人間讃歌
赤はな
人間讃歌
昼間なのに雨は降っていない真っ暗な空。それはまるで、私の心の様だ。そんな日に、私は椅子を蹴った。
東京のワンルーム家賃三万のアパート。したいことがある訳でも地元が嫌いな訳でもない。普通で流れやすい女だ。それなのに上京した私が進む道が、ネイルから承認欲求が透けて見えるグルメ動画の作成や、知人の治外法権レビュアーの店のステマをする人間に成るのは妥当だと思う。最初は嬉しかった毎日信者から届くコメントも、今では言われて当然だと感じて承認欲求だけが膨れている。それはまるで、大食いのせいで大きくなってしまった胃袋の様。
初めた理由は、会社の同僚からの誘いだった。その子が私に治外法権系動画サイトを勧めてきた。始めは休日の食べ歩きの動画がメインだった。再生数はまずまずだったけど、食べ歩きが好きな人だったり、観光に行く人だったりが、ワイワイと賑やかなコメント欄だった。その平和なコメント欄をぶち壊したのは、始めて数ヶ月のある一つのコメントだった。
「絶対この人可愛い!手とか爪とかキレイだし!」
私はこれを貰った頃からおかしく成り始めた。一般常識的に、何処ぞの誰かも知らない人に、映ってもいない部位さえも褒められた。始めたての頃なら、何言ってんだコイツ、と思っただろう。だけど、その頃にはしっかりと毒されていたんだろう。だから愚直に喜んでしまった。脳からメントスコーラの様に吹き出すアドレナリン。それから私はイカれて始めてしまったんだ。
そこからの私は我ながらおかしかった。声が可愛いと言うコメントを貰うために、今まで使っていた皆使っているからという理由で使っていた、可愛げが無くなり、不快感のみが残った赤ちゃんボイスの人口音声を使うのを止め、加工だらけの生声を使い始めた。天才と言われる為に、コンビニでテキトウに買ったお菓子とジュースを買って、それを混ぜたものを激ウマドリンクとして動画を出した。若くして稼いでいる子とアピールして、アンチを弱者男性と決めつけさせる為に、会社を辞めて沢山の案件を取った。なんだかんだ一年で一千万位稼げた。結果だけ見れば良かった。どうせアイツらに見せるのは結果だけなのだから。実際は365日毎日の投稿。並々ならぬ努力が必要だった。なんせ、毎日投稿しなければ、余程の人じゃないと忘れ去られてしまう。その為、同業者とのコラボをこの頃から積極的に行い始めた。
その後、さらにお金を稼ぐ為に、治外法権サイトだけじゃなく、ポピュラーな充血サイトにも投稿を始めた。そこに投稿を始めると、投稿した動画から広告収入を得られるようになった。それにプラスして、十分動画に一時間を超える手抜きのまとめ動画。それらは私は収益を二倍三倍にすることに成功させた。ただ、それだけじゃ終わっらなかった。
場所が変われば人間の特性も変わる。考えが浅かったんだ。アカウントの登録者が百万人を超えた辺りから、明らかに誹謗中傷が増えた。勿論私は、そいつらに情報開示に損害賠償の請求をした。けれども、弁護士さんへの相談に、その間も増える誹謗中傷、挙句の果てにコラボ相手との利益配分のゴタゴタ。
私は察した。どうして金銭的にも地位的にも余裕がある人が自殺をするのかを。本当に辛いんだ。全ての面倒事が同時並行。誰も待ってはくれない。解決する前に疲れてしまうんだ。かと言って愚痴を零せる相手も同業者には居ない。どれも表面上の関係なのだから。それから...
だんだんと記憶が流れなくなってきた。私はもうすぐ訪れる事実に安堵とほんの少しの後悔を感じ、目を閉じた。しかし、高くない天井から吊るした縄が、落ちてしまった。そこそこ止まりの耐久力の縄を吊るすためのフックが、五十キロの私に耐えられる訳が無い。その当然とも言える事実が、私が一番恐れていたことだった。
もう一度やり直そうとする気にもならない。疲れたという気持ちが、恐怖に負けている。それは、「樽いっぱいのワインにコップ一杯の汚水を入れると、それは樽いっぱいの汚水になる」とでも言うべきか、今あるのは死にたくないという恐怖だけが私の心の中を支配している。
私にある自殺願望がその程度だとわかった私は、ふと昔にお母さんに作って貰った卵粥とホットミルクを思い出した。最近は、最低限食えるだけの商業用の惣菜しか食べていなかった事に気づく。
私は何日かも前かわからない冷凍ご飯と卵、そして買うだけ買った牛乳をそれぞれ加熱して料理を終わらせる。完成させたそれぞれをゆっくりと口に運ぶ。もう味なんてわからない。ただ感じるのは温かさと、目と鼻から出てくる生きてるという証だけだ。
これを食べ終わったら、ゆっくりと好きなだけ寝て...面倒臭い事は後でで良いや。お金なら沢山あるし...実家にでも帰ろうかな。明日からは気楽に生きて見ようかな。
結局、心の病も身体の病も直し方は同じだった。
人間讃歌 赤はな @kagemurashiei
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