第24話
栗の木ティーハウスは人で溢れかえっていた。週末の午後二時という、人のよく集まる時間帯だった。仄かな間接照明が壁と円い天井を照らしていて、壁掛けのスマートスクリーンからはムーディーな音楽が流れている。
ロストンは窓際の席に座り、アイスティーのグラスを手に取った。窓の外を無心に眺めると、店に面した広場の向かい側に両腕を広げたグレート・マザーが立っている。映像ではなく、本物の人間のように作られたロボットだった。その足元の台座には”あなたを受け入れます″と書いてある。
何かの気配を感じて視線を店内に戻すと、ロボットのウェイターが、注文したエナジードリンクをテーブルに置き、キューブシュガーを補充した。
ロストンは壁掛けのスマートスクリーンを眺めた。今はそこから音楽に合わせた映像しか流れてこなかったが、そろそろ平和アソシエーションから交渉の結果が発表されてもいい時間帯だった。
彼は数日間、そのことが気になっていた。以前、世界軍が創設された際にアフリカ諸国を束ねるアフリカ連合は欧米の意図を警戒して世界軍の創設に加わらず、平和協定にも署名しなかった。欧米諸国が平和のためという名目で自分たちの軍事力を骨抜きにし、支配しようとしているのではないかと警戒したのだ。植民地だった経験があるので、無理もないことだった。だが実はその後もアフリカ連合を加入させるための交渉は続いていたようで、その結果が交渉の期限である今週中に発表される予定だった。ニュースによると、アフリカの中でも北部と南部は世界軍への参加に賛成する国が多かったものの、中部と東海岸と西海岸の国々は反対が根強く、それがアフリカ連合全体としての不参加につながっているらしかった。世界軍と名前を付けたところでアフリカ大陸が参加しなければ本当の意味での世界軍ではない。だから世界市民連合にとっては、アフリカ連合の加盟が決定的に重要だった。
ロストンはアフリカ諸国の参加可能性についてしばらく考えを巡らせた。そしてアイスレモンティーの入ったグラスにエナジードリンクを半分だけ注ぎ、キューブシュガーを一つ入れた。少し飲んでみると、口のなかでレモンの香りが広がり、エナジードリンクの作用で身体が一気にリラックスした気分になった。
その心地良い感覚はあの場所で感じたものと少しだけ似ていた。ロストンは時々、その場所を思い浮かべることがあった。そこで感じた感覚は身体に深く刻み込まれ、忘れがたいものとなっていた。
アイスティーを再び口にすると、窓ガラスに映る自分が見えた。施設を出てから、若々しかった身体は元の状態に戻っていた。肌の潤いとハリがなくなり、髪の艶もなくなって、体脂肪も少し増えていた。ナノマシーンを使えば若さをいつでも取り戻せるし、いつでも使用の申し込みは許されていたが、利用料が高すぎて手が出なかった。博愛園の施設にいる間は利用料がかからず、惜しみなく使われたが、治療プログラムが終わった後は自分でお金を払わないと利用できなかった。だが庶民の手の届く金額ではない。負担を感じずに利用するにはそれが低廉化するのを待つか、自分が仕事で大きく出世するか、投資でも上手くやるしかない。
隣の席を見ると、薄い囲碁盤が置いてあり、二人の男が囲碁を打っていた。店は賑やかで、気がつけばロストンの周りには多くの客が座っていた。
彼は再びエナジードリンクをアイスティーに注ぐと、もう一本注文しようと思い、テーブルの上のメニュー表を眺めた。エナジードリンクの写真を見つけて指で押し、その横に書かれた数量も押した。今月に入ってもう十杯は飲んでいるだろう。昔は節約のためにティーハウスに入ることなどせず、小売店で買って飲んでいたが、最近は、賑やかなところに身を置きたい気分だったし、新しく就いた職の給料が以前より少しばかり高いため、ここに来ることが増えた。
ふと、壁掛けのスマートスクリーンにテロップが流れているのが見えた。音楽用の映像はそのままで、文字情報が画面を横切っている。目を凝らして内容を確認すると、世界軍関連のニュースではなく、経済関連のものだった。経済政策研究所によると、今年のGDP成長率が前年度のそれを上回る見込みらしい。
窓の外をまた眺めると、相変わらず広場の向かい側にグレート・マザーのロボットが立っていた。その前を多くの人が忙しく行き交っている。
