第7話
「トラディットたちにこそ、希望がある」
ロストンは匿名掲示板に書き込んだ。現状を打破できる唯一の存在はトラディットたちかもしれない、と彼は思い始めていた。
たしかに、かれらはアメリカの全人口の5パーセントにすぎない。隠れ支持者を入れても10パーセントに満たないと言われている。だが、現体制への現実的な対抗勢力となりうるのは、かれらしかいないのだ。民衆の圧倒的な支持を得ている世界市民連合が組織の内側から崩壊するとは考えにくく、連合を外側から脅かす国もない。あのSS同盟も、連合へのテロ攻撃を行ってきたものの、ゲリラ的なテロだけで体制を覆すのは難しいだろう。だとすれば少数派でありながらも、人口の5パーセントから10パーセントという、社会の一角を占めるトラディットが唯一の希望なのだ。だから……
ロストンがその時不意に思い出したのは、数年前の、ネットで聞いて駆け付けたトラディットたちの集会のことだった。
それはある夏の日の夜だった。
大通りから広場へと、松明と大きな旗をもった何百人の屈強な男たちが行進していた。「移民者は出ていけ!」「異教徒は出ていけ!」「われわれは乗っ取られない!」とかれらはスローガンを連呼し、その怒りと決意に満ちた声は大きなうねりとなって夜空に鳴り響いていた。
その光景に、ロストンは胸が高鳴った。そして心の中で叫んだ。これはレジスタンスだ! 押さえつけられていた人々の感情がついに爆発した! トラディットたちが勇敢に立ち上がり、連合の支配に立ち向かい始めたのだ!
スローガンの連呼は次第に勇ましい行進曲へと変わり、男たちはまるで軍隊のように靴音を立てながら、重低音の力強い声を響かせた。
少し離れた所で見ていたロストンは、胸がはち切れそうになった。そして確信した。重要なのは、この一体感! 価値観のバラバラになったこの世界で、今必要なのは思想と行動の団結であり、一体感なのだ!
そのような思いに至ると、彼は興奮を抑えきれず、我を忘れて行進の中に飛び込もうとした。
その時だった。
トラディットたちの前にガスマスクをした数十人の武装警察が立ちはだかった。そして間髪を入れず、手に持った噴射機からガス状のものを発射した。
瞬時に松明が吹き消され、また数秒と経たないうちに、先ほどまで勇ましく大声を出していた男たちが無言でよろめき、紐が途切れた操り人形のようにバタバタと倒れていった。どうやら睡眠ガスのようだった。
ロストンも強烈な眠気に襲われたが、その場から少し離れていたのでなんとか逃げることができた。
途中で振り返ってみると、まるで大量虐殺の現場のように、倒れた数百の男たちが広場を覆っていた。そして警察は倒れた一人一人に手錠を掛けていた。
勝ち目はない、とその時にロストンは思った。体制側は、数百という人間をたった数秒で制圧することができる。ちょっとしたデモの行進ぐらいでは何も変わらない。
だがその時を振り返りながら「それでも」と思うところが彼にはあった。トラディットたちの叫びには、たしかに戦慄を覚えるような力がこもっていた。それはたしかにそこにあった。そのような叫びがもし全国で湧き上がれば世の中は変わるかもしれない。数百人は逮捕できても、数十万人や数百万人を逮捕することはできない。トラディットの全人口が力を合わせれば、そして隠れ支持者も勇気を出して加われば、きっとこの現状を打破することができるはずだ……
当時のことを思い浮かべながら、ロストンは書き込んだ。
<あの集会ははっきりとした抵抗の意志の表れだった。その強い意志がかれらを突き動かしたのだ。新たな革命の機運は確実に高まっている。>
世界市民連合は、自分たちへの抵抗が存在する理由を分かっているだろうか。
