは福山君でいかせてもらう」


 朝の調教が終わった後、所属厩舎の塩田調教師から急に呼び出され、一方的にそう告げられた。


「え、でも福山騎手さんはアンブレイカブルに乗るはずじゃ……」

「それなんだけどな……昨日の調教の後、様子がおかしいという事で獣医に診てもらったんだがフレグモーネ(急性の化膿性疾患)で出走を見合わせることになった。


 スカイリットの馬主さんとも先方の馬主さんとも話したんだが、それならば福山君はスカイリットの方で、という話になったんだ」


「そう……ですか」


 誰だって馬にとって生涯一度しか挑戦できないダービーに挑むとなれば『すこしでも有望な騎手に』と願うのは当然の事だろう。ましてやG1を何度も勝っていてダービーも2勝している人気騎手と、自分のような3年目のまだ大レースの経験が浅い新人なら当然だ。

 

「騎手の世界は結果が全てだ。これを悔しいと思うなら、福山を押しのけてでも自分が任せてもらえるようになれ。話は以上だ」

「わかり……ました」


 塩田調教師の言う事は最もだったが、膝から崩れ落ちそうな気分だった。3年間頑張って、ようやく! って時に……なんだってこんな事。


 

 ダービー当日、青葉賞での勝利と人気の福山騎手への乗り替わりで3番人気に押されたスカイリットだったが、レースでは力を出し切れず5着に敗退する。

 そして夏は放牧を挟んで秋の重賞・セントライト記念を福山騎手の手綱で快勝し、今度こそG1を! と陣営一同が意気込んでた矢先、競争能力に関わる故障を発生。そのまま、競走馬としては引退する事になった。



「加賀君はまだ若いからこれからダービーに乗る機会も、運が良ければ勝つ機会だってあるかもしれないけれどね。それでも、初めてのダービーに挑もうって機会を奪ってしまった事は悪いなって思っていたんだ」


 今度は調教師の帽子を取って、深々と謝る福山


「だからってわけじゃ無いけど、スタッフでは対応できない馬や角野井さんの頃に君が主戦で乗ってくれてた馬は、なるべく君に任せていこうと思ってる。有力馬や期待の新馬は元の騎手仲間やエージェントの手前、厳しいかもしれないけれど」

「それは、勿論分かってます。むしろそれだけでも充分過ぎるくらい有難いです」

 

 厩舎内をゆっくり歩いて所属馬一頭一頭の様子を見ながらそう話し掛けてくれる福山調教師に、今度はオレの方が帽子を取って深く頭を下げる。そんな俺に穏やかな表情を向けながら、一頭の馬の前で足を止めた。


「ちょうどこの子なんだけど、早速来週がデビュー戦かなって思ってるんだ。ボク的にはもっと早くても良いと思ったんだけど」

「ああ、コイツですか」


 その馬房に居たのは角野井厩舎では一番最後に入ってきたデビューがまだの馬で、オレにとっては他のどの馬よりも思い入れのある馬、リブライトだった。


 

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