視線を店内の隣の席に戻すと、囲碁盤の上に白と黒の碁石がびっしりと置かれていて、一見、東洋で使う陰陽のシンボルのように見えた。囲碁が石で囲んだ領域の広さを争うゲームだということぐらいは知っていたが、素人の目で見ると、白石が黒石を囲んでいると同時に、黒石も白石を囲んでいるように見えた。勝ち負けのあるゲームだから当然対決しているはずだったし、実際、囲まれた石が取り除かれたりしていたが、全体的にはお互いがお互いを包み込んで共存しているかのように見えた。それはどこか、破壊的な対立を調和的な対立へと変換しようとする正統派の思想と似ている気がした。
その時、ロストンの目にまたテロップが飛び込んできた。今回は重要な速報らしく、ムーディーな音楽が流れる中、大きな文字で「午後2時30分より世界軍をめぐる平和アソシエーションの重大発表」と書かれていた。
ロストンは胸騒ぎを覚えたが、同時に冷静になろうとした。
彼は以前、国際会議のテレビ中継で、世界軍への参加に反対するある中部アフリカの代表者が、賛成派の北アフリカと南部アフリカと欧米諸国を激しく非難する姿を観たことがあった。その代表者は、アフリカ諸国の軍隊が世界軍に吸収されることは実質的な植民地化であると訴え、むしろアフリカ連合がアフリカ軍たるものを創設し、軍事面でアフリカの独立性を保つべきであると熱弁していた。中継の解説者によると、それはその代表者の個人的な意見ではなく、中部および東西アフリカ諸国の民意を強く反映したものらしかった。諸大国の代表たちは植民地化などありえず、世界軍は民主主義的な仕組みで運営されると反論していたが、批判を受けたアフリカ北部と南部の代表たちは特に反論せずに黙っていた。
その中継を観たのがつい数カ月前だったので、今回の交渉も大きくは期待できないとロストンは思っていた。それどころか、もしあの中部アフリカ代表者の提案したようなアフリカ軍が創設されれば、世界軍と対峙する巨大な軍隊が新たに台頭することになる。今の段階ではアフリカ諸国の力を束ねても世界軍に敵わないかもしれないが、アフリカは急速な経済発展を遂げており、それに合わせて軍事力も大きくなりつつあった。アフリカ諸国も他地域と経済的な相互依存関係を築いているので、実際に戦争が起きる可能性は低い。だが、独立した複数の軍隊が世に存在する限り、お互いがいつか敵になる可能性は常に残ることになる。
ロストンは想像してみた。もし世界がアフリカ連合と世界市民連合という二つの陣営に分断されれば、世界市民連合と大資本家たちの世界支配が崩れ始めるかもしれない。そうなれば富の再分配が起きるのだろうか。格差が狭まるだろうか。
だがその時、ロストンは自分の中に矛盾する気持ちを感じた。複雑な心境だった。
隣の席の囲碁盤をしばらく眺めた後、彼は自分のテーブルを指でなぞった。
2+2=4
ジェーンはいつか、連合なら人の感情もコントロールできるかもしれない、と言っていた。信じさせたいものを信じさせることができる、と。だが、今ははっきりと分かる。かれらにそこまではできない。一時的にできるとしても、事実にそぐわない考えは長く続かないのだ。では、長続きする、事実を反映した考え方とは何だろうか。それを予め知ることはできないとオフィールドは言っていた。だから個人の自由を守ることが体制と社会の永続につながると。人々が色々な自由な選択をすれば、その中で現実に適した選択が生き残り、体制を支えると。
博愛園の施設から出て、ジェーンと再会した時のことが思い浮かぶ。
会う前、二人で会っているところを人に目撃されるのがロストンは不安だった。施設を出てからも自分たちの行動はマスコミの注目を集めていた。家の周辺にはスクープ写真を狙っている人たちが潜伏しているかもしれなかった。
だからお互いの家に行くのは諦め、人目のつかないところで会うことにした。だが場所を決めてからも、万が一のことを考え、マスコミの注目が他に移るまでしばらく待った。
それで会えない日が続いた。ようやく再会できたのは、施設を出てから数週後の、地面の雪が溶け始め、穏やかな風が吹き始めた頃だった。
暖かい日差しの中、緊張しながら、ゆっくりとした足取りで待ち合わせ場所に着くと、彼女が木陰に立っていた。捕まる前の彼女と外見は同じだったが、どこか雰囲気が少し変わっていた。