連合はトラディットを含む全人類を戦争と貧困から解放したのが自分たちだと考えている。だから感謝されこそすれ、恨まれる筋合いはないと考えている。連合の息がかかっている歴史書によれば、世界市民革命が起きる前、人々は戦時体制のなかで疲弊し、家族を失い、餓死寸前まで追い込まれていたが、連合が戦争を終わらせ、復興のために尽力した。だから自分たちは解放者だというわけである。
しかし連合は自らを解放者であると言いながら、トラディットをあからさまに冷遇してきた。一口にトラディットと言っても、かれらの間で共通しているのは伝統的な価値観を優先する点で、具体的な部分においては考えが違うところもある。宗教的な伝統を重んじる者もいれば、宗教以外の伝統を重んじる無神論者もいる。純血、人種的な誇りを重視する人もいれば、革命前の政治体制の復古を望む者もいる。だがいずれにしても、文化多元主義とグローバル化を推し進める連合と価値観が相容れない点では共通している。
連合はそういうトラディットを転向させたいのが本音だろう。しかし、無理に転向させようとすると対立が激化して体制に悪影響が出るので、連合の理念を公の場で誹謗中傷しない限りは放っておくという態度をとっている。だが他方でそれは、連合への批判がある場合は厳しく取り締まることを意味する。だからリベラル・ネットワークは常に監視の目を光らせてきた。かれらは危険人物とおぼしき者を見つけると、要注意人物としてすぐ警察に通報する。さらに連合は、内面の価値観を放っておくふりをしながら、事あるごとに自分たちの理念をトラディットたちに刷り込もうとしてきた。トラディットのなかには家にスマートスクリーンがない人もいたが、最新のスマートスクリーンを無料で配ってまで連合は刷り込みを試みるのだ。加えて、思想の自由が認められるといっても、トラディットには現実的な不利益がある。価値観が一般社会のそれと合わないため、かれらは正統派の作った社会のレールにうまく乗れず、周囲の人たちと価値観がぶつかり、進学や仕事において不利になる場合が多い。そのため貧困に陥りやすいのだ。
ふと、ロストンの頭に疑問がよぎった。
世界市民革命より前の時代は、連合が主張するほど悪い時代ではなかったのではないか? トラディットたちが現体制に抵抗しているということは、かれらにとって以前の時代の方が良かったということではないか?
戦時中が大変だったのをロストンは身をもって覚えていたが、戦争の前の時代については幼すぎたためあまり覚えていなかった。たしかに、戦時中と比べれば、革命後の方が人の暮らしは良くなっている。経済指標など見るまでもなく、小さかった頃の自分の経験から分かる。だが戦時中ではなく、戦争の前の時代と比べてはどうか?
ロストンは、統計を確かめてみようと、デスク上のスマートスクリーンで検索した。
過去のデータによると、革命後、寿命は確かに延びていた。現在の世界の平均寿命は86歳で、アメリカに限って言えば98歳。革命前のアメリカの平均は72歳だった。平均労働時間も戦後に短縮し、余暇時間が増えている。国によっては平日の平均労働時間が6時間弱のところさえある。教育水準も高くなり、全世界の大学進学率は戦前の5割から8割へと増えた。見渡す限りのデータが全てこうした調子で、終戦と革命後の進歩を示している。
だが、たとえデータの数字自体に嘘がないとしても、何を取り上げて注目するかに、都合の良いバイアスがかかっているではないか? 体制側は、都合の悪い情報を意図的に無視し、取り上げず、隠してきたのだ。ロストンはその証拠をいくらでも挙げる自信があったが、その中には彼が直接経験したものもあった。
それは、トゥルーニュース社で働き始めて間もない、15年ほど前の出来事だった。
当時はのちに”大転向の時代″と呼ばれた時期で、危険思想で逮捕されていた反体制派の主要人物が続々と転向を表明していた。それまでにも反体制派の転向はあったが、その時期にトップの人たちが一斉に転向を表明したことで反体制派は指導層を失い、総崩れになった。かれらは自らの危険思想を告白し、罪を懺悔した。そうすることで社会に復帰することが許されたのだった。
