ハルコのおはぎ

@ZuoJiaFuu

全話

ハル姉ちゃん、とハルコは姪の田鶴子から呼ばれていた。その田鶴子へ電話した。


あんこを炊くのは大変である。ほぼ1日がかりである。小豆をゆでる。アクをとって煮詰めていく。煮詰める際に焦がしてはいけない。そして砂糖入れてからはより慎重にならなければならない。少しでも焦げたらそのあんこは全てがダメになってしまう。焦げないようにずっと監視を続けていかなければならない。この作業で何度もやけどをした。

朝は早くから炊飯器でご飯を炊き、それを丸めていく。餡は1種類しか作れないが、外側を餡で包むタイプと餡をごはんで包み、黄粉をまぶすタイプの2つを作る必要がある。ご飯を餡で包むタイプは炊き立てでないとうまくきなこがついてくれない。このため熱々で半ば火傷しそうになりながら、丸めてきなこをまぶしていくことになる。まぶすといっても実際はきな粉の入った丼ぶりに、餡を包んだご飯で丸くなっているのかたちを投入し、これを一応転がしていくわけである。

餡の炊き方には工夫がある。この一工夫で餡の味と見た目が変わる。


このおはぎを作り始めてどのぐらいになるだろうか。半世紀はゆうに超えている。作り始めたきっかけはハルコの姑がどこからかおはぎをもらってきたことだった。

ハルコがこの家に嫁いできたのは昭和27年。ほどなくして長男が生まれた。姑はハルコに対して厳しくあたることが多く、その割に自分には甘かった。もらってきたおはぎは2個。自分がまるまる1個食べ、残りの1個をハルコとその夫である常三とが分け合って食べた。ハルコの故郷ではおはぎを作ると言う習慣はなかった。そのかわり5月になると草餅で柏餅をつくり配ると言う習慣があった。配っていた餅は柏葉(かしゃんば)と呼ばれていた。ハルコは今回のおはぎを食べて、このかしゃんばとの類似点を感じた。あんこは日本全国どこでも愛されているんだな、とも感じた。

翌年の春分の日に、おはぎを作ってみた。またその時作ったのは合計6個。、ちょっとした仕事である。それを食べて姑はたいそう喜んでくれた。おいしかったよ、またお願いね。それから春、秋のお彼岸のためにお彼岸のたびに美子はおはぎをすることになった。

そうこうするうちに、日本は裕福になったのか、和菓子店の店頭におはぎが並ぶようになった。美子はそしてきなこのおはぎの存在を知った。ハルコが作るおはぎの種類は2つになった。そして作る量は1.5倍になった。子供も3人になり、14個になった。

ハルコの住んでいる家は世田谷にあった。そして当家の墓は品川区にあった。その駅の近くに夫の妹、ハルコから見ると小姑にあたる義理の妹が住んでいた。お彼岸といえば墓参りである。墓参りのついで小姑の家にも寄るようになるそちらの子供の分も含めて作る数は25個になった。おはぎを作る日はますます忙しくなった。朝早く起きてご飯を炊く、おはぎを作る、そしてその後お彼岸のお墓参り。まだ若かったとは言え15分に着くのは時間もかかるし結構な負担に感じた。でも毎年皆が楽しみにしてくれるのはうれしかった。


ハルコの家の近くに仲人一家が住んでいた。正確に言うと、姑は近隣に住む面倒みのいいその仲人になってくれた人に頼んで常三の嫁になる人を探していた。その結果ハルコが常三のところに嫁ぐことになった。姑があるとき言った。今度仲人さんのところにもおはぎを持っていってね。


ハルコの住んでいた家は社宅だった。常三が勤めている会社の社宅なのだが、この時代、ビルではなく平屋だった。庭もついていた。ただし建物は二軒がつながった家だった。いまでいえばテラスハウス、なのかもしれない。とにかく同じ会社に住む気安さから、いろいろなもののやり取りがあった。庭になった柿、イチジクなどをあげたりもらったり、田舎から送ってきたものを配ったり。いつももらったばかりにはしておけないので、あるときハルコはおはぎを一軒の家に返した。そうするとこれも大層喜ばれた。ハルコはほかの家にも渡すようになり作るおはぎの数は40個をくだらなくなった。


社宅には住んでいられる年限があった。そして高度成長期下である。次第に周りの住人も家を建てて郊外へ引っ越していくようになった。常三とハルコも、とうとう念願の家をもつことになった。一時期おはぎを配る相手は減った。


歳月はあっという間に過ぎていく。姑は引っ越して4年で他界した。しかし自分の息子が建てた家に住むことができたことは誇りであったようだ。

子供も就職して3人とも家を出た。しかし結婚した長男が転勤になり、同居することになった。長男には娘が二人生まれた。にぎやかな家に戻った。そしてまた作るおはぎの数は増えるようになった。結局この郊外の家でも近隣にはおはぎを配る習慣ができてしまった。しかも世田谷の社宅時代の仲の良い家庭からは車でおはぎを取りに来る人もいた。さすがにこの時は代わりに何か果物や何かをその時や別の時に持ってくる。しかしハルコのおはぎはとても喜ばれている。

孫が育つと孫の知り合いにもおはぎが配られるようになった。結婚すると、今度は孫の一家にもおはぎが行き渡る。そして田鶴子である。田鶴子はハルコの姉の末娘である。明らかに叔母と姪の関係なのだが、実の娘よりも故郷の話で花が咲き、姪はハル姉ちゃんと呼んでいた。田鶴子はハルコの家から車で30分弱。田鶴子にもおはぎを配ることにした。もちろん取りに来てもらうのである。

そして歳月は経った。常三は大分前にグループホームから永遠の旅に出ていた。孫の成長に合わせ長男は一時期近隣のマンションに住んでいた。ハルコは10年近く一人暮らしをしていた。その孫も結婚し子供が生まれた。長男はまた戻ってきた。同居することになった。

困ったことが起きた。炊飯器が壊れた。新たに買った炊飯器は前の一升炊きから五合炊きになった。おいしく炊けることは炊けるのだが、困ったことに安全装置が働いて連続でごはんを炊くことができない。熱々をまるめて作っていくおはぎ。時間がかかっては作っていられない。これをきっかけにおはぎをつくるのをやめることにした。

田鶴子に電話した。電話はすぐに応答してもらえず、何回かコールしたあと切った。すぐ折り返しで電話がかかってきた。つくるのをやめたから…。ハルコは田鶴子に告げた。そうね、もう大変だものね。田鶴子は明るくこたえてくれた。

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