二人は目で挨拶をし、言葉を交わさず、歩き始めた。周りに人がいないのを確認しながら進み、木が生い茂る場所に着いた。日陰には凍った雪がまだ若干残っていたが、陽が当たっているところは暖かく、風が静かに通り抜けていた。
二人はベンチの役割をしそうな横長の岩を見つけて腰を下ろした。人目のつかない場所だったが、どこかにスマートスクリーンが隠れているかもしれなかった。だから二人は少しだけ離れて座り、お互いの肌が触れないようにした。
でも久々に見る、真横にいる彼女の顔は、昔と変わらず愛らしく、凛々しく、綺麗だった。見つめていると、いつしか花火の下で不意に唇を重ねてきた彼女の姿が重なった。
ロストンは衝動的に身体を伸ばした。そして彼女の頬に短いキスをした。以前掘っ立て小屋でしたキスと似ていたが、込められた愛情の深さはまるで違っていた。
びっくりした表情を見せた彼女は、次の瞬間には微笑み、恥ずかしそうに目をそらした。そして視線を戻し、ロストンを見つめた。
その眼差しには愛情が込められている気がした。それは、今の気持ちだけでなく、未来へとつながる彼女の心情をも映しているように思えた。
ジェーンは何かを言い出そうとしていた。そわそわしているのか、履いているローヒールを浮かせたり、地面に着けたりした。そして重い口を開いた。
「あなたを守りたかった」
ロストンが小さく頷いた。「うん……」
「だからあの人たちにお願いしたの。悪いのは私だから、あなたにそんなことをしないでって。そんなことを言うのは自分を立派に見せるためだと思う人もいるかもしれない。でも私は本気だった。自分はどんなに苦しんでも構わないから、あなたを苦しめないでって本当に思ったの」
「僕も君に対してそう思ったよ。まったく同じ」
ロストンは博愛園でのことを思い出しながら言った。
そして二人はしばらく、電話で話せなかった色々なことをお互いに打ち明けた。
ただ、時間に余裕はなかった。彼女は海外の仕事が入っていて、すぐ空港に向かわなければならなかった。
二人は惜しむように立ち上がった。
「またね」彼女が言った。
「うん、また」
先に彼女がその場を出て、ロストンは少し経ってから出発した。
歩いて広いところに出ると、遠くで坂の下を歩いている彼女の後ろ姿が見えた。ふと気づいたように彼女は振り向いて、ロストンの姿を確認すると手を振った。彼も手を振った。
ロストンは人目があるので距離を縮めない方が良いと思い、しばらくその場に立って、再び前を向いて歩いていく彼女を眺めた。
視線の先、彼女よりも遥か遠いところに、馴染みのある建物が見えた。自分の住む庶民のマンション、都心に高く聳えるトゥルーニュース社のビル、博愛園の本部タワー、平和アソシエーションのビル。そしてそのまた向こうには丘の上の富裕層の街が見える。
その時だった。
彼女の方にまた目を向けると、いつの間にか大勢の人が、周りを囲むようにジェーンに近づいていた。不安がよぎった。変な連中に絡まれたのかもしれない。
ロストンは慌てて彼女の所に向かって走り出した。走りながら色々なことが頭をよぎった。もしかしたら彼女はあいつらに罵声を浴びせられているかもしれない。汚い言葉を吐かれているかもしれない。笑われているかもしれない。
ロストンは心の中で叫んだ。止めてくれ、彼女はもう十分に苦しんだんだ。たくさん傷ついたんだ。もうこれ以上彼女を……
ところが、距離が縮まったところで彼はハッと気づいた。ジェーンを囲む人たちは、とても明るい表情だった。握手やサインを求めていて、彼女はそれに応じていた。人々の輪の中で見え隠れする彼女は、少し照れたような、でも幸せそうな笑顔だった。
ロストンは回想から覚めた。
店内の壁掛けのスマートスクリーンから懐かしい歌が流れている。
おおきな栗の木の下でー
あーなーたーとーわーたーしー
なーかーよーくー遊びましょうー
おおきな栗の木の下でー
童謡だが、大人用に少しアレンジしたものだった。聞きながら歌詞を反芻していると、優しい気持ちになってロストンは思わず微笑んだ。