そのような転向者のなかにラムフォードという男がいた。だが驚くことに、彼は転向から一年ほど経った頃、メディアに出て、その撤回を宣言したのだった。彼は、自分がなぜ以前に転向を表明し、今回はなぜそれを撤回するのかを説明した。つまり、新体制への転向と支持を表明したものの、心の底では転向していなかったこと、転向表明は良い条件で社会に復帰するための妥協であったことを告白したのだ。こうした告白によって彼が再び逮捕されることはなかったが、その後の報道によると、彼は職場で解雇通知書を渡されたという。
ラムフォードの転向撤回から数カ月後、ロストンは時々通っていた栗の木ティーハウスで彼を目撃したことがある。
彼はロストンよりもずっと年上で、世界市民連合に政治的に抵抗した最後の世代だった。もともとコメディアンで、その容赦のない風刺と皮肉をもって生み出す笑いは反体制派の士気を高めていた。特に富裕層を面白おかしく風刺して、格差を感じている人たちの気分を爽快にさせていた。
だがそれも遠い昔のこと。ロストンが彼を見かけた時、その風貌からはかつての抵抗精神を物語るようなところはなかった。特に重い病気を患っているようには見えなかったものの、目力がなく、頭の左右には白髪が生えていて、無気力な印象を受けた。それに、転向を撤回してしまった彼はもはや潜在的な社会の敵、ならず者、近寄ってはいけない人だった。体制側の理念を公に否定した時点で、社会的にはもう死んだのも当然であった。
その時の栗の木ティーハウスは人で溢れ返っていた。ウェイターがラムフォードのテーブルにエナジードリンクを置いていくのが見えた。その隣のテーブルには囲碁の碁盤が置いてあり、壁掛けのスマートスクリーンからはムーディーな曲が流れていた。
一つの曲が終わると、まもなく新たな曲が始まった。どこかで聞いたことのある、懐かしく心地よいメロディー。導入部が終わると歌声が響いた。
おおきな栗の木の下でー
あーなーたーとーわーたーしー
なーかーよーくー遊びましょうー
おおきな栗の木の下でー
ラムフォードは耳を傾け、メロディーと歌詞をじっくり噛みしめている様子だった。そして歌が終わると、にこっと微笑んだ。
それが、ロストンが直接見た彼の素顔だった。
それからしばらく経って、ラムフォードは再びメディアに出演した。そして驚くことに、また体制への支持を宣言したのだった。
世間は当然、彼の二転三転する言動に呆れたという反応を見せた。転向をし、その転向を撤回した後、それをまた撤回したのだから無理もなかった。彼は今までの自分の考え方が根底において間違っていたと告白し、転向の撤回もそうした間違いによるものであったと説明した。
そしてその後の展開は、体制側の情報操作をロストンが疑うきっかけとなった。
ラムフォードが再び体制への支持を発表して間もない頃、たしか一ヶ月ほど後、ロストンは社内でスクープ記事を目にしていた。校閲のために手元に回ってきたものだった。
ファイルを開くと、その記事の内容と写真に彼は驚いた。ラムフォードが、ある人物とともに写真に写っていた。人気のなさそうなところで立ち話をしている。記事によると、その人物は反体制派の幹部らしく、ラムフォードが体制への支持を再び表明した後に密会していたとのことだった。彼らの会話内容を盗聴することはできなかったようだが、記者が現場を直撃したところ、反体制派の幹部は足早に逃げ、残されたラムフォードはノーコメントを貫いたという。結局ラムフォードが何のために反体制派の人と会っていたかははっきりしなかったが、大きな話題になりうる記事だった。彼の言動がそれまでにも二転三転していただけに、彼がまた世間を欺いたという印象をもたせるには十分だった。
だがその記事は不思議なことに、世に出なかった。
校閲まで終えたが、結局ボツになったようだった。不思議に思ったロストンは、社内の知り合いの記者に理由を聞いてみたが、それは編集部長の決定らしく、特に理由の説明はなかったという。
もしその記事が世に出ていたら、ラムフォードに対する世間の印象がまた変わったはずだった。社会復帰をした彼は再び職を失っただろうし、再び世間の厳しい批判にさらされただろう。だが記事が出なかったことで彼の印象はそのままだった。
その時、ロストンは思った。記事が出るか出ないかによって、どのように報道されるかによって、認識される真実は変わってしまう。真実は人の手によっていくらでも書き換えられるのだ。
ロストンがこの出来事を通して確信したのは、人間の手によって明かされる真実の頼りなさだった。どの情報を発信するかは人為的に取捨選択されるし、たとえ真実の究明に必要な全情報が目の前にあったとしても、人にはそれを神のように誤りなく理解する能力がない。疑いようがないと主張された科学的な見地でさえ、何回も覆されてきているのだ。人は、ある時に何かが真実だと言っては、次の瞬間にはそれと真逆のことを言い、常に二転三転、右往左往する。結局、人間は小さな存在であり、神のように究極の真実を知ることはできない。
しかしロストンにはすっきりしない部分もあった。過去と真実が常に書き換えられる理由が人間の不完全性にあるのは分かっても、なぜ人々が自らの不完全性を認めず、自分たちが神のようになり得ると思い込めるのかが分からなかった。人間の不完全さは誰の目にも明らかではないか? 世界市民連合は、どうしてトラディットの価値観が間違っていて、自分たちの価値観が正しいと主張できるのか? どうして神の言葉を無視して、自らの言葉を信じ得るのか?
ロストンは目の前の画面を覗きながら再び書き込んだ。
<その理由は分かる。だが、その本当の理由が分からない。>
かつては神の存在を信じないことが非正常、愚かさ、狂人のしるしだった。現在ではむしろ、神と聖書の言葉を信じることがそのしるしと見なされる。信仰の自由が保障されているとはいえ、連合側の人達は内心そう思っているはずだ。理性で証明できないことは、表向きはともかく、暗黙のうちに否定される。トラディットの中にさえ無神論者がいるくらいだ。
ロストンはふと、グレート・マザーのイメージを思い浮かべた。
彼女はこちらを見て微笑む。一見、心広く全てを受け入れてくれそうな優しい顔だ。だがそれは、異端派の価値観を受け入れる微笑みではない。それは、異端派の価値観を捨てて体制側の価値観を信じるならば受け入れてもいい、という意味の微笑みなのだ。
二足す二が四であるように、連合は自らの価値観と政策の正しさが自明であるかのように振る舞っている。それに同調しない者は、社会から排除され、隅に追いやられている。そのような排他性が、多様な価値観の共存を謳うかれらの本当の姿なのだ。
ロストンは心が沈んでいくのを感じた。
自分が出口のない、果てしない暗闇の中にいるような感覚だった。どこまでも続く、誰もいない暗いトンネル……
だがそこで彼の脳裏にオフィールドの顔が浮かんだ。
そう、オフィールドがいるではないか。
ロストンは自分に言い聞かせた。たとえ少数派でも、味方はいる。スマートスクリーンに向かって書き込んでいるのは全世界の味方たちのためだ。どこかにいる、自分やオフィールドと考えをともにする人達に宛てて書いているのだ。書き残せば、誰かは読んでくれる。まだオフィールド本人とは話せていないが、匿名掲示板への書き込みを通して不特定多数と考えを共有することはできる。
ロストンはオフィールドに話しかけるような気持ちで掲示板に書き込んだ。
<自由とは、二足す二が四のように当然視される多数派の価値観を拒否できる自由だ。自由は、人によって認められるべきものではない。神によって与えられたものなのだ。>
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