彼はエナジードリンクを混ぜたアイスレモンティーを口に運んだ。独特の味わいがする。エナジードリンクはもはや彼の生活の一部になっていた。それは疲労を癒やし、活力を生み、やる気を再び引き起こさせるものだった。おかげで彼は夜の十時前には安らかな眠りに落ち、朝五時には充満した力でスッキリ目覚めることができた。たまにこうして栗の木ティーハウスに来た時も、エナジードリンクを混ぜたアイスティーは彼をほどよく癒やしてくれた。ここでは彼を珍しがるような視線もなく、居心地が良かった。
もちろん、いつもこういう所でゆったりできるわけではない。仕事が忙しい時もある。再就職先は、同じトゥルーニュース社の別の部署で、かつてハイムのいたメディア調査部だった。そのなかでもロストンは、オープンスピーク辞書第三版に含まれる新用語をニュースなどに導入するための対策チームに入っていた。使う言葉とそのルールを決めるというのはメディアの根幹をなす部分で、非常に重要な仕事だった。チームには彼以外に大勢のメンバーがいて、皆それぞれ違う文化的バックグラウンドとキャリアを持っていた。その方がオープンスピーク導入をめぐる問題点とメリットを様々な観点で見られるからという理由だった。チームの人達は普段は調査を行って報告書を作成し、会議時は午前から晩まで一日中議論をしながら細かいところを詰めた。時に議論は過熱し、決着のつかない押し問答が続くこともあったが、何とか妥協点や打開策を見つけようと皆が真剣に取り組んだ。そしてその日の案件が解決すると、皆クタクタになりながらも自分たちの仕事の成果に誇りを感じながら家に帰っていくのだった。
スマートスクリーンに目をやると、また新しいテロップが流れ始めるのが見えた。
世界軍をめぐる発表だろうかと目を凝らしたが、関係のないニュースだった。
だが不意に、銃を手にして行進するアフリカ軍のイメージが彼の頭をよぎった。波打つかれらの行進がアフリカの中心部から外側へと突き進む力強い姿を。北部の防衛線を突破して北アフリカを占領し、さらにはアラビア半島とヨーロッパ大陸にまで力強く突撃していく姿を。
それは単なる想像でしかなかった。だが自分の想像したイメージになんだか不安を覚え、ロストンは広場の向かい側にあるグレート・マザーを眺めた。彼は疑問に思った。最近の交渉はむしろアフリカ諸国民の反発心を刺激してしまい、逆にアフリカ大陸の団結力を強めてしまうのではないだろうか?
ロストンは自分が落ち着きをなくしているのを感じ、エナジードリンクの混ざったアイスティーを再び口にした。隣の囲碁盤を見ると、今度は黒石が白石と犇めきあっているように見える。やはり共存しているのではなく、対立しあっているのだろうか。しかし……
その時、おそらく囲碁の色からの連想だが、遠い昔の記憶が蘇った。
白塗りの明るい部屋で八歳か九歳の自分が膝を抱えて座っている。部屋の中央には大きめのベビーベッドがあり、母は寝ている赤ん坊の妹を覗き込んでいた。それは、母が姿を消すおそらく一年か二年前のことだった。自分と妹に対する母の接し方の違いに気づき始めた時期だった。
その日は雲ひとつない晴天で、透き通る青が広がり、穏やかな日差しが白塗りの部屋を明るく照らしていた。だが明るい部屋とは対照的に、家族の表情は暗かった。戦時中で、貧しく、食べるものがあまりなかったのだ。親と自分はじっと空腹に耐えていた。
まだ赤ちゃんだった妹は、母乳だけで満腹になるらしく、飢えてはいなかった。しかしどの赤ちゃんもそうであるように、起きている時はよく泣き喚いていた。オムツの交換や母乳など、理由がはっきりしている時もあったが、何をやっても無駄な時もあった。
憔悴した母がたまりかねて言葉の通じない妹に話しかけた。「おもちゃを買ってあげようか。それなら泣き止んでくれるかな」
食料を買うお金さえ十分ではなかったが、娘を泣き止ます方が母にとっては切実だった。母は妹を抱っこして出かけた。
すると数時間後、どこで手に入れたのか、母はおもちゃを手にして帰ってきた。
そのおもちゃは、ボタンを押したり紐をひっぱったりすると面白い効果音の出る幼児用のものだった。そのうち妹は、押すと面白い効果音が出るのを理解して、笑い声を上げながら夢中でボタンを押し続けた。そしてその様子を見て母は嬉しそうに笑った。ロストンは妹のことが羨ましかった。彼はそれまで母におもちゃを買ってもらったことがなかった。
突然、店の外から大きな歓声が聞こえてきた。
世界軍のことかもしれない、とロストンは思った。世界軍が創設された時も広場の観衆は同じ歓声を上げていた。店内の人達は驚いた表情で、みな窓の方に顔を向けた。だが窓のすぐ外にいる人達もまだ状況が分からないみたいで、歓声が聞こえる方角を眺めていた。するとまた、見えない所から大きな歓声が聞こえてきた。ある客がしびれを切らし、チャンネルを変えるようにウェイターに指示した。
すると壁掛けのスマートスクリーンが、ライブ中継のようなものに切り替わった。
画面の中、アフリカ連合の代表を含む各国代表が横一列に並んで座っている。その真ん中で平和アソシエーションの中心メンバーが何かを発言していた。よく聞くと、ロストンが想像の中で繰り広げていたものとは真逆のことが起きていた。
交渉期間中、欧米諸国よりもアフリカ北部と南部の代表たちの方が、譲歩案を出しながら、加盟反対派のアフリカ中部と東西の代表たちを粘り強く説得してきたらしかった。そしてついに、中部と東西の代表たちが折れ、アフリカ連合の加盟国すべてが世界軍への参加を決定するに至ったという。つまり、アフリカ大陸は外部の諸大国の圧力によってではなく、自らの意志で世界軍に加わることを決めたのだった。
どんどん大きくなる外の歓声が邪魔をして途切れ途切れにしか聞こえなかったが、各国の代表たちが立ち上がって握手をすると、中継リポーターが興奮した声で状況を伝えた。
「長期間の交渉……アフリカ諸国同士の譲歩と説得により……交渉成立……五十億人の新たな加盟人口……アフリカ軍創設の案は棄却……アフリカ全土が世界軍に加わり……近日中に新条約の締結……平和……ついに達成された人類念願の永久平和! ……平和、平和、平和!!」
ロストンは窓の外のグレート・マザーを見た。
わずか数分前まで自分は、アフリカ軍が他地域を侵略する姿を想像し、世界軍と永久平和に対して懐疑的だった。だが驚くべき偉業は成し遂げられたのだ。予想を超える迅速さで、確実に成し遂げられたのだ。かれらには夢を実現する力がある。
博愛園に連行された時から自分のなかで何かが少しずつ変化してはいたが、決定的な臨界点には達していなかった。だが今この瞬間、自分の中で何かが大きく変わろうとしていた。
ロストンは高鳴る胸を抑えきれず、店を出た。
広場は、彼と同じく歴史的瞬間に立ち会おうと飛び出してきた人たちで溢れ返っていた。
それはまるで一つの祝祭だった。陽気な音楽が鳴り響き、色とりどりの紙吹雪が舞い降りて、それを子供たちが宙で掴もうとしていた。広場の中央では大勢の老若男女が輪になって踊り、その隣ではキッパーをかぶったユダヤ人とターバンを巻いたアラブ人がハグをし、そのまた隣では黒人と白人とアジア人の若者たちが肩を組んで声高らかに歌っていた。広場の端にある大型スクリーンの中では興奮した中継リポーターが風にはためく連合と世界軍の旗を指差し、それを観ている観衆は歓声を上げ、スローガンを連呼している。
ロストンは目の前の出来事に自分の感情を抑えられなくなった。気がつけば、群れの中へと駆け出し、分け入って、共に歓声を上げ、スローガンを連呼していた。
酔いしれる熱狂と興奮の中、彼の意識は博愛園に舞い戻り、自分の犯した罪をオフィールドにきつく問い詰められている。床にひれ伏して、顔をうずめている。プレスルームに立ち、カメラの前で涙を流しながら、自分のせいだから彼女を赦してくださいと懇願している。そして誰もいない仄暗い廊下を一人で歩いていると、そこはいつの間にか長いトンネルの中だった。少し離れた出口で誰かが両腕を広げて待っている。ずっと追い求めていた救いが訪れようとしている。
ロストンはその顔を見つめた。そして歩き出した。その微笑みと広げられた腕の意図を受け入れるのにとても長い時間がかかった。いや、心のどこかでは分かっていたのかもしれない。分かっていながら拒み続けたのだ。
彼は思わず溢れ出そうな涙を堪えた。
でも、もう強がらなくてもいい。自分を守ろうとして強がらなくてもいい。本当は寂しかったと素直に打ち明けてもいいのだ。もっと愛して欲しかったと泣きじゃくってもいいのだ。
彼は今、グレート・マザーに強く抱きしめられていた。
〈完〉
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